=>古記事6. 2012/04/02 テンポと主人公 その他最近のコメント 1. 2012/05/29 「銀河へキックオフ9話〜試合シーンがだめすぎる〜」 分類: 感想 [この書込みのみ表示(記事URL紹介用) / 編集 / 削除 / トラバ送信 / 共有分類に追加(タグ付け)]拍手:1個今日銀河へキックオフの9話を見たが、前半と後半でまるで別のアニメのようだった。 前半はとてもテンポが悪く盛り上がらず、後半はテンポよく見ていてワクワクした。
今回、試合シーンを日常シーンをあわせてみることで、本作の長所と短所がわかった。
本作の長所は脚本を踏まえたキャラ同士の会話がうまいことで、 短所はセル数が比較的少なく全体でみるとスポーツアニメの割に動きがないことだ。
特に長い試合シーンが入ったことで、絵の枚数が少ない短所が前面に出てきて テンポの悪い描写となった。止め絵で描きすぎだし、見どころのない試合だったと思う。 BGMもなく、正直やる気のない印象を受けた。
一方で、試合が終わってからまた面白く感じたのは皮肉で、主人公がレイカを探しに行くのも面白いし、 その後一緒に練習というのも良い展開だと思った。弁当シーンも明るい感じでなごめたし、後半は いつも通りの描写で問題がなかった。
おそらく、本作のスタッフはサッカーをあまり好きでないと思う。
試合シーンに関して魅力的に描く努力が欠けていて、試合に関しては何が 見どころなのかわからなかった。試合前のチーム練習をしっかり描かなかったからというのもあるが、 サッカーをしているキャラが生き生きとしてなかった。むしろ弁当のシーンの方が 元気があるように見えてしまった。試合シーンがぼんやりしていて、誰のどういう感情を描きたいかの 主軸がなく薄すぎる。脚本も会話でないので盛りあがりに欠け、無機質な時間が続いていた記憶しかない。
あまりスポーツアニメには詳しくないが、スポーツアニメはこれまでの練習の成果が試合で報われた時 最も盛り上がると思う。そうしたときにこの試合は練習シーンを描いてないため、盛り上がりどころが そもそもない。努力を描かないまま試合シーンを描いても意味がないと思う。 チームができたとき盛り上がったのは、チームができたからではなく、これまで描いてきた主人公の努力が報われたからだと思う。 達成感があった。同様に試合で勝つための努力を描かないと、試合で勝っても盛り上がらない。 視聴者の中で試合で勝ってほしいという思いが弱い。
まあ、今回の相手チームが重要でないチームだったので、次の試合を見てみないと 試合シーンの盛り上がりについて適切に判断できないが、練習シーンを描かないまま 椿森との試合に連続で突入するため、あまり面白い展開は期待できないと感じる。 また今回のように試合の中で気づいたことを実践して勝利みたいになりそうで、 現実味の欠ける試合になりそうだ。
サッカーアニメなのに中々大会での試合が始まらずにいたということで製作陣も焦っていたのかもしれないが、 もう少しどう試合で盛り上げるかの構想を練らないといけないと思う。全体的に試合シーンの描写が雑で サッカーアニメとしての魅力が弱い。 試合シーンがつまらないのでは作品としての完成度が下がるのは確かだが、試合以外のシーンは相変わらず魅力的なので やはり楽しみである。試合シーンの描写が改善されたら本当にうれしいのだが・・ juriesu さんのコメント (2012/05/30) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)] アマンドの木さん、こんばんは。早いレスポンスありがとうございます。
実際試合シーンを本気で描くときりがないので、確かに作画に限界があるのは仕方ないんですよね。 ただ、BGMや画面のメリハリで盛り上げる工夫がないのは、少し単調な感じを持ちましたね。 まあ、まだ始まったばかりなのでこれからですね!ホント期待してるアニメ何で(笑) アマンドの木 さんのコメント (2012/05/29) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)] 常にたくさんの人が意味を持って動いているサッカーって、アニメにしにくいのだと思います。正確にいえば、日本におけるアニメの制作状況では、きちんと動くサッカーの試合を描けないのだと思う。(膨大な人数を無給で働かせる事が可能でない限り)
こういうところにCGその他の技術が導入されれば、何か新しい描き方ってのも生まれてくるのかもしれないけど。 |
2. 2012/05/24 「銀河へキックオフの課題」 [この書込みのみ表示(記事URL紹介用) / 編集 / 削除 / トラバ送信 / 共有分類に追加(タグ付け)]拍手:1個ついに銀河へキックオフの6話以降が放送されました。そして、先日8話目を見たのですが、 以前と比べて勢いが欠けている印象を受けました。なぜでしょうか。
それは、これまでは試合以外の面で話を盛り上げていたからではないでしょうか。
これまではチームを作ることを目指して勢いのある展開をしていたのに対し、 今回の試合では数十分のことを数話かけて描くために、薄く感じてしまいました。 以前サッカーの試合シーンがあっても、それを数分で描いて話を進めていたため、 じっくり試合を面白く描くことはありませんでした。 しかし、これからはこの試合を中心に物語を進めるのであり、 この8話目はターニングポイントとなります。
このアニメのこれからの課題は試合でキャラの魅力を描くことでしょう。
試合となると多くのキャラがいるため、一人のキャラの見せ場を描くことが難しくなります。 実際、8話目はあまり話が盛り上がってなくて、ダラダラしている印象を受けました。 メンバーの技能的成長が見られないうえに、相手チームもワクワクするような相手ではなく、 わざわざ2話もかけて描く内容なのかといった感じでした。明らかに重要でないチームとの 試合を時間をかけて描いてもドラマは生まれないですよね。試合が盛り上がるのは相手チームが 自分達とは異なる強みや想いを持っているからで、その部分の描写が抜けてしまっているように思います。 まして、チーム内で無駄な仲間割れをして自滅している話は面白くないですよね、 試合でわざわざやるような内容ではないですし、こういう展開になる伏線もなかったのでグダグダ感があります。 主人公もエリカも出番がない試合シーンを1話もかけて描く必要がないと思いました。 こんな展開なら主人公の1分もかけた回想もないほうがよいと思います。
後全体的に練習の描写も足りないと思いました。7話でレイカの話をしたのも微妙に感じていて、 それはもっと後に回して、まずはチーム全体の練習風景と課題を一話かけて描くべきだったと思います。 なぜなら、7話で描いたレイカの成長も8話目で逆行してますし(3兄弟との関係に変化がないし学んだことを活かしてない)、 主人公が試合で活躍するような伏線もないまま試合に突入し、期待感が視聴者の中で養われないままになっているからです。
7・8話とどんどん主人公やエリカ、コーチの存在感が弱くなっていて、レイカや3兄弟の話に早い段階で偏り過ぎだと思います。 このチーム全体で主人公とエリカとコーチがどう活躍できるか、していこうと考えているかを 描かないまま話を進めても話を盛り上げにくいです。
全体的に7話以降、描写が雑になってしまっていると感じます。物語の根幹要素か枝葉要素かの区分が不明確で、 個人的には重要でない話に時間をかけ、物語の根幹要素が不透明になっているように感じます。 これまではチーム作りという明確な軸があったのに、7話以降はチームのこれからに関して不透明なままです。 世界一になるためにどれだけの距離があるのかとか、メンバー全体に欠けている点とか、そういうのを ある程度示してから試合をしていかないと話がぼやけてしまいます。
少し厳しい評価ですが、決してつまらないわけではないと思います。 ただ、これまでは話の筋が明確だったことが魅力だったので、重要でない要素を省いて、肝心の熱い部分を 押しだすような脚本をまたしてほしいと思いました。 後、BGMもなんか少なかったうえに、作画も工夫が弱かったように感じます。エリカがモブキャラみたいに見えてしまって、 もっと魅力的に描いてほしいですよね。 やはり来週が楽しみですね。 3. 2012/04/12 「娯楽性とリアリティ〜現代アニメの力〜」 分類: 脚本 [この書込みのみ表示(記事URL紹介用) / 編集 / 削除 / トラバ送信 / 共有分類に追加(タグ付け)]拍手:2個娯楽性といったとき各人で考え方が異なるが、私は人を安心させる要素を娯楽性と考えている。 人間は日々生きる中で自身の知らないことと遭遇し、その中で不安を覚える。 そのため、娯楽を通して自身の存在が脅かされるような要素がない世界に浸ることで安心感を得る。
そのため、娯楽には必ず現実逃避的な面が伴う。娯楽の世界でのみ生きるわけにはいかないし、 常に社会について学習していく必要がある。その中でアニメに関してもこの考え方が反映されてきたように思う。 従来は、アニメは子供が見る娯楽であったが、昨今は娯楽性のみならず、 アニメを通して自身を見つめ直せる作品が評価されるようになった。 そのターニングポイントとなった作品が新世紀エヴァンゲリオンであり、 そのブーム以降、視聴者が不安になるような描写を入れる作品が増えた。 この作品は娯楽性だけではないのだといわんばかりの作品が増えた。
従来は、リアリティは小説やドラマが得意とし、アニメにおいては娯楽の妨げとなりタブーであった。 しかし、エヴァンゲリオン以降はリアリティを追求し、より視聴者に現実を伝えるべきだと考える製作者が増えたように感じる。 一方で、過度にシリアスな物語が増え、その反動として娯楽性に特化したキャラアニメが台頭したというのが私の認識である。 要は、普遍的日常を描く娯楽作品と、変化する現実の世界を描こうとするリアリティ志向作品に分化しているのが 現代のアニメのあり様である。そして、視聴者に関しても娯楽として視る目的と新しい世界を知ろうと視る目的の 二つの目的が混在していることに気づく。
そのうえで、大切なことは「アニメを視ること自体は娯楽である」ことだ。 現実社会を生きること以上にリアルなことはなく、アニメを視て過ごそうとしている人は必ず娯楽性を求めている。 そのため、「リアリティの追求は娯楽性を超えない」ことがアニメ製作の絶対原則だと私は思う。 つまり、リアリティを提供する際に、視聴者は学ぶためではなく楽しむためにアニメを見るのであり、 楽しみながら学びたいと思う人もいる程度に考えるべきなのだ。ここを勘違いすると視聴者に相手にされなくなる。
なぜ、リアリティのあるアニメを求める人が増えたのか?
自分で経験することよりも手っ取り早く現実世界を知ることを重視する人が増えたからだと私は思っている。 これはアニメに限らず、ネットなどで調べて、それでわかった気になる人が多くいる。 そのため、自分で苦労して動かずに何かを知りたいという声がそのようなアニメを求める流れになっていると思う。 しかし、本来それはアニメを見て済ますことではなく、自身で人生を通して経験していくことで実現するべきことなのだと思う。
だが、一方でヒカルの碁などのように、物語を通して多くの人に夢を与えた作品があるのも事実であり、 作品を視て満足してしまうか、自分自身もそう在ろうと思うかは視聴者次第なのかもしれない。 実際、私もエヴァンゲリオンを視て、主人公のように「在りたくない」という危機感は強く持ったので・・ アニメのリアリティという点に関して、アニメを見ることが現実世界を学んでいくきっかけになればよいが、 それについて知った気になり行動意欲が低下することは問題だと私は思う。 juriesu さんのコメント (2012/04/18) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)] 名もなき詩人さん、こんにちは。返事が遅れてしまってすみません。
リアリティを娯楽として描くという発想は面白いですね。 そういう意味で、アニメでもドラマのようにリアリティによる娯楽が生まれただけで、 娯楽としての質は変わってないのかもしれませんね。
ただ、私はアニメを見ると新しい発見ができたかどうかを重視するので、 そういう観点からアニメに関して娯楽以外のそういう面があることも大切なのかと今回考えました。
エヴァのリアリティはそういう意味で視聴者に新しいことに気付かせる力であり、 それは娯楽性とは異なる魅力なのかなと思いました。 こうしてみるとリアリティについて少し纏めたほうがよさそうですね。 名もなき詩人 さんのコメント (2012/04/12) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)] ああそう言うことですか、良く分かりました。多分私とずれています。
確かにエヴァはリアリティを盛り込んでいます。
ただ現実逃避に陰惨な世界観を持ち込むのは実は娯楽の効果があります。
ええーっとですね。凶悪な猟奇殺人がお茶の間の娯楽になりうるというのを猟奇殺人の研究をしていた方が話していました。自分は安全だという安心感があるからです。
こういった娯楽が大人向けなのは、子供にこれを見せるのが怖いからです。虚構と現実の区別のつかない年齢に見せるのは怖いです。
エヴァは確かにリアリティとしてそれを盛り込んでいます。
しかし庵野監督は糞真面目と言うほどじゃないです。有名な話ですが、ナウシカのクシャナを主人公にした戦記を作りたいと宮崎監督にお願いしたら、拒否されました。
大人の娯楽として戦争者をやりたいからです。こういう側面も庵野監督にはあると言う事を一応書いておきます。
富野監督が、数少ない文章で残した話に、ガンダムの参考に数多くの戦争ものを見たそうです。その中で白兵戦が一番面白かったからMSを中心とした戦争者をやると決めたそうです。これは新聞で語っているのでオフレコの話とかじゃないです。
これ戦争を娯楽に見ています。
私と多分娯楽についてずれてるんだと思います。
私は人が殺されて残虐に曝される犬神家の一族などの作品が大好きです。
ただ私はホラーとかゾンビ物とかスプラッタ、猟奇殺人者を愛してるわけじゃないです。
実際グロシーンなどが多い、江戸川乱歩とかって娯楽でしょ…。
私もずれている可能性もありますけど。とにかく二人の娯楽に関する見解はかなりずれてますね。それだけは分かります。
すみません、日記でいろいろとグダグダと言いましたが、エヴァがリアリティに突っ込んだ面があるとは思っています。
ただエログロ描写が過激さと言う映像の刺激になっている面があるのも否定は出来ないので、それをグダグダと書きました。そしてそれはjuriesuさんの言う娯楽を否定するわけじゃないです。juriesuさんの言うエヴァが娯楽としての安心感を壊したのも事実だと思うので。 |
4. 2012/04/11 「優れた作品とは何か??」 分類: 脚本 [この書込みのみ表示(記事URL紹介用) / 編集 / 削除 / トラバ送信 / 共有分類に追加(タグ付け)]拍手:3個人の心を動かす際に二つのことが重要だ。一つが「優秀性」。もう一つが「親しみやすさ」。 この二つが備わっていれば、その人は間違いなく頼りにされると思う。
これをアニメ作品に置き換えた時、優秀性は素晴らしい構想・スペックに該当し、親しみやすさは 作品としての腰の低さに該当する。そうしたときに、仮に素晴らしい構想性を有していても、 視聴者への配慮ができてない作品は、何番煎じかわからなくても視聴者サービスのできている作品に劣ると思う。
記事を書こうと思ったきっかけは、ヨルムンガルドという作品を見て、構想性は優れていそうでも、 ついていけないと感じたことにある。真面目に話を作っているのがわかるが、優秀すぎて親しみを感じられなかった。
優れた作品は何かと考えた際に、脚本や世界観がしっかりしていると同時に、 内容を視聴者と共有できるようにする必要がある。いくら素晴らしいテーマでも、 視聴者のレベルを意識して作っているのだと必死になってアピールしないと、視聴者は視ようと思わない。 視聴者は物語としての素晴らしさと同じ程度に、こちらに対してみてもらおうと腰を低くしていることを評価すると思う。 そして、腰の低い作品は多少の無理があっても大目に見てもらえるが、 視聴者に対して自らの作品の素晴らしさを見せつける感じの作品は細かいミスを指摘され、 相対的に見て並みの脚本でも低く評価されることになる。(特にゴンゾー作品やフラクタル)
昨今のキャラアニメは物語の優秀性よりも視聴者に対し腰を低くして見てもらおうという姿勢を明確にしている作品だと思う。 作品全体に嫌味な感じがなく、腰を低くしてアニメーションしているのだ。なぜなら、物語が優れていても、 ただ作品の優秀性を見せつけ、視聴者のレベルに合わせようとしない作品は不人気となってしまうからだ。 そのため、より視聴者のレベルに合わせようとして物語よりもキャラの他愛ない様子を描くキャラアニメが台頭した。
これらの議論を踏まえて優れた作品は何かを考えると、物語の構想が素晴らしい一方で、 視聴者にレベルを合わせて描写をできている作品となる。 とすると、この視聴者のレベルによって優れた作品は異なるため、 視聴者のレベルを想定して作品を提供することが大切となると思う。
総括すると、優れたアニメ作品は視聴者に対し積極的にアピールし、 心を通わそうという姿勢が求められると思う。
それは、視聴者にとってアニメは先生である以上に友達であるべきだということである。 juriesu さんのコメント (2012/04/18) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)] cipherxxさん、こんにちは。再度のコメントありがとうございます。
すみません、ツンデレときいてキャラの方をイメージしてしまいました(笑)
小難しいことを書いているので、わかってもらえるといってもらえると 嬉しいです。ありがとうございます。 名もなき詩人 さんのコメント (2012/04/12) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)] ヨルムガンドは分かりました。まだ物語としてはさっぱり私もどうでも良いわと思ってみています。基本ガンアクションの作品なんだろと決め付けたので、壮大なテーマの物語でも始まるのですかね…。想像もしませんでした。特に今回ミッションと言う物語をきちんとやってるので、大きな物語がまだ見えてきません。断片的な台詞でそれを想像するのは私あまりしないので。その小単位の話が楽しめているか?そこを重視しました。おそらく私と物語の見方が違うんだと思います。そんな初期の時点で全体像がつかめる話作りって面白いのか疑問もあります…。今漫画原作をアニメ化するのは止めたほうが良いと書いたのは、この作品を見たのも大きいですね…。どーせいつものように、中途半端に終るんだろうなーって見てますから。
フラクタルですが、ええあの不快描写って娯楽じゃないのですか???だってタラノティーノなら娯楽ですよ。でね、山本監督が尊敬してるのが、庵野監督です。グロ描写大好きな監督です。
私はそのバランスが悪いと思っていません。エヴァなら萌えもグロも面白かったのに、さえねーなと思っています。だって未来日記ならグロ不快シーンは娯楽要素の一つだと思います。
その辺りジブリ的ホンワカ作品としてみたからだと思います。あれはラピュタじゃないです。虫が人を殺すナウシカです。
ただ確かにバランスが悪い所があるのかもしれませんね。結局グロも面白くないから。
結局エログロってセックスバイオレンスと言う映画の娯楽の基本だと思います。暴力があればその結果残虐シーンがある。エロがあればそれに伴う描写があると。それを不快と取るか刺激と取るか?人に寄って異なると思います。
あの監督が上から目線なのは間違いないです。
ただそう単純じゃないですよ。面白さと言うものに対してどこかずれている所があります。エログロしか娯楽をしらないんじゃないか?ぐらいずれています。他にもほのぼのしたシーンとかあるのですが、相性糞悪いですよね。ナウシカと言う作品は本当に後の世代が真似をするとどうもグロが踏襲されます。
陰惨な世界観これが見たものを圧倒する部分があります。まどマギが陰惨さの中の光みたいのを上手く表現しています。他の人はどうもね。
作品が違うとなるかもしれませんが。そういう線引きってどこにあるのかな?と考えると恣意的だと感じる面が強いです。敢えて言うなら安直にエログロに頼らない。そうやって考えると、そこに節度をもてれば山本監督の内容は多分ましになると思います。
面白くは無いですけどね…。
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1007/26/news010.html
自分の日記も張ったのですが、この監督が如何に支離滅裂か分かります…。
面白いって言葉が他人とずれすぎてる。 cipherxx さんのコメント (2012/04/12) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)] すいません。ちょっと言葉選びが不適切だったと思いまして…。 「ツンデレちゃん」=視聴者に媚びない「優秀性」をむき出しにした作品
なぜ、制作者側がそういった考えに至ったのか、僕自身視聴対象外層ですが、傍観者の立場から考えるのも面白いものだと日頃思っているからです。言葉選びが良くなかったですね。だけどお陰でjuruesuさんの考える親しみやすさ、娯楽性の定義は良く分かりましたよ。
↓の非論客コメントは僕です。すいませんでした。 非論客(外部ユーザー)からの投稿。現在非公開状態。ログイン状態のオーナーによる承認が無いとオーナー以外には見られません。
juriesu さんのコメント (2012/04/12) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)] アマンドの木さん、こんばんは。初めまして。 いつも素晴らしいレビューを読ませてもらってます。 コメントありがとうございます。
全体的にヨルムンガルドは格好つけすぎていて、きつかったですね。 その割には話が唐突な感じもしました。よく見てないので内容に関しては突っ込めませんが、 好き嫌いがわかれそうな気はしました。
作る側もリアルさ重視だと細かい点まで気を回さねばならず大変そうですし・・ juriesu さんのコメント (2012/04/12) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)] cipherxxさん、こんばんは。初めまして。コメントありがとうございます。
cipherxxさんおっしゃるように、親しみやすさの基本は現代人が普段何を考え、 どう悩んでいるかを踏まえることが大切になると思います。 そうしたとき、どういう描写に視聴者が安心感や楽しさを覚え、 不快感やつまらなさを覚えるかがわかるようになるからです。
人に何かを教えることは相手に知らないことを教えるために 不安にさせる要素があります。そのため、優秀性はより慎重に扱う必要があると思います。 そういう意味ではツンデレ少女のような愛着を持てるキャラがいると視聴者は安心し 、製作者にテーマを提示されても素直に感動できるのだと思います。 juriesu さんのコメント (2012/04/12) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)] 名もなき詩人さん、こんばんは。真剣に議論に付き合ってくださる方がいるとこちらも張り合いがあります。順を追って答えていきますね。
まず、ヨルムンガルドですが具体的に説明すると、登場キャラや設定などは練ってあっても、一方で誰のどういう話なのか物語が掴みづらい点で構想性はあっても親しみがたいと述べました。要は私にとってわくわくする要素がないまま、製作者が描きたい描写が続き、心を動かされなかったのです。
続いてフラクタルについてですが、初めに言葉不足の記事で混乱させてしまったことをお詫び申し上げます。そのうえで、記事の補足も含めて説明していきます。
まず、私のいう親しみはキャラ・物語への感情移入と置き換えてもらってよいです。
フラクタルに関して、名もなき詩人さんがおっしゃるようにギャグ描写はありました、しかし決定的に視聴者に合わせようという姿勢が欠けていたと思います。なぜなら、ギャグ要員だったキャラを殺したり、不快感の強い台詞・描写を入れたり、OPにキャラクターを全く描かないなど、視聴者がキャラに感情移入することを阻む要素のほうが大きかったからです。そして、フラクタルはギャグがつまらないから楽しめないのではなく、親しみがたい描写を入れるからギャグも悪く感じられたのだと私は思うのです。親しみがたい描写を入れるのは、山本監督が優秀な物語であることばかりにこだわった結果であり、そのためバランスが悪い作品になったと思います。フラクタルは優秀性ばかりを追求していて、それが親しみやすさをどう阻害しているかを無視したため、視聴者が感情移入しがたい作品となったのではないでしょうか。新しいことをすることで自分のすごさを見せつけようとしすぎた結果だと思います。 個人的に山本さんは演出家として優れていると私は思います。しかし、監督として欠かせないバランス感覚を持ち合わせていないため、作風を意識して演出を取捨選択することができず、一貫した作品目的を保てなかったのだと思います。
続いて親しみやすさについて説明していきます。まず、私は視聴者に媚びを売ることもサービス精神も根本的に違いはないと思います。ただ、視聴者に伝えたいテーマ性もなく、ただキャラを可愛く動かしたとき、それは媚を売ることに該当すると思います。優秀性を放棄してただ人に親しんでもらおうとした時、それもまた視聴者を退屈させることになるのです。 また、腰の低さという言葉は自身の主張を抑えて、視聴者の気持ちを配慮するという意味で 用いました。これができないと、ただ自分の描きたいものを押し付けるだけになり 視聴者を不安な気持ちにさせ、相手にされなくなります。
整理すると、親しみやすさは感情移入させる心、優秀性は人を導こう・何かを教えようとする心です。そして、親しみやすさが欠ければただ自分がよいと思うものを見せつけるだけの姿勢となり、優秀性が欠ければ気にいられようとするだけの姿勢となります。よって、この二つを備えることで、相手のことを考えつつ相手を支えようとする姿勢が生まれ、これが優れた作品の基礎になるのだと思います。 アマンドの木 さんのコメント (2012/04/11) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)] 確かに、視聴者のレベルに合わせて構図を稚拙にしている感じでしたね、ヨルムンガンド(まぁ、見るつもりですけど)。主人公の彼女らが、ボーイングの六次下請け会社だとか、CIAのOBが設立した会社だとか、そういうリアルな事情を描く気があるとは、第一話の時点では見えなかった。 cipherxx さんのコメント (2012/04/11) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)] こんばんわ。お邪魔します。面白いですね。 確かにそうですね。子供や青年が見るのだから、分かるように、楽しめるように作らないとダメだと思います。せめて半歩先ぐらいでしょうか、難しさは。あと親しみやすさの中に「時代性」も含まれるのかなと思います。今の子が何を考えていて、何につまづいているのか、それがちゃんと分かっている大人で、その解決策をそっと(あくまでもさりげなく、説教臭くなく)指し示すような作品が人気が出るのでしょうね。まあ、僕はいわゆる「ツンデレちゃん」な作品も結構好きだったりします。出来の悪い子も可愛いってヤツですか…(笑)大人ですからね。お前は呼んでねーよ、と作り手に言われそうですが。 名もなき詩人 さんのコメント (2012/04/11) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)] 視聴者が理解しやすいように配慮するというのは大切だと思います。
ただヨルムンガンド、テーマ(武器云々)とかより単純にミッションもの?って事でありがちだなと感じてあまり楽しみにならなかったです。テーマ性みたいのがあるのは見て分かります。ただどうみてもガンアクションの方が売りでは?と思ったので、面白くなるかな?って先を見てみないと分からないと思いました。とっつきににくそうとか、堅苦しい話だなとかそういうのは特にまだ感じていません。実写ならありがちだし、漫画アニメもガンアクション作品はたっぷりあります。戦争軍隊も。確かに武器商人と言うのは珍しいです。しかし、軍隊兵隊戦争ガンアクションなどと差別化する何かがあるのか?それが疑問です。むしろありがちなので親しみって点ではあります。
次フラクタルですが、確かに製作陣が偉そうで作品も偉そうです。ただそれよりとにかく面白くない。それがなんとかならなかったのか?と思うぐらいです。どんなに偉そうで傲慢でも面白ければそれで良いです。
サービス精神という言葉は確かに大切です。しかし視聴者に媚を売ると言うのは一番嫌われる態度です。親しみという言葉がどちらになるのかjuriesuさんの言葉からは読み取れませんでした。
すみません真意が良く分からないのと、フラクタルが何故面白くないか?とずっと考えているので、それで何か安直だと感じて不快感を持ってしまったので。
ええーっとフラクタルってサービス精神ありますよ。ただ言ってみれば楽しませようと、すげーつまらないギャグを延々と言いまくってるおっさん。これがフラクタルのつまらなさの一つです。良く似た作品に忘念のザムドと言う作品があるのですが、これは糞真面目そのものです。まさに敷居が高い。私はその作品の方が好みです。いくら楽しませようと思ってもその中身がすべってるってものを連発されたら私はカチンと来るタイプです。それなら糞真面目にやってくれたほうが良いです。
フラクタルの山本監督は庵野監督と宮崎監督を尊敬してるんですよ。まさにエヴァとナウシカとラピュタを足して割ったような作品です。ですが、この2監督、優秀な作品と言うほかにも、アニメの娯楽性と言う事でも天才的な監督です。親しみ=娯楽性と受け取って返すと、その娯楽性について壊滅的にセンスが無いんです。山本監督。山本監督はオリジナルアニメは止めたほうが良いです。ハルヒは原作が娯楽性に富んでるの面白いです。山本監督は小説とかの方が向いていると思います。ラノベではなくて、オリジナルの話があれば小説とかで書いたほうが良いです。偉そうなのは確かに偉そうですけどね。姿勢がお前ら楽しめって感じがありありと分かるので、でも実際問題なのは態度よりネタが面白くないんですよ…。
これストーリーとは別ですよ。
そもそもあの作品の姿勢が嫌われるのはすぐに分かります。ただネットで話題にも出ませんでしたが、あれ多分萌えオタを批判する作品です。その姿勢ですぐに嫌われるのは分かります。ただもっと問題なのは、それに気付いてもらえないほど総スカン食らった事です…。映像作品として退屈なんですよ…。 |
5. 2012/04/05 「世界系と日常系のテンポ」 分類: 脚本 [この書込みのみ表示(記事URL紹介用) / 編集 / 削除 / トラバ送信 / 共有分類に追加(タグ付け)]拍手:3個前回の「テンポと主人公」の記事に関してペクさんから 『テンポが悪い作品は退屈だ。それは非常に共感できます。しかしでは、「良いテンポ」とは一体何なのか?そんなことを考えました。
これはアニメを見始めて気付いたことですが、「良いテンポ」というのはその作品によって違うと常々感じています。少し前の作品でアスタロッテのおもちゃという作品がありました。あの作品はものすごくテンポがゆるいんですが、逆にそれを活かし大人が読む絵本のような雰囲気を創り上げています。あのゆっくりなテンポがきっとこの作品にとっての「良いテンポ」なのでしょう。
主人公が一番重要だというのは、至極正しいと思います。しかし、脇役の存在によってまた主人公の輝きが増すというのも事実。もちろんjuriesuさんも、その事は重々承知した上での今回の日記だったでしょう。ハイスクールD×Dで一誠が魅力的に感じられたのは、部長の描写を怠らなかったことできちんと魅力を引き出せており、一誠と部長の関係性に説得力があったというのも大きいと思います。前述のアスタロッテの方はもっと顕著で、あの作品は出来事をどちらか一方の視点から立って描くという事は決してしなかったため、必然的に描くものが多くなり、テンポがゆるくなっていました。でも、私はそれがあったから、その作品の独特の雰囲気を生み出せたと思っています。
主人公のみを描きいたずらにテンポを上げることが「良いテンポ」なのか、逆に脇役にいくらか比重を裂いたことにより、テンポが落ちてしまうとそれが即「悪いテンポ」になってしまうのか。あくまで大事なのは、その作品が描いたものにより生じたテンポを、作中でどのように活かすのかだと私は思います。群像劇では脇役にどのくらい割合を裂くのかも非常に重要ですし、テンポが速すぎるからこそ逆に物足りないケースもありますしね。
結論は「テンポが作品に合っている」。当たり前と言えば当たり前ですが、これが私の考える「良いテンポ」の条件ですかね。』
というご指摘を頂きました。そのうえで、前回の記事は説明不足だと考えたため、 今回新しい記事においてご指摘にお答えしていく中で、前回の記事の補完をしたいと思います。
ここで、ペクさんからご指摘を受けたハイスクールD×Dとアスタロッテのおもちゃの 二つについて検討してみたいと思います。
まず、ハイスクールD×Dについてです。
これは脇役が主人公の出番を奪わない形で脇役の心理を描いた好例だと思います。 部長の心理描写はあくまで物語は主人公の一誠が何をしていく話かを踏まえたうえで、 一誠の行動の主体性を強調する目的に抑えられていました。ここで、部長自身がどうしていくかを 描いてしまうと主人公の存在感が減ってしまうのですが、主人公がどうしていくかを、 部長を通して視聴者に投げかけたことで、主人公の存在感を高めるよい演出となっていました。
続いてアスタロッテのおもちゃについてです。
ここで申し上げねばいけないことは、前回の記事では主人公の描写を目的とした世界系作品を念頭においていることです。 よって、日常を描くことを目的とした日常系アニメではまた異なったテンポ論が必要になります。
そもそも、世界系と日常系とはどのように異なる作品概念なのか?
そうしたときに、あくまで私論ですが、世界系は「主人公が世界・社会に対して何をしていくか」を 重視する一方、日常系は「当たり前の日常を魅力的に描くこと」を重視していると考えています。 世界系では主人公が世界にどう関わっていくかのリアルさが重要になる一方、 日常系では作品における日常に親近感を持ってもらい、その世界観を愛してもらうことが重要になります。 日常とはすべての登場人物の生き方であり、関係性です。よって、極論を言ってしまうと、 世界系は主人公が特定されている作品であり、日常系はすべてのキャラが主人公である作品だと思います。
それを踏まえて、世界系と日常系ではキャラ描写とテンポはどう異なるのでしょうか?
世界系では主人公が何をするかが目的なため、主人公が何をするかを視聴者が楽しめる必要があります。 そのため、敵などの異なる価値との遭遇、人間関係の変化などを描くことで、主人公の人間性を強調します。 (ここで脇役がどうするかを描きすぎてしまうのはタブーです。) そして、テンポは主人公に軸を置いた針を鋭く尖らせていくようなものとなります。
一方で、日常系では日常の魅力を描くのが目的であり、すべてのキャラがどう生きているかを丁寧に描く必要があります。 そのため、世界系のように激しい展開にすると、主人公以外のキャラがどうするかを描くことができず、 日常を描きがたくなります。そのため、日常系では些細な事件を通して関係者の気持ちを丁寧に描き出されることが多くなり、 それを通して日常という不確かなものをリアルに視聴者に提供します。 そして、テンポはすべてのキャラに軸を置いた円を緩やかに広げていくようなものとなります。
ここで、アスタロッテのおもちゃに話を戻した時、この作品は日常を描くことに主軸を置かれた作品であり、 すべてのキャラを描くことを目的とした作品だと考えています。そのため、特定のキャラの存在だけを強めていかず、 すべてのキャラの存在を満遍なく描いていたように感じます。 よって、一つ一つのシーンが間延びしているように見えても、日常を描くことを目的としているため、 適切なテンポといえると思います。ペクさんのおっしゃる独特のテンポは、 すべてのキャラに軸を置いた円を緩やかに広げていくようなものに該当するのかなぁと考えています。
結論として、テンポとは「作品の目的を果たせている度合い」のようなものだと私は考えています。 視聴者の心地よさの指数のようなものです。そうしたときに、ペクさんのご指摘のように、 各作品の目的は異なるので、各作品のテンポがあり、それが作品の価値なのだと思います。 そして、製作者はどのような心地よさを視聴者に与えたいかの軸を定めて作品提供する必要があると思います。 「作品製作の失敗」とは視聴者に与えたいテンポが統一されていないために、 作品を提供する中で視聴者の期待を裏切ってしまうことだと思います。 私が前回挙げた失敗したと考える作品も、「世界系アニメとして見たときに」主人公の存在感が弱く、 不十分だったという点で取り上げました。
まだまだ説明不足な点は多いと思いますが、日常系アニメの説明が不足していたので、 改めて作品全体のテンポについて記事にしました。
最後になりますが、丁寧に議論を導いてくださったペクさんに深く御礼申し上げます。 juriesu さんのコメント (2012/04/07) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)] ペクさん、こんにちは。再度のコメントありがとうございます。
日常系について主人公が不在という表現は私も考えたのですが、確かにそちらのほうが適切だと今思いました。なぜなら、物語性がない作品が日常系であり、そうであれば主人公が不在になるからです。
後半については私もその通りだと考えています。テンポについて静と動と一言でその対称性について纏められたのは流石だと思いました。ただ、世界系については主人公の課題を解決するという目的があって作品が成立する一方、日常系についてペクさんのおっしゃる「浸っていたくなるような空気感を作り上げる」というのが簡単なようでなかなか難しいことだと思いました。物語性が弱い中で、いかにその作品独自の空気感が作られるのか・・静によって作品の魅力を伝えるとはどういうことかについて考えたいなぁと思いました。
議論にお付き合いいただきありがとうございました。解りにくいなんてとんでもないです!いつも通り理路整然としており、素晴らしい文章だと思います。 これからもよろしくお願いします。 juriesu さんのコメント (2012/04/07) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)] 名もなき詩人さん、こんにちは。いつもコメントありがとうございます。
名もなき詩人さんがご指摘してくださったように、日常系と世界系という括りはあくまで概念であり、双方の要素が入っている作品は数多くあると思います。
その一つがあの花です。
この作品の中盤の日常系描写は序盤の展開との不一致という点でうまくないと私は感じました。少し主観的ですが、私は世界系の最終目的は主人公に「救い」が与えられることだと思っています。冒頭に救われてない主人公を示すことで、「この主人公がどう救われるのか」と期待しました。しかし、主人公に対する救いが明確に示されないまま、それとは別の成仏という話に移行してしまったので、主人公が救われたことが伝わりがたかったです。主人公が救われていく過程を楽しみたい人にとって、救われてない状態で不要な描写が多いと熱が冷めてしまうと思います。
一方でシュタゲの場合ですと、主人公の課題を、日常パートを描いたのちに持って行ったのは良かったと思います。これはひぐらしでもそうですが、キャラに愛着を持たせてから世界系な方向に持っていくのは効果的だと思います。(ただ、シュタゲの場合は主人公以外のキャラの活躍がなかったという点で、ひぐらしほど日常描写を生かせなかった面が別にあるのですが・・) 確かに物語が飽和状態なので、日常描写は大切なのですが、肝心なのは世界系の話に持って行った場合、その話に区切りがつくまで世界系的描写に専念することだと思います。よく突然水着回を挟む作品がありますが、そうすると視聴者の熱が冷めて物語の魅力が半減してしまうので・・
名もなき詩人さんがご指摘してくださった日常系と世界系の融合については、説明不足な点が多いので、改めて纏めてみようかと思います。 これからもよろしくお願いします。 ペク さんのコメント (2012/04/06) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)] juriesuさんこんばんは。お邪魔します。
昨日の私のコメントは揚げ足を取ったような内容だったので、申し訳ないことをしたなと思っていたのですが、お礼の言葉までいただきなんだか恐縮してしまいます。今回の日記の最後に「世界系アニメとして見たときに」との言及がありましたが、前回の日記の内容はおそらくそういうことだろうなと思い、その再確認の意味を込めあのようなコメントをさせて頂きました。
juriesuさんが考える世界系と日常系の違いに関する考察ですが、非常によく纏まっており大変参考になりました。その中で私の私見を少し述べさせていただくと、世界系の作品と日常系の作品の違いは、もっと限定的に「主人公の有無」という風に言ってしまってもよいのではないかと思います。世界系とは「世界の中の個」を「限定的」に描いた作品だと私は見ています。その個がどう世界と関わるかによって、その作品のメッセージを浮き彫りにしていく。そのメッセージをぶれさせないためにも、主人公は一人でなくてはいけないのだと思います。 対して日常系の作品とは、「世界そのもの」を「俯瞰的」に描いた作品のように思います。あるロケーションに設置した定点カメラから覗いた世界とでも言いましょうか。俯瞰的に覗いた世界ですから、すべての登場人物はあくまでニュートラルの状態であり、そこに特定の「主人公」はいなくなる。個人的には、全員が主人公というより、主人公がいないというニュアンスの方が近いかなと思います。
それを踏まえたうえでの両者における「良いテンポ」の違いですが、作品にとっての良いテンポは前回の日記でも書いたとおり「作品にあったテンポ」であり、juriesuさんの「作品の目的を果たしている度合い」という表現はなかなか言い得て妙だと思います。そこでもう少し視点を広げ、「視聴者にとっての良いテンポ」まで考えてみると、よりその違いが明確になるかと思います。視聴者にとっての良いテンポとは、作品から得られる充足感であり、極論すると体感時間が短くなるものだと私は考えます。そして世界系、日常系のそれは真逆の方向性によって産み出される様に思います。 世界系では主人公を動かし、脇役を動かし、事件を動かし、物語を動かすといった具合に、動かすことによって良いテンポを産み出していると思います。動かない世界系ほどつまらないものは無いと思います。動かなければメッセージも発しようがありませんから。最近の作品の中ではまどマギがその一番手だったように思います。あの作品の体感時間の短さは半端じゃなかったです。 対して、日常系では登場人物などすべてのロケーションを使い、浸っていたくなるような空気感を作り上げたら、今度はそれを逆に維持する必要があると思います。けいおんにしろ、ゆるゆりにしろ、アスタロッテにしろ、私がよく出来ているなと感じた日常系作品にはそれがありました。様は終わって欲しくない、何時までもこれが続いて欲しいと視聴者に感じさせ、もう終わっちゃったのと感じさせる事が出来れば、それがその作品にとっての良いテンポなのだと思います。 この二つの違いを言葉にすると、非常に抽象的なんですが前者は「動」によるテンポの良さ、後者は「静」によるテンポの良さ。この違いがあるかと思います。
えらい長くなってしまい申し訳ありません。 その上、内容もかなり抽象的で、何が言いたいのか解りづらいと言う…。まあ少しでもjuriesuさんのご参考になれば幸いです。
それでは。 名もなき詩人 さんのコメント (2012/04/05) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)] あの花の評価を見させてもらいました。確かにストーリー面では仰るとおりだと思います。ただ私はストーリー全体より、超平和バスターズの高校生の友達同士って関係を描く日常。これを中盤気に入っています。
中盤が中だるみに感じるのは、テンポの問題でしょうか?それともストーリーの問題でしょうか?
私は多くの人に批判されるこの部分、逆にだから面白いと思っています。途中おかあさんに批判されますが、メンマをネタに遊んでる部分が面白いです。実際中身は違いますが、メンマを軸に遊んでいる。本人いるので…。
世界系と日常系って括りは拍手したように面白いと思っています。ただ私は日常を描く作品でも展開を劇的にする事が可能だと思います。例えばアルプスの少女ハイジの様に。この作品は日常的なシーンと劇的な展開を上手く組み合わせています。実際は作品のタイプと言うより、ストーリーの作り方にある気がします。
それとも言うのも基本日常系には展開が変化するストーリーと言うものをあまり感じません。会話はストーリーだと思います。ただどこかに境目がある気がします。
再度書きますが、世界系、日常系の大枠のくくり方は面白いと思います。それ自体を批判しているわけじゃないです。何かそういったものが混ざったような作品はどう解釈すれば良いのか?と思って追加しました。
ただ、ストーリーに対する考察はあの花素晴らしいと思うので推薦しておきました。第一話だけやけに面白いと感じた理由がこれで少し分かりました。話しの展開をやや安直にやってしまったんですね。
私は作品に日常系の要素を入れるというのを最近は大切だと思っています。ぶっちゃけストーリー飽和の時代なので、膨らまし粉みたいなものを入れないとシーズン持たないかと。私はその場が面白ければそれで良いので…。
後シュタインズゲートの前半も日常系としての要素を感じます。確かに物語の上手い伏線の配置があると思います。じわーーと謎に近づいていくスローテンポもあると思います。ただあれを私理系実験日常系と見ています。ストーリーとしては確かにきちんと進んでるのですが、私はラボメンでああーだこうだと話し合う雰囲気を一番の楽しみにしていました。飯を食う時が面白くて、そういう時も落ち着いたりのんびりしたりせず、白衣のまま実験の事たまに話したりしながらする雰囲気がすごく良かったです。御飯を中心にすると不味い飯の食い方でしょう。でも、食い物に対する繊細な神経が感じられない無骨な理系っぽさが良かったです。 |
=>古記事6. 2012/04/02 テンポと主人公
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