canadadry
[携帯版(QRコード)] 総閲覧回数:280,858回 / 推薦評価:52個(内 論客29人) / 日記拍手:274個
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| ハンドルネーム | canadadry |
| 総合階位 | 130位 |
| 評価ランク | 126位 (441,365ポイント) |
| ユーザー活動ランク | 589位 (52,584ポイント) |
| 推薦系獲得ランク | 57位 (441,781ポイント) |
| 評価の分布 | | | 最高 | とても良い | 良い | 普通 | 悪い | とても悪い | 最悪 | | 回数 | 4 | 12 | 10 | 2 | 3 | 0 | 0 | | 割合 | 12.9% | 38.7% | 32.3% | 6.5% | 9.7% | 0.0% | 0.0% | | 加算分布 | 12.9% | 51.6% | 83.9% | 90.4% | 100% | 100% | 100% | | 分布要約 | 83.9% | 6.5% | 9.7% |
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論客ポイント (1日1回更新) | | 項目 | 値 | ポイント | 率 | | 被推薦評価 | 29人から 52個 | 407,983 ポイント | 83% | | 論客間被投票 | 2人 (平均順位3.5位) | 55,550 ポイント | 11% | | 評価換算文字数 | 36,452文字 | 36,452 ポイント | 7% | | 評価作品数 | 31個 | 18,600 ポイント | 4% | | 共感 | 15個 | 1,500 ポイント | 0% | | 情報DBファン登録数 | 3個 | 240 ポイント | 0% | | コメント作品数 | 3個 | 60 ポイント | 0% | | 最近の存在感倍数 | | x 0.95 | | | 合計 | | 494,366 ポイント | |
|
| 偏差値 | 83.94 |
| 文字数 | 149,578 |
| 発言数 | 34 |
| 最新投稿 | 2012/04/23 (作品評価) |
| 最古投稿 | 2010/02/06 (作品評価) / 2010/02期[日時順/階位順] |
| 論客暦 | 2年77日 (807日) |
| アニメ階位 | 66位 (430,824ポイント) |
| 小説階位 | 246位 (15,600ポイント) |
| ドラマ階位 | 249位 (13,800ポイント) |
| 日本映画階位 | 488位 (2,871ポイント) |
| 推薦した評価 | 有り |
| 性別 | 男性 |
| 職業 | デラシネ大学生 |
| 保持権限 | |
■評価という行為について
評価の前提として「作者とのコミュニケーション性」を想定しています。
書くという行為の前提としては、読者を想定することになりますが、評価は読者として作者を想定します。
何を偉そうに、と思われるかもしれませんが、実際に作者の方々が読んで下さるかどうかは問題ではないのです。
その他の読者に利益あるものとなれば、それはそれで素晴らしいですが、そんな大それたことを前提にはしません。
これはこのサイトの評価に限らず、アカデミックな論文や文芸評論から、素人の感想文やレビューに至るまで、共通の前提だと思っています。
したがって、ストレートに対してストレートで投げ返しても良いですが、カーブで投げ返しても良い。
作品の中に何か仕掛けがあるなら、ただそれを解説するのではなく、こちらも仕掛けや工夫を凝らした応答もアリだと思います。
あるいは、もっとダイナミックなやり取りがあっても良いのではないでしょうか。
*
ただ、「作者の声」なるものがそのまま僕たちに届く訳ではありません。
そこには多くの障壁が存在し、したがって雑音が加わり、歪みが生じ、フィルタに掛けられます。
「作者の声」は、始めから複数的なもの、あるいは多声的かもしれないし、こちらに届くまでに分裂しているかもしれない。
理解とは誤解の総体に他ならない、という村上春樹の言葉を胸に、僕は僕なりに「作者の声」をしっかりと受け止め、その上で応答するのみです。
■評価文の内容について
作品によってそれぞれですが、必ずしも、超越論的な視点から理性的に上手くまとめよう、などとは思いません。
テーマ、メッセージ、主張なるものの深さとか価値ではなく、作品に触れる行為によって生じた情動の変化を、まず大事にしたいと僕は思うのです。
上手く言えないけど面白かったとか、とにかく心に沁みたとか、悲しかったとか、得も言われぬ喪失感に身もだえしたとか、ワクワクしたとか、ドキドキしたとか。
小説的、あるいは映画的なるものが普遍的に想定され得るとしたら、言語化を拒絶する体験、ということではなかろうか。
トルストイに、あなたは『アンナ・カレーニナ』で何が言いたいのか、ということを尋ねた人がいたらしい。
それに対してトルストイは、それに答えるためには私はもう一度『アンナ・カレーニナ』を書かなければならない、というように応えたそうです。
作品はあくまで「それ自体」であり、他の何かで代替できるものではありません。
*
20世紀、未来派やダダイストたちは理性的なものを破壊し、シュルレアリストたちは自動記述によって、漠とした無意識の領域を表現しようとしました。
理性的で確固とした「私」は消去され、意味は崩壊し、中心を喪失していきました。何もかもを「知」に還元しようとするのは、芸術上、非常に危険な行為です。
画定/確定し、限定してしまうのではなく、そのありのままの存在に向かって呼びかけるという、能動的な動作。
これによって、何もかも0か1かのような議論を葬り、「分からない」ということを積極的に発信できるのではないでしょうか。
理解から零れ落ちてしまうこと、言葉には出来ないくさぐさ、それらの存在を肯定することで、初めてそれらへの接近を可能にすることは芸術上、重大な営みなのです。
各分野で最高の作品 [
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