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1. 2008/07/18 「トルネード、野茂英雄さんの引退」 分類: 人の話 [この書込みのみ表示(記事URL紹介用) / 編集 / 削除 / トラックバック送信 / 共有分類に追加(タグ付け)](コメントする)7月17日、大リーグで活躍していた野球選手の野茂さんが引退しました。 子供のときは、好きなテレビを延長、中止にさせる野球中継を心から憎んでいた。 野球に限らずスポーツなど面白くもなんともなかった。 今でも、アイススケートやシンクロナイズドスイミングのように、 " 魅せる " のならまだ" 競う " だけのスポーツは嫌いです。 そんな私でも野茂投手には興味を持ったのは、 野茂さんはどこかに野球において、自分の中で、
"競う " 以外の何かを研ぎ澄ませているように感じたからかも知れません。
・ ・
引退表明の言葉で、
「プロ野球選手としてのパフォーマンスは出せないと思う」
「自分の中ではまだまだやりたい気持ちが強いが、
自分の気持ちだけで中途半端にしていても周りに迷惑をかけるだけだと思った」
「引退する時に悔いのない野球人生だったという人もいるが、僕の場合は悔いが残る」
と言っていて、
初めて寡黙な野茂さんが全力を賭けた野球人生というものがどういうものだったのか聞けた気がした。
・
マウンドに立つよりも三面記事に出ているほうが仕事なんじゃないかと思えるほど、
野球選手の多くが躍り出て不快な思いをさせられる浮ついた話やメディアを全く寄せ付けず、
ストイックなまでに野球に自分を捧げた人だったと思う。
このストイックさが格好いい。
イチローよりもかっこいい。
・ ・
野茂さん自体が好きですが、この引退表明の言葉は好きです。
自分のやってきたことに、人生に悔いはないと言い切れる人に対して、
私は多分ひがみもあるかもしれないけど、
そんな自己満足と自己完結で終わってしまう人に、
どこか不信と物足りなさを感じてしまいます。
どこかで、自分にそう言い聞かせて無理に納得させている部分はないのだろうかとか。
・
でも野茂さんは、自分にできなかったことはできなかった、足りないところは足りなかった、
と認め、それがすごく悔しいと悔し涙を流すほどだからこそ、
じゃあこの人が求める「本当の、悔いのない終わり」というものは、
遥か高みにあるんだろうけど、この人にはそれが確かに分かるんだろう、
この人が本当に「これで悔いのない野球人生の終わり」を引退表明したら、
私はその言葉に一切の不信も疑問もなく、心から祝福できるんだろうと思う。
・
でもこの「悔いの残った」終われなかった引退表明で、
悔しくてならない野茂さんを見れたからこそ、
野茂さんのパフォーマンスを楽しませてもらった観客の一人として、
この人が自分に課して研ぎ澄ませてきたものの完成度に、信頼を持てると思う。
・ ・
以前なんとなく目にした桑田真澄投手の引退ニュースとは180度正反対だと思う。
その人の野球人生そのもののようにグダグダと言い訳に終始したようなニュースだったと思う。
そして周りの人間が何か子供が転んで痛いのををいたわっているような、
奇妙になまあたたかく甘ったるい雰囲気がいやでした。
・
野茂さんは、誰の甘ったるいいたわりも批判も必要としないほど、
自分が一番自分に対して厳しいと思う。
自分にできることは自分が一番評価し、
自分ができないことには、自分が一番悔しい思いをしたと思う。
そういうストイック精神を漲らせている人は自然と外野の声を受け付けない。
人の評価に左右され振り回されるだけの、余剰のスペースを持たないほど、
自分が一番自分に対して求道し、もっともっとと要求していると思う。
・ ・
野球に関心のない私でも、このストイック精神から日本人という看板を背負う覚悟でアメリカに渡り、
その覚悟通りのことを成し遂げたこの人はすごいと思う。
この初めの一歩が桑田真澄投手じゃなくて良かったと思う。
野球界にとっても日本にとっても。
・
トルネード投法というものがものすごく身体を酷使するものだというのは、
誰が見ても明らかなことだったと思う。
それでも、それだけの犠牲を自分に課す覚悟とその犠牲の果てに、
右肩、右ひじ、右ひざの故障なんかがあっても、
そのようなことを犠牲として数えず、犠牲という意識を凌駕するほど、
自分にもっと野球ができることをと求めていたと思う。
・
トルネード投法というとんでもない、野茂さんの命を賭けたような、
命を削るようなパフォーマンスだと感じました。
あそこまでの水準を自分に課し、思考と努力と時間をかけて技術を磨き続けた、
ものすごい圧力というものをあのパフォーマンスそれ自体が物語っていました。
トルネード投法そのものより、それを生み出すまでの過程に、
自分に課したであろうとてつもないプレッシャーに感動しました。
・ ・
悔し涙を流したからと言って、かわいそうとも、
悔いの残る引退だからと言って、気の毒だとも思えません。
そういう崇高な感情は、自分という高嶺の限界に挑戦し続けた、
選ばれた人のみが到達できる心境であって、
凡人の凡百な、勘違いした同情などに汚されない、
手が届かないところにあるものだと思う。
・
なんて遠い処にいる人なのだろう、とだけ思うのみです。
それは一握りのプロのスポーツ選手が到達できる境地であり、
それが、スポーツというジャンルを越えて、人の在り方として、
多くの人の琴線に触れる物語になるものだと思う。 最後まで、かっこいい人だったと思います。 |
2. 2008/07/05 同日2番目 「篤姫の一言に、思う」 分類: 話の話 [この書込みのみ表示(記事URL紹介用) / 編集 / 削除 / トラックバック送信 / 共有分類に追加(タグ付け)](コメントする)先週の「篤姫」に、こんなやり取りがあった。 「生まれかわったら、何になりたい?」 ・ 家定様 「わしはもう、人間は嫌じゃ。 そうじゃ、鳥じゃ、鳥がいい。 好きなときに好きなところへ飛んで行ける鳥がいい・・・。」 篤姫 「私は・・・私のままでいとうございます。」
家定様 「そなたらしい答えじゃのう。」
・ ・
最近、「生まれ変わったら何になりたいか」という問いに、
「私は私のままでいたい」と答える人が、特に若い人に多いような気がする。
美しいまでに、完全に自己肯定する言葉だと思う。
羨ましくすらある。
自分が自分に満足してれば、犯罪とかも起こらないと思う。
一番逃げ場のない自分を嫌いになることが、一番救いがないことだと思う。
人間の、一番大きいストレスだと思う。
・
でも、自分という現状否定のために、人間は「物語」を創るものなのかもしれない。
篤姫が自分に満足している以上、見つけられなかった物語、
「人間が鳥になる」という物語を、家定様は見つけて。
自分に不満を見出すしかないのは辛いけど、
自分や運命なんかの現状を嫌だと思って逃げ出そうとして、
人間は、新しい可能性や地平を求めるものなのではないかと思う。
・ ・
そういう状態を、ある意味「青春」とも呼ぶのかもしれないと思う。
今の自分や現状に不満足を覚え、求める未来に向かって伸びよう、
伸びたい、と成長を求める過渡期。
自分が望む地平と、現状との距離に葛藤し、苦悩し、
挑戦したり、挫折したりする中間地点、
その過渡期を終えれば、後には停滞と枯渇があるだけだし。
・
だからあの場面で、枯渇しているように見えた家定様が、実は、
「鳥になりたい。」という途方もない可能性を物語る青春期にあり、
「私は私のままでいい。」という篤姫は、
他の物語を見出さない、停滞・枯渇状態にあったともいえるのかもしれない。
・
というのは皮肉にすぎる言い方かもしれないけど、
自分に満足を見出せる人の、なんと羨ましいことかと思うと同時に、
自分に救いを見出せない人に、何とか、自分の外に滲出する、物語を見つけてほしい、
というか、物語があってもいいんじゃないかと思う。
人それぞれ、自分と闘っている状態を、青春と呼ぶのかもしれないし。
そしてそういう「青春」は、挑戦と挫折と敗北の連続で、カッコ悪い、痛いものだけど。
・
篤姫はその後、眠る家定様の横で、
「私は私のままでいとうございます・・・。
だって私が私であって、あなたにお会いできたのですから(うろおぼえ)。」
と、その答えのロマンチックな動機を明かします。
・
篤姫自身の運命の変転の中で、最終的に行き着いた結論が、
自分自身を肯定するよりも、むしろ、
何よりも、家定様を肯定する方に比重のある発言であったことが、
あの場での「篤姫らしさ」だったと思います。
・ ・
それにしても、「篤姫」は、史実とはぜんぜん違う、ほとんどオリジナルでした。
それはそれでいいですけど、なんか、
製作側がご都合的に動かしてしまっているような、作為性を感じてしまいます。
作為こそ、物語ですが。
どれだけうまく嘘をつき、
どれだけ面白い作為を弄するか、でしかないものだと思う。
・
でも実際、篤姫自身、そんな思い切りのいい人ではなかっただろう、
くすぶっているものがあっただろうとか、
篤姫の立ち回りで、そんな風に、
周囲との軋轢を簡単に解消したりはしなかっただろうとか、
篤姫には、もっと風当たりの強い、
思うままにならない現実があっただろう、と思います。
・
ストーリー上ただ都合のいい怪傑者、という感じもしてしまいます。
いろんなことに葛藤し、煩悶しているであろう家定様の方が、
現実味があるように見えてしまいます。
史実では、家定様は真正の変人だったらしいですが。
そういう変人こそが国の中枢にいるという現実は、
昔も今も変わらないようです。
・
でも、人間にあるがままの狂気を、思わせぶりな理性で糊塗するよりも、
あるがままの狂気を剥き身でさらし、
さらさら自己正当化を図る意図のない、家定様のような人間は、
裏表のない、真実そのものの姿を現しているようで、安心できる感じがします。
・ ・
家定様、鳥になれればいいのにと思う。
もう、鳥でも魚でも、蟲でも水蒸気でも、
人間以外の、家定様自身以外の、何でもいいからと、祈るような気持ちがします。
人間ができることは、本当はあまりに小さく不完全だ。
祈っただけで、人間が鳥になることはできない。
・ ・ ・
「.hack//G.U」を読了したけど、最終巻はなんだか、
とんでもないことになっていて、何がなんだかわからなかったです。
浜崎達也さん・・・「.hack// AI buster」も読んで、
面白い、すごい物が書ける作家だと、頭が良いということはわかりましたが、
それをライトノベルでやらないでほしかったというか、
口と思考ばかり動かしてないで、キャラを動かしてほしかったです。
・
釈迦に喧嘩を売るような発言はすごく面白かったです。
「生きてるのか死んでるのかもわからないほどぐうたらしてたら悟っちゃった人」
って。
でも的確な発言でもあったので、むしろもっと読みたかったです。
ただそういう部分は、自分の思想記か、本格的な小説か何かの媒体を得て、
もっと詳細にした形で、ぶちまけてほしいと思います。
・
主人公のハセヲ=楚良でしたが、
楚良とは.hackシリーズ最初の、SIGNのキャラだったと思います。
もう何年も前の作品で、数年越しの伏線とは。
この作品、まだまだ十年越しの伏線までいきそうです。
小説のオチもぜんぜん読めないですし。
・ ・ ・
雑誌「Yom Yom」で、小野さんの「十二国記」最新作読み、
「華胥の幽夢」と同じ番外編でがっかりしてしまいました。
本編はいつ読めるのでしょう。
宝玉の鳥の描写は綺麗だと思いましたが、
こちらも思想ばかりが先行して人間がアクションしない・・・。 ・
思うところがあるなら、思想は思想記としてまとめ、
そちらで思う存分ぶちまけてから、小説は小説で、
生きた世界に生きる人間を、
アクションする世界にアクションする人間を、
別に書いてほしいと思います。
思想がアクションするのは紙の上、脳内だけであって、
実際の世界も人間も、それが生きているところは、紙の外、脳外なので。
実際、その人がどう考えたか、ということは、リアルにならない、
どう行動したかだけが、いつもリアルになることのような気がする。
・ ・ ・
最近話題のスピード社の水着が、世界新記録を乱立させてます、が・・・
私がすごいなあと思うのは、選手じゃなくもはや水着のほうになってしまってます。
道具に頼ってるような感じもして、どうなのだろうと思う。
別に薬物とは違うので違反ではないけど、どこか共通する感じもするような。
この「成果」が誰のものなのか、わからなくなってしまうところがあります。
選手なのか、水着のメーカーなのか。
・
自分が一番好きなことだから、そこで良い結果が出せればそれは嬉しいことだろうけれど、
結果さえよければ良いというところもないだろうか、
どこか、「水着」のおかげと、「自分の実力」を履き違えはしないだろうか、
そうしたときに、等身大の自分を見失い、見誤りはしないだろうか、
と、漠然と思います。 asuka さんのコメント (2008/07/18) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)] 雪霞さんこんにちわ。 返事遅れてすみません。 真摯なコメントありがとうございます。 全面的に、雪霞さんのおっしゃるとおりだと思います。 何であれ、自分に満足できる人は、私も羨ましいし、 人がそういられることに、こしたことはないと思います。 ・
でもおうおうにして人は、自分や世界に不満や不完全を見出すもので、
そんな時、今の状況や自分に囚われ、否定に走るのではなく、
逃避的ですが、物語で自分の中のバランスをとるというか、
そういうやりかたも、あっていいのではと思います。
・
物語の役割とは、人間が囚われているしかない地上的な現状に、
別の、飛翔などは、ありえないかもしれないけど、
空を見せる可能性を見せるもの、
思い切りネガティブな見方をすれば、
現実が闇でしかない人にとって、「夢」を見せるものかなと思います。
飛翔的な夢でなくても、
嫌いでたまらない自分や世界にたいして、少しでも好きになれるよう、
違った感じ方ができるよう、違った見方を提供するものとも思います。
・・・というか、わたしがそうであってほしいというか。
・ ・
いくら生まれ変わっても、記憶を引き継ぎできればいいのにと、
夢想することがあります。
更地から初めなければならない徒労を、恨めしく感じてしまいます。
無数の生まれ変わってきた体験の、失敗からも成功からもいくらでも学べるし、
学んだことを引き継いでいければ、膨大な知識が持てるからです。 雪霞 さんのコメント (2008/07/16) [編集/削除(書込み者/所有者が可能)] asukaさんこんばんは。 生まれ変わったら、の話、興味深く読みました。篤姫は見てないです。 asuka さんが自分のいろんな考えを言語化してこの場所に書くことは asuka さん自身にとってすごく意味のあることだと思ってます。 このコメントは決して、asuka さんの意見に異論があるとかそういうことじゃなくて、 ただ私の感じたことです。 あなたの考えは、あなたのもの。私の考えはこんな感じだけど、ちょっと聞いてくれる? みたいな。 世代の差もありますしね。 そういう違いがあることをお互いに知って受け入れたり、っていうのも悪くないだろうなと思って コメントします。もちろん asuka さんがこのコメントに反発を感じるのも自由ですよ。 生まれ変わって今と違うものに―― 若くても、年取ってても、現状に満足していれば 「生まれ変わってもこのままでいい」 と思い 今の状態や、これまで経験したできごとに不満や嫌なことがあれば、 「生まれ変わったら 違う人生を送ってみたい」 になる人が多いんじゃないかなと私は思うんです。 若い時に、楽しい学生生活を送り、好きな人と結婚して、仕事も順調で、友人にも恵まれて、 「僕は幸せだなあ、生まれ変わっても今の妻と結婚してこの仕事をしたい」 と思ってる人も、 20年、30年経つうちに、人生の山や谷を経験することになる。 たとえば女房が浮気した、子供がいじめにあって引きこもる、自分は会社をリストラされる、 健康診断で病気が見つかる、老親は介護が必要な状態になる、信頼していた人に裏切られる、 なんてことがひとつやふたつやみっつは起こる。 それでもやっぱり彼が 「生まれ変わっても同じ人生を」 って思うかどうか。
人の考えることって、その時その時で、変わっていくもの。 考え方をいい方向へ向けるようにしながら、今このときをとにかく生きていく。 生まれ変わったとき、今のこの人生の記憶は残っていないだろうしね。
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3. 2008/07/05 「死期」 分類: 体験談 [この書込みのみ表示(記事URL紹介用) / 編集 / 削除 / トラックバック送信 / 共有分類に追加(タグ付け)](コメントする)先日、ブックオフで立ち読みしてた(蟲師9巻)ら、ぐらっときた。 急激な眠気に襲われるような感じで、強い突風に横なぎにされるような。 何か体内が空疎な感じがあったので、 これはと思って急いで店を出ようとした、ら、 その場でくず折れそうなほど急速に脱力していった。 ・ 公衆の面前で倒れるような醜態をさらすわけにはいかないので、
店を出て自転車で走り出そうとしたけど、
その場で倒れそうなほど脱力していく。
・
体の中心が空洞になって、そこから冷気が吹き上げてくるような。
血液が霧散霧消していくような。
体温がどんどん低下して、頭から冷水を浴びたように、
死体のように、冷たく白くなってく、
手足の末端から痺れが這い上がってくる。
視界に白い泡があふれてはじける。
・
前兆はあったと思う。
起床したとき、脳だけが起きていて、体はまだ眠っているような、
意識と現実に亀裂感があるような。
身体症状を無視して、自動的に起床して自動的にご飯を食べ、
自動的に出かけることも、この症状のひとつで、
どこかの時点で、意識が真綿に絞め殺されている感じ。
・ ・
自転車こいでる場合じゃなかったけど、
まさか往来で倒れるようなことはできないので、
でも自転車こいでることもできなくなって、
人気のない駐車場にはいって、人目につかないように自動車の陰に隠れて、
自転車横倒しにして、その場でうずくまって耐えた。
・
この症状は、過度の便秘や、
牛乳飲んだり、食べあわせが悪かったり、ストレスで嘔吐するようになって、
消化器官の不調を自覚するようになった、5歳くらいのころから身に覚えがあり、
それ以来ずっと付き合っている人生の伴侶みたいな症状だったので、
とにかく、出すもの出せば楽になるので、嘔吐の用意をする。
車体に片手をついて体を支え、何度かえずく。
出ない。
・
一時間くらいその場で朦朧として、隙をついて走り始めるもやっぱり、
痺れ、体温低下、発汗、脱力、
視界に白い泡があふれてほとんど前が見えなくなったので、
また駐車場に入る。
・ ・
死にかけていくようだ、といつも思う。
ああ死ぬな、と思う。
いっそ一思いに死にたいと思うけど、
どうせならもっと楽に死なせてくれよ、といつも思う。
なんで私ばっかり、なんで私だけ、こんなに痛い死なんだろうと思う。
・
「他人の死」なんて経験したことがあるわけがないけど、
少なくとも、「穏やかな死」という言葉が意味するものはあるはずだ。
いつもこんな、通り魔に襲われるような、
暴漢みたいな死ではなく。
・ ・
ようやくコンビニのトイレに駆け込んだときには、
スチール写真に火をつけたように、視界に白い泡が溢れ、それが弾け、
目の前の光景に白い穴が開いていて、ほとんど何も見えない。
・
この症状は、貧血症状を自覚し始めた十代の初めごろから始まった。
最初、視界に現れるのは黒斑だった。
文字通り、視界が暗転して、意識は真っ黒な闇に墜落していく。
それが死の予兆に思えていたのは初めだけで、
貧血がより重症になり、自分は死ぬ、死ぬ自分、
という思考すら意識からトぶようになった時に現れたのが、
視界を覆う白斑だった。
・
痛みも、死も、より重症になるほど、
実は真っ黒な闇というイメージとは反対に、
光に呼ばれるように、白転するものなのだと知った。
・ ・
どこに消えていくのか知らないけど、血液が一気に抜き取られたように、
体温の低下と、体の中の空洞感、痺れ。
トイレで何度かえずくけど、やっぱり出ない。
出ないのが一番苦しい。
・
二時間くらいそこで意識朦朧としてた。
珍しく、清潔で広いトイレなのが、不幸中の幸いだった。
なんとか持ち直して帰ったけど、結局、嵐のような症状に襲われただけで、
それ以外何も起きなかった。
・ ・
自分の人生の歴史といえるくらいこの症状と付き合ってきたので、
もうこの痛みがほとんど、私といえるもの、
この痛みが人生の伴侶、アイデンティティみたいなものだ。
普通に食べて、入れて、収めて、出す、
という自然のサイクルを、私は経験したことがない。
まるで、入れるのも拒む、出すのも拒んでいる、噤んだ扉みたいで。
・
初めてこういう症状を自覚したのは5歳のときだったけど、
そのとき、ストレスで吐いて、便秘になって、クダシて、
一日中腹痛に悶絶してたと思う。
・
保育園に初めて行く日の前夜だったと思う。
自分とは異質な他者の存在が猛烈なストレスをもたらした。
要するに、想像上の他人の存在に対してさえ、
対人嫌悪と対人恐怖のあまり、気分が悪くなった。
次の日の朝、腹痛に苦しんで、吐いて、下した。
その日は保育園を休んだと思う。
・
幼稚園は平気だったのに、この時点で、他者とは異質な自我の確立を意識していた。
どこかの時点で、水の中に投げ込まれた石のように、
他者と融和不可能になっている自分を自覚した。
他者に容れられることも、他者を容れることも、拒まれ、拒み、
敵対者のように、互いに拒み合わねばならなくなった自分を意識していた。
・
他者を拒みきる自分の、安心できる居場所など、他者の中にはない。
他者の中にいて安心することを、自己自身が拒む。
他者と敵対する私に、人間社会の中での居場所はない。
その追い詰められる知覚がもたらす、袈裟切りにされるような、
肉体的な痛みとして知覚される猛烈なストレスが、体中に渦巻く。
自己と他者をつなぐ「信」という名の橋が、ぷつりと切れたようだった。
・ ・
異物を咀嚼し、嚥下し、
自分ではないものを、自分の一部として取り込み、取り込まれる、
食餌という、身体的に必然的なサイクルに違和感をおぼえ始めたのと同じ時期に、
他者を容れることも、容れられることも拒む扉になったと思う。
・
どこからが自己で、どこからが他者なのか、
むしろその確固とした自意識が曖昧なために、
却って必要以上に他者を排斥し、自己に執着したと思う。
・
自分が自分である、という情報、
名前も、性別も、年齢も、誰と住んでいて、家族には誰がいて、
好きなものは何で、嫌いなものは何で、何を望んでいて、どんな過去があって、
そういう自我の属性の意味を、痛みによって強盗される。
・
意識に上る情報が白色の痛み一色になって、痛みが「自分」になる。
痛みによるアイデンティティの拉致。
痛みによるアイデンティティの窃盗。
痛みによる、アイデンティティ・クライシス。
痛みによる、アイデンティティ・クラッシュ。
・ ・
初めのときは、痛みに自我が奪われそうになるのに、
憎悪や闘争心を掻き立てて抵抗していたと思う。
それから、神様に祈り、懇願し、取引を持ちかけ、
(いい子になるから助けてください、とか)
ひたすら神にすがって助けを求めた。
・
けれど痛みは、ひたすら私を、漂白して痛み一色に染め上げていった。
痛みは、自我よりも、神よりも強いのだと思った。
自我も神も凌駕するこの痛みこそが、
運命的な伴侶のように、私の上に垂れ込めているのだと思った。
・ ・
私の中で、痛みは、罰と結びついている。
私が知らないことで、わからないことで、
母の手によって、痛みが罰としてもたらされるように。
ならば今、私は、人間の懲罰をも超越した者の手によって、
痛みという罰をもたらされているのだ。
・
自分が自分であることの意味が、
痛みによって定期的にキャンセルされ白紙にされるほど、
罪深いものなのだ。
痛みとは罰のことであり、痛みがあるということは、
自動的に、そこに罪があることになるのだから。
私は神に贖罪するために、自分の罪を探した。
・ ・
だけど、どういう罪なのかがわからなかった。
一体、私の何の汚濁を灌げば許され、
ついに神と運命の罪と罰と痛みから解放されるのか、
どんなに考えてもわからなかった。
・
罰としての痛みだけはあるのに、自分の何の罪に対してなのか、
いくら考えてもわからない。
わからない限り、この罪と罰からは解放されない。
自分の無知に、殺意を覚えるほど憎悪した。
・
許しを乞い、すがり、信仰と善行を誓い、
最後には今、自分がここにいることを呪い、神を呪い、
呪えるものは手当たり次第に呪い、憎悪し、自我の手ごたえにすがりつこうとした。
それすらも、痛みの白い濁流が押し流していった。
・
そこには畢竟、自分が自分であることが最悪の罪悪なのだという結論しかなかった。
罪の意識それ自体が、自己の存在を憎悪する、切りつける痛みの刃となって、自己を罰した。
私が私であることの罪、罪を罰される痛み、
痛みに穿たれて生じた空洞のために、
私は最初から最後まで、他者から隔絶されていた。
未来永劫出られない、自分という牢獄に監禁されたように。
・ ・
そういう経験を繰り返していると、もういちいち、
痛みに奪われる「自分」を取り返すことが面倒に、無意味に感じられる。
どうせ、何を望んでようと、何を好きで、
何を嫌いだろうと、過去も未来も現在も、
この圧倒的な痛みの前では 意味を持たない。
「自分」の行き着くところ結末は、いつも、この痛み、
他の色も形も白一色に塗りつぶされるだけの存在なのだと思えてくる。
・
どうせ、死の過程である、この痛みによって「自分」は奪われ続け、
痛みの延長でしかない死によって、最終的には奪還不可能になる存在、
そういう束の間でしかない「自分」を奪われ、
束の間取り返して慰撫するのが無駄に思え、疲れ、飽いてくる。
・
痛みが去った後には、圧倒的な痛みによって思い知らされた、
「自分」という幻想に打ちのめされて、空っぽになる。
身体の中に、ごっそりとくりぬいたような空洞を生じさせるためだけに、
痛みは、私に対して、意図的に機能しているのではないかとすら思えてくる。
・
いちいち奪われるなら、いっそのこと「自分」なんか、もう要らないよと思う。
私にとってリアルは、死と痛みだけだった。
生など、死の闇の中で見る、美しくも妄想的な幻夢でしかなかった。
・ ・
痛みによる意味の強奪と、束の間の奪還の果て、
断続的な死と、断片的な生の果てに、
死による完全なる喪失しかないとは、
自分というものの、生というものの、
なんていうブラック・ユーモアだろうと思う。
posted by アガリ あんた、死刑囚なのか?
そうさ、あらゆる人間と同じようにな。
「伝染病」アゴタ・クリストフ
・ ・ ・
みんなは路傍で、自転車、タンス、犬、子供などを失くした。
彼女は自分を失くしたのだ。
「私はもう私ではないわ」という声だけがあった。
まるで私がここにいないみたいだわ。
「私はここにいないのよ」と言うために、ここにいるみたいだわ。
・
この世の外といった感じだった。
彼女の血管の中の血は、乾ききってしまった。
空間と時間とが、彼女の周囲で破裂してしまった。
彼女は、思い出も、欲望もなく、永遠にそこにいた。
エレーヌは永遠になった。
始めも、終わりもない、不思議な妄想の中に漂っているみたいだった。
・ ・
いたるところに、取り返しのつかない、償うことのできない罪があった。
存在するという罪だ。
うら哀しい灯。戸外に降っている霧雨。
それに、私は。ここにいる。
なぜ、ここにいるの?
私が。私ってだれ?
私って言うだれかよ。
私はいつでもここにいたし、いつもいるだろう。
永久に。
「なんにもならないわ」と彼女は言った。
どんな風にしたって、悪夢の中にいるみたいに、同じところにいるのだ。
・ ・
だが、僕はここにいないのだ。
あらゆる存在のかなたの話だ。
世界が彼女から離れる。
世界が崩れる。
・
彼女は、この地上でなんでもなかったみたいだ。
僕もなんでもないみたいだ。
全世界のすべての人々に対して現存し、また彼らから永久に引き離されている。
路上の石のように、罪深く、また無害だ。
とても重くて、また重みがない。
・
僕は彼らを押しつぶす石なのだ。
僕は呪いを永久に免れることはないだろう。
僕は永久に、彼らにとって他人であり、彼らにとって宿命の盲目的な力であり、
永久に、彼らから引き離されている。
・ ・
不在、不可能な存在以外に、白いものなどない。
「他人の血」ボーヴォワール
・ ・ ・
穏やかな死だ、と静信は思う。
もちろん死そのものの意味は変わらないのだが、死とはこうあるべきだという気がした。
順当な死。
人として生まれ、村で青年として過ごし、仕事を得て家庭を持ち、その営みを終えた。
ようやく病床を離れ、苦痛からも家族への気遣いからも解放された。
この先の悲劇を知らずに済む。
・ ・
「 死は誰にとっても酷いことなのよ。
――― 知らなかったの ?
死は等価なの。
特別に酷い死も、酷くない死もないわ。
だからこそ死は恐ろしいの」
「年齢も個人のパーソナリティーも関係がない、
そうやってその人が拠って立つところを全部、無意味なものにしてしまうから、
どんな死も酷いことなの。」
・
死は普遍的な現象だ。
生まれた以上、死なない人間はいない。
――― もちろん、人は死ぬ。
生まれたばかりの乳児が死ぬこともあれば、少女が死ぬこともある。
そもそも人の生などというものは、
持続するはずだという希望的観測のもとに成り立った幻想でしかない。
生死は表裏一体のものだ。
生きている、ということは、死ぬかもしれない、ということとまぎれもなく同義だ。
・
無に帰す、とはこういうことか、と静信は思った。
人の拠って立つところを、すべて無意味なものに還元してしまう。
静信は自分の両手を見る。
自分がここに存在する、ということ。
自明のこととして知覚されるそれは、死という現象を前にして揺らぐ。
だから人は死を恐れずにいられない。
・ ・ ・
「真に不思議なのは人という命の由来ではないんです。
人という器の中に宿った人格の由来なんですよ。
そしてその自我こそが、人が人たる所以でしょう。
それは虚空に出現し、落下して消える。
・
自我こそが自分を自分として成り立たせているのに、
これは落下するだけのもの、滅び去るだけの運命のものです。
虚しいからこそ、人はその自我の存続期間に意味を付与しないではいられないんじゃないかな。
だから、そこに囚われて虚無感に喘ぐ沙子や正志郎を、ぼくは肯定する。
・
全てのものは滅びる。
意味なんてものは飛散して消失する。
滝みたいなものかな。
水が落ちていくだけのことだけど、あれは見応えがある。
水が涸れれば惜しいと思う。
――― そういう感じ 」
・ ・
「貧血に始まる諸症状、それは最終的に多臓器不全に至る。
どの患者にも顕著なのは、皮膚の蒼白に虚脱、冷汗、脈拍の触知不良、呼吸不全だ。
血液は希釈され、貧血が現れる。
組織は低酸素状態になり、生体の代償機構が作動する。
血圧を維持するために交感神経が緊張する。
呼吸、脈拍は速くなって血管は収縮する。
このため皮膚温度は低下し、末梢血と中枢温の体温差が増大する。
手足が異常に冷たい感じがするし、冷汗をかくようになる。
・
血液の中心化が起こる。
重要臓器に優先的に血流を振り分けようとするんだ。
このために、顧みられなかった他の末梢組織ではさらに血流低下を招くことになる。
それで顔面や手足は蒼白になる。
顔色が悪い、息が荒い、
交感神経が緊張して消化器系は虚血傾向を起こすから食欲が落ちる。
血流の減少とヘモグロビンの減少から細胞では低酸素状態になる。
このために、生体は嫌気性代謝へと移行する。
乳酸が過剰に生産され、血液のPHは下がり、
重炭酸イオンは減少して代謝性アシドーシスが発生する。
これが進行すると不整脈が起こり、血圧は低下し、意識障害が起こる」
・
「血管浸透性は亢進して、血管から細胞へと水分が流出するようになる。
血小板は凝集して減少する。
肺障害、腎不全、心筋虚血から来る心機能低下。
ここからさらに心原性ショックを併発することがあるし、
血小板の減少から凝固因子が活性化されて血栓を生じ、
これがそれこそ心臓の冠動脈を直撃することもある。
生体は統一的な自己保持の能力を完全に失ってしまう。」
・ ・ ・
世界は美しく調和していた。
彼は常に、世界との間にひとつの齟齬を感じ続けてきた。
彼はその調和に焦がれたが、いったん彼がそこに入ると、すべての調和は台無しになった。
彼は決して絵の中には入れず、
絵の中の世界は彼抜きで瑕瑾なく調和していることを思い知らねばならなかった。
彼はただ彼自身であるがゆえに許されないのだと、そう理解するしかなかった。
・
「神様を信じたい、それに殉じたい、なのに神様が見つからない。」
掲げられるべき神を持たない空洞の祭壇。
空洞の教会、空洞の祭壇、司祭はいても神がいない。
身体のどこかに暗黒がある。
――― この身体には虚無が巣くっている。
・ ・
「屍鬼になるということは、孤絶を意味する。
血縁に象徴されるあらゆる縁からの隔絶。
ばらばらになり、君はいかなる集団にももはや縁を持てない。
いかなる縁の中にも戻ることができない。
君たちは流浪の民だ。
――― 君たちは異端者だ。」
「屍鬼」小野不由美 |
4. 2008/06/21 「全知、知、無知、白痴」 分類: 体験談 [この書込みのみ表示(記事URL紹介用) / 編集 / 削除 / トラックバック送信 / 共有分類に追加(タグ付け)](コメントする)7歳の時、算数ドリルに、ナイフのように握り締めた鉛筆を突き立てた。 そのままぐちゃぐちゃと真っ黒な線を引いた。 芯が折れた鉛筆で線を引き続け、紙を突き破り、頁を真っ黒に塗りつぶした。 鉛筆を投げ捨て、ドリルの頁を一枚一枚破り捨て、ドリルを真っ二つに、 半分に、また半分に、引き裂いた。 残骸を壁に叩きつけ、蹴り飛ばした。 私は次々とドリルを引き破っていった。
私の中の闇は、ドリルを喰らったのだ。
・ ・
また私は学んだ。
今ここで罰せられているのは、「間違ったこと」に対してではなく、
「知らない」ことに対してなのだ。
私は、間違うことを許されていないのだ、
何もかもを「知って」いなければならないのだ、初めから、神のように。
・
罰せられているのは、「間違った」ことに大してではなくて、
私が「知らない」ことに対して、「わからない」ことに対してなのだ。
私は、最初から、「わかって」いて、「知って」いなければならなかったのだ。
でなければ、罰せられる。
・
でなければ、「わかったかってきいてんだよ!」
「さっき説明したじゃねえか! なんでわからねえんだよ!」
と怒鳴られ、叩かれる。
私は最初から全てを知っていなければならなかったのだ。
・
私が「わからない」「知らない」という状態は、リアルにとって、存在してはいけないこと、
それはリアルにとって、嘘だから、虚構だから、
私は「わからない」という言葉を、リアルにとって、破棄されなければならないもの、
リアルになれないものを葬るための、ごみ溜めに放り込んで、
内なる虚闇に放り込んで、バーチャル化する。
・
「知らない」ことが、犯罪的に許されず、「知らないことが間違っている」勉強。
そして私は、リアルの中で「わかった」と言い続ける。
そして、虚だけが、そこで、リアルから追放されたリアルの果てで、世界の果てで、
私が何を知っていようと、何を知らずにいようと無関係に、喰らい続け膨張し、
リアルの全てを喰らうために、笑っていた。
・ ・
神の様に全てを知っていなければならなかった私は、
わかっていなければならないほど、自分が知らないことに圧倒され、
認識の指の隙間から、不可知のものが零れ落ち、
白痴の様に、何もわからなくなっていった。
・
もう何も、私には、リアルも、バーチャルも、父も、母も、兄姉も、
人間も、社会も、命も、世界の成り立ちも、神も、
知るというプロセスも、知らないという状態も、
自分の痛みも、精神状態も、心も、虚に全て放り込み、わからなくなっていたけれど。
・
時々、叩かれている最中でも、急激に虚が膨張し、
発作的な笑みが膨れ上がってしまうのが、困った。
私の笑顔は、私の意志や感情と連動しておらず、自分でもコントロールが効かず、
私をうろたえさせ、怖がらせる。
・ ・
私にとって「勉強」とは、一種のゲーム、差別的コミュニケーション、あるレッスン。
私にとって、「勉強」とは、社会の中で「知っている」持てる強者から、
「知らない」持たざる弱者であることの罰を受け、社会不適格者の悪人として矯正され、
社会的弱者且つ社会不適格者の悪人であることで、負け組みであることで、
社会的強者である「持てるもの」から、勝ち組から、搾取に甘んじること、を意味した。
・
私にとって勉強とは、弱肉強食の差別社会、階級社会の中で、
自分が、強者の嗜虐心を満たす弱者の立場であることをすみやかに理解し、
強者には、弱者をわめき、叩き、嘲ける資格があることを速やかに学び、
ただそれに耐えるために、石化することを覚え、
痛みを飲み込む虚を育てる糧にするレッスン。
・
彼らが私に痛みを与えている、彼らが私を傷つけているなどという、
彼らの私への影響力、支配力があるなどということを認めないため、
誰の影響も受けない、誰も存在しない、
台風の目のような虚を強化するレッスン。
・
リアルの痛みを全て飲み込み、バーチャル化させた虚が、
リアルの彼らに、リアルではバーチャルでしかなかった痛みの全てを叩き返し、
リアルとバーチャルを逆転させ、リアルへのバーチャルの勝利を果たし、
強者と弱者、持てるものと持たざるもの、裁かれる者と裁く者、
上下関係でしかない親子関係の中で、子供が親の覇権を奪うための、
時間と忍耐だけを味方にした、水面下での権力闘争。
・
私にとって勉強とは、罵詈雑言で鼓膜を劈かれること。
ひたすら叩かれること。
嘲笑されること。
痛みを受けることにも与えることにも、痛みそれ自体に、
何も感じない、機械的な強さを得るためのレッスン。
・
私にとって「勉強する」とは、
寝静まった家の闇の中で、包丁を握って立ち竦み、
次の一歩を踏み出すための強さを得るため、強さの糧になる痛みを得るための、
肉と血の臭いのするレッスン。
・ ・
私は学校で、教師がわめきも嘲りも、叩きもしないことが怖かった。
生徒が、誰も石化していないのが怖かった。
教師は機械など相手にしていなかった。
生徒は、機械になるために、そこにいるのではなかった。
私のシステムとは違っていた。
私がいる社会とは違っていた。
・
私を機能させている社会、私がそこで、機能している社会とは違っていた。
私には理解できなかった。
そこは、私にはわからない、もうひとつの社会だった。
私には理解できないものが怖かった。
・
私に「わからない」ことばかりをつきつける、このもうひとつの社会を憎んだ。
私が「知らない」ことの罪を暴き、
私を必然的に間違った存在にするシステムを憎んだ。
白紙のテスト用紙は私の無知という罪悪を晒し、
答案用紙の上では、私が何個丸のついた存在で、何個バツのついた存在かを決定する。
私の罪悪である、「知らない」を暴く、このシステムを憎んだ。
・ ・
生徒と教師たちは、私にはわからない動機で「勉強」していた。
生徒たちは、勉強することで、勉強という道具で、
今の自分からもうひとつの自分へ、今から未来へ、
多岐に広がる自分へと、移行しているようだった。
それは、流動的、有機的、一過性のもの、生命的な行為のように見えた。
・
教師も生徒も、「わからない」から出発し、「わからない」の中に存在し、
そして「わかった」か、またもうひとつの、「わからない」へと移行していった。
勉強というものは、自分から働きかけることであり、
圧制的なもの、ただ上から降りかかってくる、
打擲の手に耐えていればいいというものではないようだった。
硬直的なものではなく、移行的なもの、
外的にも内的にも、流動的、生命的なもののようだった。
・
私はそこで、どのように機能すればいいのかわからなかった。
私がいたところは、親と一致しない感情や思考や行動は、
リアルとして存在する権利を認められず、
ただ耐え、自分を不在化して、
個という恐怖と脅威を主張さえしなければ、それでいいところだった。
・ ・
ウチでは、勉強が「できるか」「できないか」などは、実は問題ではなかった。
現に、大幅に成績が落ちても、親は特に取り乱さなかった。
唯一の問題は、親の、「彼らの社会」の異分子になること。
彼らの意識と一致せず、彼らの(あるいは)無意識から零れ落ちること。
彼らの意識、無意識が、ネットワークのように張り巡らされた、
共同体の異分子たる個になること。
・
唯一の問題は、親の、無意識的、あるいは暗黙の価値観に不一致を起こすこと、
違和をもたらすこと、共同体を揺るがすこと。
子供が、他者が、彼らの分身、彼らのコピー人間、彼らと一致して不和を起こさない、
彼らにとって、とても安心できる存在になること、が問題なのだ。
・
だから彼らにとって、あれほど私に適応を迫った社会は、
実は私が考えていたような、もうひとつの社会のことではなかった。
私の中では、家庭内社会と外部的社会との軋轢と葛藤があったけど、
実は彼らがあれほど連呼していた「社会」は、彼らの個人的社会でしかなかった。
・ ・
彼らの意識的無意識的価値観が社会だから、
彼らに一致しない個は、世界の外、「彼らの社会」の外へ、
彼らの認識の範疇外、リアルの外、バーチャルへ、不在へと零れ落ちることなのだ。
彼らの採点方法では、彼らに不一致なものは、存在していない、0点なのだ。
彼らの影響を受けず、彼らと一致しない、
ソトの社会と他者は、彼らにとって0点なのだ。
・
親が何を容認しているかは、言葉で説明されない事が多く、
行動で推測するしかなく、
それが「正解」かどうかは、親が激しい反応を示すか、
親に共感的な反応をもらえたか、で判断する。
言葉で何も言わなくても、態度が暴力を肯定しているのなら、
私の暴力を否定するような言葉や態度は、親への敵対なのだ。
・
だからウチにとって、人殺しは悪いことではなかった。
むしろ殺してもよかった。
だからテレビで、人殺しが法律の裁きを受けたというニュースを聞いて、私は驚いた。
殺されるほうが悪いのに、弱いからやられるのは当然なのに、
強い者は弱い者に何をしてもいいのに、
いつ殺されてもおかしくなく、いつ殺してもおかしくない、
そう自分に言い聞かせて、私は日々、いるのに。
なぜ、人を殺してはいけないと、
ソトの世界では言われているのか、私は悩んだ。
・
私のいた社会は、外的なものも、内的なものも、機械的に、
世界が静止しているように、硬直していた。
私を今、ここに在らしめているはずの生命は、
私にはもう、宇宙の果てと同じくらい、わからないものになっていた。
・
私にとって、「生きる」とは、まだ読んだことのない物語のように虚構だった、
命とは、微かなイメージでしかなかった、
私の存在が、今ここにいることは、バーチャルでしかなかった、
私の中のリアルでは、命は石化し、人間は機械で、存在は不在だった。
・
何が正しく、何が間違っているか、どうあらねばならないか、
痛みという、流動的不安定さのない機械仕掛けの人間であることを求められ、
世界であることを求める、
私にとって勉強とは、私が、世界が機械化していくものでしかなかった。
・
生徒たちは、成長し、勉強し、学習し、そのための目的を持っていた。
教師は生徒を学ばせ、成長させ、そうするための目的を持っていた。
機械は成長したりしない、
機械は勉強しない、
機械は覚えるだけ、
機械は、目的も動機も持たない。
・
実は彼らの「勉強」の目的は、成績を上げることではなく、
彼らの共同体に脅威を与えない、個を排した機械的人間になることの教授だったかもしれない。
それはソトの社会では機能しないけど、
「彼らの社会」では成績優秀な人材を育成するレッスンだったのかもしれない。
・ ・
今の私には、自分が今、ここにいる事実の全て、私を取り巻く全て、
意思も感情も、思考も精神も、痛みも望みも、生も命も、存在も不在も、
家族も人間も、社会も世界も、リアルもバーチャルも、自己も他者も、
どの大学で、誰に教われば答えが見つかるのかと悩むくらい、何もわからなかった。
・
全く逆の価値を持つ二つの社会に、同時に適応することなど、私にはできなかった。
私のいた社会にとって、相反する価値観だし、
そもそも彼らが生命体であるなら、私は機械だし、
そう教わってきたし、そうなろうと努力してきたことなので、
私には、彼らを理解することなどできなかった、否定するしかなかった。
彼らも、私を理解することなどできるはずもなかっただろう。
・ ・
私は小中を通して、問題児になった。
私が理解できる形での社会を、私に理解できないその社会の中へ、
現出させようとしたからだ。
でなければ、私の居場所がなかった。
その居場所以外のところでは、私は機能できない。
・
弱肉強食、やられるほうが悪い、やったもの勝ち、
人間の選別、聖別、痛みによる人間の強化、機械化、
手段としての暴力、統制、
つまり、いじめの構造を。
・
勉強することは、社会的な行為なのかもしれないが、
そもそも私が、人間は機械だと言われた時点で、
私が、痛みに強い「機械」になろうと頑張り始めた時点で、
「人間」の社会に私の居場所はなくなったのだ。
・
「お前みたいなやつは世界に一人もいない、
誰もお前を理解しない、お前は世界に一人ぼっちだ」、
と宣言された時点で、私は、社会的に抹殺された存在であることを宣告され、
私の社会性は死刑宣告を受けたのだ。
・
勉強するとは、私の社会不適格性を糾弾し、
私が、永遠に勉強のできない、
不完全な、非社会的存在であることを裁き続ける、
更生なき矯正だった。
・
どうすれば正しい存在になれるのか、
どうすれば、私が私であるという罪悪を禊げるのか、
どうすれば、間違った存在でなくなるのか、
どうすれば正解が見つかるのか、
見つからない答えを探し続ける問題の中で、
自分をこぼし続け、見失いながら。
posted by アガリ 突然、ロリはすごい勢いでその本をテーブルからはたき落とした。
そしてテーブルをまわりこむと、今度は本をラジエーターに向かって蹴飛ばした。
本をつかみ、鮮やかな色のイラストをびりびりと引き裂いた。
ロリはわたしに向かって叫んだ。
「本なんて読みたくない。
読みたいと思ったことなんて一度もない。
読み方なんか大きらい! 」
・
それから言葉は涙にのみこまれ、すすり泣きが続くなか、
読み方の手引きのページが次々と破り棄てられていった。
顔中涙だらけになり、ロリは逆上して我を忘れていた。
本を引っかき、彼女の爪が紙を引き裂いた。
教科書の最後のページをくしゃくしゃに投げ捨ててから、
ロリは表紙をテーブルの後ろの窓に激しく投げつけた。
「よその子」トリイ・ヘイデン
・ ・ ・
「つまり、あたしはあたしっていうこと。
自分でもわかってるんだ。
自分が頭がよくないってことが。 あたし、ばかだもん」
・
「たとえば教室でさあ、誰かが何かいったときに、
他の子はみんな一回でわかるのに、あたしは、ぜったいそんなことないもの。
あたしは、きいたときはわかったと思うんだけど、
でもそのあとでいろいろ疑問がでてくるんだ。
・
こういう場合はどうなるの? とか。
こういう場合には正しいかもしれないけど、
でも別の場合でも正しいんだろうか、とかね。
それが正しくないときがあると思うと、きまって、
でも中には正しいときもあるって思えてくる。
・
それで気づいたんだけど、あたしがまったく理解できない領域が、
こんなにあるのに、みんなはわかっているけど、
あたしにはわからない。
これではっきりわかったんだ。
あたしは、頭が、超悪いんだって。
だってあたしは、ほんのちょっとのことしかわからないんだから」
・
シーラの頬がまだらになってきて、
彼女のこの件への思い入れの激しさがよくわかった。
「あたし、才能なんてないんだよ、トリイ。 自分でわかるもん。
だからあたしに、みんなと同じだけわかっていろといわれたって無理なんだよ」
・
シーラはしばらくのあいだ唇を噛みしめていた。
「もしあたしが、そんなに頭がいいんだとしたら、
なんであんなに自分がばかみたいに感じるの?
知らないほうがわかっていて、知ってるほうがわかってないように、
世界を逆さまにする才能って、いったいどんな才能なんだろ」
「タイガーと呼ばれた子」トリイ・ヘイデン
・ ・ ・
多くのことを中途半端に知るよりは、むしろ何事も知らぬことを選ぶ。
他人の見解にしたがって賢者であるよりは、むしろ自力だけを当てにする阿呆でいよう。
わたしは ――― 知識の根底にまで下りてゆくのだ。
――― その底が大きかろうと小さかろうと、それが何だというのだ?
その名が沼だろうと天だろうと、それがなんだというのだ?
・ ・
――― 手のひら大の根底。
その上に人は立つことができる。
もしそれが本当に根底となり基礎になりうるものであるなら!
――― このことのために、私は他の一切を投げ捨てた。
このことのために、私には他の一切が無関心事となった。
私の知の隣には、私の暗黒の無知が住んでいる。
ツァラトゥストラ |
5. 2008/06/14 「レッスン風景」 分類: 体験談 [この書込みのみ表示(記事URL紹介用) / 編集 / 削除 / トラックバック送信 / 共有分類に追加(タグ付け)](コメントする)読み書きを親に教わったのは、小学校に上がる前。 電気の消えた薄暗い台所で、母の個人教授を受けた。 お勉強するよ、といわれたときの、母の薄ら笑いを今でも不気味に覚えている。 ・ 母の暇つぶしだったのかもしれない。 母はよく、家から逃げるように一日中どこかに出かけてばかりいて、 時には朝から夜まで帰らないこともあり、留まることを知らなかった。
どう向き合っていいのかわからない子供と二人で家に取り残されて、
何か意味のあることをして、自分の、相手に対しての、
「わからない」という恐怖を、埋めようとしたのかもしれない。
・ ・
私は母が、というより、家族が嫌いだったけど、いつも、母の尻に抱きついて、
母が嘲笑的に笑って振りほどこうとしても、しがみついて離れなかった。
母が好きだったからではない。
私は冷たい空気に取り巻かれ、死体のようにどんどん体温を奪われて、
冷たく凍りついた世界に、どんどん落ちていくような感じがしたから、
不安と恐怖で、誰かに、誰でもいい、それが、悪魔でもいい、
誰かにしがみつかずにはいられなかったから。
・
母の個人教授という機会は、母の関心がほしくてたまらなかった私にとって、
母のおこぼれみたいな優しさや、叫んだり叩いたり、キレたりしない、
非常にしかない、普通に接してもらえる僅かな時間の捻出に、一喜一憂していた私にとっては、
嬉しいことのはずだったと思う。
けど、母の含みのある笑いを見た瞬間、母のレッスンの意図がわかった気がした。
・
母は、私の隣に座り、なぜか熱気を帯びた体を、私を押し倒さんばかりに押し付けて、
わたしに「あいうえお」から教え始めた。
手に鉛筆を握らされる。
こう、こう書くの。
母は紙を突き破らんばかりに爪で指して、指示する。
間違える。
母は、寛大に許し、根気強く私に教育する。
間違え続ける。
母が大音量で耳元で叫ぶ。
声が大きすぎて、何を言っているのかもわからない。
叩く。
私は、このレッスンの意図を理解した。
私にできることは、母にやりたいようにやらせるだけ。
・
読み方は、母のおかげで身についた。
私ができるようになると、母のテンションは一気に冷め、関心を失くしたたようだった。
だけど、今度は、足し算引き算を教えてくれると、嬉々としていう。
足し算引き算は、読み書きよりも難しかった。
母が、歯を食いしばるような声で、辛抱強く、頭の悪い私に、慈悲深く教育を施す。
私は何度も間違える。
そもそも、何を教えられているのかもわからない。
耳元で母が金切り声を上げる。
叩く。
・
母の努力を無駄にする。母の努力に応えない。
母と同じくらいの努力することを惜しむ。
だめな子。頭の悪い子。ずぼらな子。いい加減な子。
人の努力を無駄にする子。人の好意を無駄にする子。
こんなにこの子のためにしてやってるのに、
人の期待に応えない、悪い子供。
・
実際にそう言葉で言われたわけではなく、母はほとんど意味のないことを叫んでいただけだけど、
言葉よりも雄弁に、母の言わんとすることは伝わった。
教えられている時間より、叫ばれ、叩かれている時間のほうが長くなってくる。
間違える。叫ばれる。叩かれる。
いっそ私の醜い頭から脳みそをたたき出したいと考えているような、憎々しげに、嫌悪をこめた手。
・
母のエネルギーは尽きない。
いつもの無気力で無関心な様子は消え、活き活きとして、溌剌として元気そうだ。
こんなに元気そうな母は見たことがない。
いつも、いつも死にそうなほど無気力で、病気かなにかなのか、
いつ大病するかと不安になるほどだったのに。
私の「お勉強」に対する母の情熱はすさまじく、
ほとんど昼から夜まで、一日何時間でも、毎日、何年も続いた。
叫ばれ、叩かれ、嘲笑され、罵倒されるのが続いた。
・
私は永遠に、このルーティーンから解放されない絶望に支配される。
誰か助けてと思う。私を解放してと思う。
電話がかかってくる、来客がある、ほっとする。
母はまるで今まで何もないかのように、家に何もないかのように、
家に自分以外の誰もいなかったように、愛想良く応対する。
戻ってくる。憎々しげに私に算数を根気強く教え始める。
私は、今、ここ、とは無関係に回っている世界は、全て虚構だと思う。
世界は、今、ここ、憎悪の漲る母と私の一劇場を残して、全て死んでいると思う。
・
正解する。「あってるじゃない。そうよ。」
嘲笑気味に唇をゆがめて笑う母は、残念そうだ。
答え合わせのとき、正解していたにもかかわらず、
母は機械的に、正しい答えを出した私を叩いた。
「あ、間違えちゃった。あってた。」
・ ・
親は子供の幸せを願うもの、子供は親の幸せを願うもの。
親の幸せが子供の幸せ、子供の幸せが親の幸せ。
私は、母を今まで一度も幸せにすることができなかった。
だけど今、私の隣で、初めて、母は楽しそうで、元気に溌剌としていて、
活き活きとして、面白そうだ。
私は、初めて母を幸せにできたのだ。
幸せそのものじゃないけど、少なくとも、幸せの一種を味わわせることが。
・
それは、わたしが粘土の固まりのようにされるがままにされているということで、
初めて可能になった。
声もなく、言葉もなく、抵抗もなく、涙もなく、
頭が良くて、何でもできて、根気強くて、慈悲深くて、子供思いで、
「すばらしいお母さん」を立てる代わりに、
頭が悪く、努力せず、酷薄で、親不孝な「駄目な子供」という汚濁の一切をかぶることで。
・
お母さんは、私が悪い、駄目な、できない子供のほうが、
自分が良い気になれて、幸せなんだ。
私が悪い子供になることが、お母さんに存在意義を与え、幸せにするんだ。
お母さんを出し抜いて自分だけ幸せになったりしない、お母さん以上に幸せになったりしない、
お母さんよりも不幸な子供になって、初めてお母さんを幸せにできる。
私の不幸がお母さんの幸せ、お母さんの幸せが私の幸せ、
私の不幸が私の幸せ。
それは幸せではなく、嗜虐心を満たされた、快感でしかないけれど。
・ ・
いつも、母の手が空くお昼過ぎころになると、「お勉強」の時間。
私は呼ばれ、母は私の体に押し付けるようにして密着し、
私のどんな些細な間違いも見落とさず注視し、罰する。
答えを間違えたり、私の話し方が、
「小さい」「聞こえない」「はきはきしゃべれ」という理由で叫ばれ、叩かれ、
母の質問に「早く答えろ」「何とかいえ」「間違えるな」と叫ばれ、叩かれ、
書き文字を「濃く」「ちゃんと」「正しい答えを」書けと叫ばれ、叩かれ、
私の表情が「暗い」教えてやっている母に対して「嫌そうな顔」をするなと叫ばれ、
叩かれる。
・
鉛筆を握る力もなく、鉛筆を取り落としそうになるほど生気の失せた私の手を、
母の手が押しつぶす勢いで握り締める。
「鉛筆をちゃんと持て」と叫ばれ、叩かれる。
「読める字を書け」と、握りつぶす勢いで母の手が私の手を握り締め、
母が動かす力で、私の手の中の鉛筆の線を引く。
鉛筆の芯が折れる。
・ ・
ここにいるのが私じゃなくて、完全に母の欲求と、感情と、要求と一致した、母のコピー人間なら、
すべてが完璧にうまくいっただろう。
たぶん母が見ていた私は、ボタンを押しても録音機能の正常に作動しない、
半壊した機械だったのだろう。
・
全てを母の行動と一致させることができる、母の分身なら、
母が書かせたいとおりの字を書くことができ、母が見たいとおりの表情を浮かべることができ、
母が望むとおりの答えをいうことができる人間なら、そして、そのどれもできない私ではなく、
ここにいるのが私ではなく、母が望むとおりの話し方ができる人間なら、
私にこのような脅威は降りかからないだろう。
母がこんなに叫び、叩き、
「お前のせいで胃が痛いッ! お前のせいで心臓が痛いッ! 前のせいで頭が痛いッ! 」
と、私のせいで、苦しむこともなかっただろう。
・
私が私であることが、母と対する個であることが、
母と一致しない母の分身でないこと自体が、母に背反しているのだ。
私が母ではなく、私であること自体が、母に背く罪なのだ、
そしてこうして罰せられているのだ。
私が私であることの罪と痛みを、造反と脅威を、こうしてレッスンされているのだ。
・ ・
母が私を望んでいないのは明らかだった。
母が、私以上のできのいい人間、母の望みと完璧に一致する人間が、
ここにいることを望んでいるのは、明らかだった。
私ではなくて。
母の望みを邪魔しているのは私で、望みの満たされない母を不幸にしているのは、
ここにいる私であることは、間違いなかった。
・
母の不幸の一切、母の「望まない」現実の一切への、復讐だった。
母にとって「間違っている」一切への罰だった。
母の望みが満たされることを阻害する、障害物を叩き壊すための儀式だった。
ひとつの儀式、ひとつのコミュニケーションだった。
私から、無知という悪魔を追い払うための、悪魔祓いの儀式だった。
・ ・
私は、心の奥底で、笑いがこみ上げてくるのを感じた。
というか、私の中に他人がいて、その誰かが私の意思に関係なく、笑っているようだった。
誰かが私の中で笑い始めて、初めて私は、その誰かを見つけた。
自尊心の擁立を、5歳児に依存している母の稚拙さが、可笑しくて、哀しかった。
追い詰められれば追い詰められるほど、私の中で凶暴な何かが育まれていくのを、
母が知らないことに、内心笑った。
暗い部屋で、 独り言みたいな絶叫を上げ、
うんともすんともいわない人形みたいな私を叩きまくっているのが、
想像するとホラーみたいで、可笑しくもあった。
・
いくら従順を仕込まれても、私なら、いざ目の前に、どこにも逃げ場のない断崖をつきつけられれば、
命を賭す覚悟で、母にあらん限りの被害をみせるために努力を尽くすだろうということがわかった。
母の命を奪うことも含めて。
私は、母を襲わなければならなくなる状況に備えて、
それはつまり、母が、ある限界を越える場合に備えて、
必要とあらば母を殺さなければならない事態のために、心の準備をした。
私の命か、母の命か、私は、母の命のために、私の命を諦めるほど母の命を重大視してないし、
自己犠牲をいとわないような、できた人間でもなかったことがわかった。
私はいざというときのために、頭のなかでシュミレーションした。
・ ・
武器は、包丁、
隙を突くには、椅子でも振り上げて、窓ガラスに突っ込ませる。
今、握り締めている鉛筆を、ナイフのように握り締めて、
母の腕に突き立ててやるのもいい。
私は目の隙で、薄暗い台所の、さらに暗がりに沈んでいる、
食器置き場に突っ込まれている包丁を、伺った。
母は確かにそこで、一つの教育を行っていた。
反撃されることだけを恐れて、躊躇なく殺意を実行するためのレッスン。
・ ・
叩かれるのはいつも、虚ろな音を立てる頭を、思い切り平手で、なのだけど、
私は次第に、無感動な手が、壁に釘を打っているかのような、リズミカルな揺れだけを感じた。
痛みは最初だけで、後は感じなかった。
私は釘を打たれている壁で、揺れと音を感じるだけ。
壁の向こう側で叫んでいる声も、壁を叩く手も、この壁の中に、何かがあるなどと知らない、
何もないと思ってるし、何かがあるなどと期待してない。
・
そして、壁のこちら側にいる私も、壁の向こう側から、そこにいるなどと期待されていない声をかけられ、
リアクションを期待されない、壁を挟んだアクションに晒され、
外側から声をかけられているこの壁の中は、外側から叩かれてるこの壁の中は、
何もない、誰もいないのだと思った。
叩かれて虚ろな音が響く頭の中は、本当に、ただ、虚ろなだけ。
私は脳みその詰まっていない、がらんどうの、頭の中の闇を思い描くことができた。
無感動な手に釘を打たれる無感動な壁。
だから、母がいくら期待しても、無駄なのだ。
・ ・
何もない、誰もいない。
障害者の自立のために根気強く教育をほどこす親のように、
私が何もない、誰もいないがらんどうだとわかっててなお、母は、私のために、
私の空っぽの頭に、文字通り力ずくで、知識を叩き込もうとしているのだ。
空っぽならばそれなりに、機械的に、正しい答えを覚えられるように。
空っぽが、社会に出て行けるように。
・
声と手が暴れている外側のこちら側に、誰の声も手も届かない、
台風の目のような、虚を、私は私の中に見つけた。
壁の外側の暴風雨が激しくなればなるほど、壁の内側の静寂は強くなり、よりはっきりと意識した。
誰の声も、「壁」を叩く誰の手も、誰の痛みも入ることのできない、
何もない、誰もいない、大きな、虚の闇がそこにあるのが、私の中にあるのが、わかった。
・ ・
私は少し混乱した。
母の体が熱いほど密着しているのに、耳元で金切り声で叫んでいるのに、
降り止まない雨のように母の手が矢のように振り下ろされているのに、
私の中には、どんな声も、どんな手も、どんな痛みもない。
耳を劈く声が、私の中の静寂の水位を高め、
私に降り注ぐ手が、私の中の不在の水位を高め、
私に知識を授けようとする意図が、私の中の、虚の水位を高めていく。
・ ・
他者と自己は、決して一致したりなどせず、もともと壁で隔てられているものだが、
壁は、他者と自己を隔てながらつなぐ、扉であるべきだ。
でなければ、この世には隔絶された他者と他者、他者のいない自己しか存在せず、
自己しかいない世界に、他者が存在する理由がなくなる。
世界の必然として自己と他者が存在している、正当性がなくなる。
・
今、ここで行われているはずなのは、母から子供への知識の伝授という、
壁でありながら扉、というコミュニケーションであるはず、なのに、
私は、永久に扉を閉した壁に、隔絶されつつある。
接触であると同時に隔絶であるという、異常経験をするレッスンでも受けているようだ。
・ ・
外側で荒れ狂ってる暴風雨がリアルなのか、私の内側、何もなく、誰もいない、
何も起こらない虚の感触がリアルなのか、わからなくなる。
分断された外と内と、どちらが壁に隔離されたのか、どちらがリアルに追放された虚構なのか、
わからなくなる。
荒れ狂う外界と、外界を無効化している、この壁の内側の静穏と、どちらがリアルなのか、
わからなくなる。
ここで行われているのはコミュニケーションなのか、分断なのか、
接触なのか、隔絶なのか、わからなくなる。
・
わからないながらも、私の、こみ上げてくる笑いは、その虚の深淵からきている気がした。
わからないながらも、わたしは、自分の中に見つけた、新しい領域、それでいて懐かしい領域に、嬉々とした。
何も感じない闇、それこそ今の私が望んでいること。
何も感じない闇、それこそ今の私が会得したいこと。
何も感じない闇、それこそ今の私のためのレッスン。
・
もっと痛みを感じなくなる、もっと強くなる、そしたら、何の危険もなくなる、初めて安心できる。
私は私の中の虚の感触を、どんどん強くしていった。
何もない、誰もいない、何も起きていない、誰の声もない、誰の手もない、誰もいない、虚。
エサは、痛みと憎悪。
痛みをねじ伏せ、痛みを嘲笑し、痛みも、感情も、リアルも、存在も、私も、
全てを喰らい、嚥下し、不在化し、無効化する虚穴。
・
「彼」は私の中に、闇の種子として、予めそこにいて、
当然芽吹くときを待っていた「誰か」だったのだという気がした。
闇の種子は、闇の土壌に根を張り、闇を光合成し、成長していく。
私を痛みから解放するために、私を痛みに強くするために。
・
痛みと現実に剥き身でさらされている「私」を「彼」が喰らい、
「彼」が「私」の引き換えに、この生きるに値しない現実に顕現することを望んだ。
彼が私を食い荒らし、最後には、私など、一つ残らず、食い尽くすのを望んだ。
私の中の闇で芽吹き、私の闇を糧として育った闇、
リアルにとってはバーチャルでしかなかった闇が、私を食い破り、
リアルの白日の下へ躍り出、存在権を与えられなかった私の内なる闇に、
リアルの偽りの光をも、食い荒らして見せて欲しいと思った。
私の中のバーチャリティ、闇を生んだのは、リアルの光そのもの、
そして自らが生んだ闇を照らすことができない、偽りの光であるリアルなど。
・
私は私の内なる深淵に耳を澄ませ、目を張り、
リアルからの唯一の避難所である虚の中に、胎児のように蹲った。
そしてその虚穴が、私の存在をも喰らい、呑み込み、
「私」が闇の中に溶けて消えてしまうのを待った。
ただ一つ難点だとわかったのは、そこにそうして「落ち着いて」しまうと、
戦闘意欲も感情も、失くしてしまうということだった。
・
虚は、痛みと憎悪と闇を糧にするので、
光に引き寄せられる蛾のように、そちらに引き寄せられてしまう。
虚に自分を溶かしてしまい、「私」を感じられるのは、強い痛みと、憎悪と、意図的な攻撃、被攻撃、
でしか、自分の存在を思い出せなくなった。
・
生き延びるために生まれたはずの虚は、
痛みを呑み込み、リアルを呑み込み、私を呑み込み、
それを無効化し、不在化し、不毛化し、肥大していく。
命の危機に対して回避せず、
命の危機から生じた、痛みや憎悪に対してだけ機能するものでしかない。
私の危機をエサに育っていく、私の中の、敵みたいになってきた。
・
生物学的には「私」は存在していたけど、情緒的には、私は、そこにいなかった、
いたくなかった。
情緒的には、そこにいたのは、私ではなく、彼だった。
情緒的には、私は、名前もなく、顔もなく、生きて今、ここにいなかった。
いたくなかった。
私はリアルを見限り、彼は、存在するためにリアルの痛みを求め、
私は彼に、人生を明け渡した。
望み通り、リアルの表層に接している「私」の皮一枚を残して、
私の内側は彼に、闇に食われてしまった。
私の不在が、彼を実在にするように。
・
その虚の中にいれば、罵られながら、その虚の中で、歌うことができた、
叩かれながら、虚の中で、笑うことができた、
憎まれながら、虚の中で、憎み返すことができた。
痛みを喰らい、危機と憎悪を糧とし、リアルを呑み込みバーチャル化し、
深淵を深めていく闇。
私にとっては、そこは、リアルにとって都合の悪いものを捨てるための、
都合のいいゴミ捨て場だった。
感情も、記憶も、思考も、リアルも、私自身も、みんなそこに捨てた。
蛇口をひねれば、戦いに必要な、憎悪と殺意を出すことができた。
・ ・
母の金切り声に塞がれていた耳に、初めて闇の内からの思考の声が聞こえた。
泥人形のように母の平手打ちに凍り付いていた体が、
初めて自己の居所をつかみ、身動きできた、
母の手の言いなりになっている、母の手の中に埋まっている私の手を見つめ、
初めてそこに、自分の意図を見つけることができた。
私はさらに、内心で笑った。
私は、初めて母より強くなり、優位に立ったのを感じた。
・
母のレッスンのおかげで。
母を殺せるほどに。
今の母は、なんて無防備なんだろう。
今ならいくらでも、隙をついて母を殺せる。
今の私は、この空白、この虚が私の中にある限り、いくらでも暴風雨の隙を突いて、
静寂そのものの台風の目のように、動くことができる。
・
いくらでも、簡単にできるから、今はやらない。
やらないでいてあげる。
母が平手を打とうとしたとき、初めて私の手が母の手を阻んだ。
忌々しげに、うっとうしげに、私は母を睨んだ。
あんたなんか、いくらでも、殺せる機会はあるんだからね。
・ ・
けれど、その時知ったのは、力関係でしかない親子関係において、
親の命より、親の立場より自分が優位に立ったと感じてしまった子供の命は、
その子供の立場は、誰に面倒を見てもらえばいいのだろう。
力関係において、親に勝利した子供は、勝利すると同時に、関係そのものを失う。
・
母の「勉強会」、絶叫大会、平手打ち大会は、
昼から、延々夜中まで続くこともあった。
仕事から帰ってきた父も参加して、私に「勉強を教えて」くれることになった。
父は自尊心の低さに比例して、罵倒と嘲弄のバリエーションを豊富に持っていて、
「勉強ができない5歳児のIQ」に比例して、
「できる自分のIQ」の優越と嘲笑と愚弄と罵倒を浴びた。
父はこの新たな「遊び」に、喜色満面、喜悦の絶頂という風だった。
それは新たなレッスンだった。
・
肉体的というより精神的、
屈辱と辱めという痛みを闇に葬り、貶めに強くなるための、新たなレッスンだった。
私は、より自分の体面に執着して、私の気持ちや表情を読み、
自分の尊厳を貶めるようなことを考えているのを察知して攻撃してくる、
母のように直情的ではない、陰湿で、敏感で、
さらに厄介な父のレッスンを覚えなければならなかった。
・
時には、私から「ねえ、勉強教えて。」
「わからないところがあるんだけど、教えて。」
と、教科書とノートを抱えて、父と母のところにいくこともよくあった。
まるで、これから楽しいゲームでも始めようとするかのように、
私の中の闇が、笑いにのたうつのを感じながら。
・
私がそこで受けるのは、紙の上になどない、
嘲笑と、罵倒と、平手打ちのレッスン。
痛みを飲み込み、それを嘲笑い、力の糧にする虚を育むレッスン。
・
この世界がどんなところか悟った、人間がどういうものか悟った私が、
これから、その世界で、その人間と生きていくために慣れなければならないことを、
一番効果的に教えてくれる人から学ぶレッスン。
・
自身の利益のために他者の命を犠牲にすること、
自分と他者の痛みに、躊躇うことのない、無感動な強さを体得するためのレッスン。
何の痛痒もなく皆殺しできるようになるためのレッスン。
 posted by アガリ
ぶたれると痛くて、泣いてしまう。
転ぶこと、擦り傷、切り傷、労働、寒さ、暑さ、どれもこれも苦痛のもとだ。
ぼくらは体を鍛えることを決意する。
かわるがわるベルトで打ち合う。
打たれるたびに、言う。「痛くないぞ」
ますます強く打つ。
そのたびに言う。「平気だ」
・ ・
こんな練習をしばらく続けて、ぼくらはほんとうに、何も感じなくなる。
痛みを感じるのは、誰か他人だ。
火傷し、切り傷を負い、苦しむのは、誰か他人だ。
ぼくらはもう泣かない。
・
おばあちゃんがぼくらをぶち始めると、ぼくらは言う。
「もっと、もっと、おばあちゃん!
ほら見て、聖書に書かれているとおり、ぼくら、もう一方の頬も差し出すよ。
こっちの頬もぶって、おばあちゃん」
おばあちゃんは言い返してくる。
「おまえたちなんか、その聖書だの頬だのといっしょに、悪魔に攫われてしまえ !」
・ ・
これらの言葉を聞くと、頬が赤くなり、耳鳴りがし、眼がちくちくし、ひざががくがくと震える。
ぼくらはもう、赤くなったり、震えたりしたくない。
罵詈雑言に、思いやりのない言葉に、慣れてしまいたい。
ぼくらは台所で、テーブルを挟んで向かい合わせに席に着き、
真っ向から睨み合って、だんだんと惨さを増す言葉を浴びせ合う。
・
こうして、言葉がもう頭に喰い込まなくなるまで、耳に入らなくなるまで続ける。
ぼくらはわざと、人びとに罵られるようなことをする。
そして、とうとうどんな言葉にも動じないでいられるようになったことを確認する。
・
しかし、以前に聞いて記憶に残っている言葉もある。
「私の愛しい子! 最愛の子! 私の秘蔵っ子! 私の大切な、可愛い赤ちゃん ! 」
これらの言葉を、ぼくらは忘れなくてはならない。
なぜなら、今では誰一人、同じたぐいの言葉をかけてはくれないし、それに、
それらの言葉の思い出は切なすぎて、とうてい胸に秘めてはいけないからだ。
・
そこでぼくらは言う。
「私の愛しい子 ! 最愛の子 ! 大好きよ・・・けっして離れないわ・・・・
かけがえのない私の子・・・永遠に・・・私の人生のすべて・・・・」
いく度も繰り返されて、言葉は少しずつ意味を失い、言葉のもたらす痛みも和らぐ。
「悪童日記」アゴタ・クリストフ
・ ・ ・
あらゆるヒトの社会は、子供たちに適切なふるまいを教えるのに莫大な時間とエネルギーを費やす。
なぜなら、子供を育てるということは、
ある意味で、その社会が存在する根本理由だからだ。
「ロスト・ワールド」マイケル・クライトン
・ ・ ・
教育は本来社会的な現象である。
従っていかなる社会がそこに存在するかということは、
いかなる教育がそこに存在しているかということを物語っていることになるのである。
佐々木等 |
=>前記事6. 2008/06/07 幾つかのフレーム
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