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1. 2005/01/01 「ギャルゲーオタクの奇妙な感情。」 [この書込みのみ表示(記事URL紹介用) / 編集 / 削除 / トラバ送信 / 共有分類に追加(タグ付け)]とりあえず新年明けましておめでとうございます。・・・さて このサイトでも若干ギャルゲーの評価データベースがあるみたいですが 不思議と「悪い」以下の評価がないんですよ。もしやここは ギャルゲーオタクの巣窟なのか?とか疑いたくなるほどでした。 大体よくありがちなギャルゲーオタクの擁護的理由で「シナリオに感動した!」とか 「これは純粋にシステムが素晴らしい!」とか頻繁に見るんですけどあれって かなり痛々しい光景ですよ(苦笑)。「感動的なギャルゲー」というものに すっかり騙されているんですからね。この「感動的なギャルゲー」というのは 単にアニメ顔の美少女との甘ったるいラブストーリーが擬似体験出来るだけではなく、 「感動的」で「文学的」な「ちょっと、いい」(と、されている)ストーリーが 綴られていることが特徴である。しかし、ちょっと冷静になって考えて欲しい。 ある人が「TVゲームの魅力というのは大きく分けて三つある。」と言っていた。その内容が ・「知的な刺激」を得られる つまり歴史シミュレーションゲームや大戦略などで「次はこの戦術にしよう。」 などの案を練っている時などに得られる面白さ。 ・シミュレーター アクションゲームの殆どがこれに当てはめられるでしょう。 RPGも大体はオーケーです(但し、アニメ臭い国内産は駄目)。 ・物語、シナリオ 主人公などに感情移入してそのストーリーを楽しむ。問題のギャルゲー系のゲームはこれだ。 私はこういう「感情移入による代理体験」が必ずしも稚拙な行為だとは思わない。 だが別のゲームオタクにこのことを指摘するとかなり嫌な顔をされる。 彼らは自分たちが「物語を求めている」ことをあまり認めたがらないのだ。 もしかしたら「物語を求めている」ことを知られるのが恥ずかしいから、 「これはシステムがいいんだよ」という言い訳が出来るゲームになら 安心してハマれるのかもしれない。「物語」へのこの屈折した感情は愉快ですな。 古典派の男 さんのコメント (2005/01/02) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)] ギャルゲーの評価に「悪い」より下がないのは、ここのDBにギャルゲー好きが多いのではなく、 ギャルゲーの評価をできる人が少ないから、というのが原因でしょう。 ギャルゲーのタイトルは知っていても、プレイしなくては評価のしようがないし、 ギャルゲーをプレイする人の大半は、もともとギャルゲー好きですから、自ずと評価は高くなるものであり、 プレイヤーの層が広い大作ゲームと一緒にはならないと思います。
また、家庭用のギャルゲーの大半は、パソコンからの移植作品であり、 パソコン版ですでに評価が低かった作品は、移植の対象になるわけがありませんから、 自ずと評価の高い作品が増えるわけで、「悪い」より下の評価がつきにくいのだと思います。
ギャルゲーについて「ストーリーが感動した」という感想は、僕もイマイチ納得できないところがありますが、 それが「非現実的な恋愛物語に陶酔しているだけ」でないのなら、別にかまわないと思います。
あと、12月7日のkinjiさんの日記の「RPGの存在意義」についてですが、 10年以上前のDOSではロマンシアのように「攻略本を見てもクリアできないRPG」が当たり前でした。 当時は「敵を無駄に倒すとクリア不能になる」、「瀕死の状態でセーブするとペナルティが発生する」といった、 今の次元では考えられない制限の中でクリアをすること自体が、RPGの目標だったのです。 はっきりいって、PS世代では、ロマンシアはもちろん、DOS版イースですらクリアは不可能ですよ。
RPGが誰でもクリアできるようになったのは、難易度を上げることで面白くするのに限界が生じたからで、 オマケ要素が異様に充実するようになったのは、RPG自体のマンネリ化が原因です。 だから、昔のRPGの存在意義は「厳しい条件の中でクリアをすること、それ自体」であり、 最近のRPGでは「アニメ、映画と違い、自分の手で長編のストーリーを進めること」だと思います。 ただし、本編を脱線するほどのオマケ要素については、RPGの魅力とはいい難いものだと思います。 個人的な意見としては、「クリアすることが目標ではない作品」は、すでにRPGではないと思います。 |
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