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1. 2010/03/29 「感想と補遺 > フィギュアスケート」 [この書込みのみ表示(記事URL紹介用) / 編集 / 削除 / トラバ送信 / 共有分類に追加(タグ付け)]拍手:1個高橋選手、浅田選手、優勝おめでとうございます! いや〜、感動した…。
高橋選手については、 トリノ五輪での失敗や彼が選手生命を左右するほどの怪我を乗り越えてきたことを メディアを通じて知っていることで、なおさら彼の演技の感動したのだろう。
浅田選手についても、 私は細かいルールについては詳しくにものの、西欧思想と音楽芸術については ずっと勉強してきたし、ラフマニノフも大好きな音楽家であるだけに、 浅田選手の卓越した技術によってそれが見事に表現されていた点に非常に感動した。
自国の選手だから贔屓目になっているとは思うが、やはりこの2人は凄かった。
それは上に述べたように、選手の経歴、表現に関する知識が 実に大きな助けになったのは明らかである。
このことが、今回のフィギュアスケートを取り巻く問いを考える際に重要になってくると思う。
まず現在のルールの傾向はよく知られているように、 高難度の技よりも全体の完成度を高めた方がより評価されるようだ。
実際にバンクーバー五輪において、浅田選手よりもカナダ代表のロシェット選手や アメリカ代表の長洲選手の方が上位ではないのか、という声があったらしい。
今のルールの背景にあるのは、北米のショービズ的な価値観だろう。
これのためにあまり評価が得られなかったのが、 浅田選手とプルシェンコ選手だろう。
まさに北米の雰囲気主義のエンターテイメントと西欧の伝統と格式高い芸術の対立だ。
北米の雰囲気を優先するショーは、西欧の芸術の中からこの伝統と文化的な コンテクストを無視し、知識な素養のない大衆にとっても分かりやすいものを 切り取って張り付けたようなものである。
普段フィギュアを見ない人や浅田選手のこれまでの演技や経歴、 今回演じたラフマニノフの「鐘」に対する知識・素養のない人は ただ単に重く荘厳な雰囲気を感じるに留まるだろう。
たとえばゴッホの絵を観て感動する人は多いだろう。 一方でピカソの絵を観て感動できる人は限られてくるのではないだろうか。
キュビズム法や彼の人生といったコンテクスト、知識・素養がないと 少し厳しいように思う。
つまり、表現者や表現物に対する文化的なコンテクスト、知識・素養が 重要になってくる場合があるのだ。
分かりやすいもの、軽いもの、優雅なもの…といった雰囲気を優先するように なればこれは低俗とは言わないが、現代的な無痛文明の一つの表れであると思う。
これは単にフィギュアスケートの問題にとどまらず、アニメやドラマなどにも しばしば見受けられることだ。
メディアの報道ではしばしば「技術VS芸術」という扱われ方をするフィギュアスケートであるが、 そもそもこの二項対立の捉え方自体がナンセンスである。
浅田選手もプルシェンコ選手も優れた表現力を有しており、その演技は非常に芸術的である。 (そもそも芸術と技術は対立する概念ではないし。)
どこか今のルールは芸術性も技術も殺している気がするのだが…。 重要視されるのは雰囲気なんだと実感した。
ヨナ選手の007は大衆にも非常に分かりやすいし。 もう彼女の演技がなくても007のテーマと音楽で大衆はボンドガールを想起できる。 ヨナ選手はそれを再現した、という話である。
今のルールに則り計算しつくされたプログラムだったであろう。 しかしそれは同時に、「現行のルールにおいて」という特定の文脈における評価である。 時代を超えて人々の記憶に残り、語り継がれるものだとは思えない。
私はアスリートとしてもアーティストとしても浅田選手の方をより評価したい。 ジャッジはルールには精通しているだろうけど、どれほど芸術についての 知識・素養があるのだろうか。非常に疑問である。 canadadry さんのコメント (2010/03/30) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)] Merciさん、コメントありがとうございます。
本当にフィギュアの採点は難しいですね。 私が思うのは演技構成点よりもむしろ技術点に関してです。 基礎点もそうですがとくにGOEについてはよく議論されるべきだと思います。 これからのルール変更に注目が集まりますね。 Merci さんのコメント (2010/03/30) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)] こんにちは。
>芸術性も技術も殺している 同感です。 新採点方式が始まった時にそういう予感がしたのですが、当たっていると言ったところです。 正直言うと、日本人選手が金を取ったのは嬉しかったんですが、 トリノの荒川選手の金メダル獲得の過程を聞いて、何だかなぁ・・・とも思いましたし (勿論、彼女はルールに合わせた正当な努力をしたとは思いますが・・・)。
現在の採点方法は、ファジーなものを無理にデジタル化しているように思います。 そのため、旧採点時代は、それぞれの選手が自分の特長を生かす演技をしていたのに対し、 同じような演技が大量生産される時代になってしまったように感じています。
canadadryさんの文章を読んで、新採点がロシアペアの金メダルに対するカナダペアの抗議が引き金となったのを思い出し、 なんだか象徴的なのかなぁ・・・と思いました。
現在、特定選手の得点についていろいろ言われていますし、勿論是正して欲しいところですが、 そもそもそういう土壌――曖昧なものを無理に一定の型に当てはめようとすることにより 消せない曖昧さが目立ってしまう――を持つ新採点が、諸問題の根源のように考えています。 |
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