[闇沼asukaの旅日記]

汚物の子


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鳳凰は雌雄の二羽、鸞(らん)である。二槻(ふたつき)二神(ふたがみ)という氏姓もある。
仏教語に双神アシフィン、アソカ大王があり、これがアスカと転訛して飛鳥となったらしい。
アスカとは双神(二神)、ふたつの月宇宙のことなのだ。 『月の本』林完次
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1. 2009/01/20 「汚物の子」 分類: 自画像
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7才のとき、完全に風呂に入らなくなった。

入浴も歯磨きもしなくなった。

それから、14才まで、10年近く。

臭いも、汚れも、当然すごいことになった。

歯垢が何重にもこびりついた。

でも、誰も何も言わなかった。

私はそこにいなかったから。

私はそこに存在しなかったから。



5才のころから、母と入浴するとき、熱い湯に決まった時間漬かり、ナイロンのアカスリで全身力いっぱいごしごし擦られ、

熱湯のようなシャワーを浴びせられ、頭を振り回されるくらい頭を洗われ風呂から上がると、

いつも立ち眩みがして、しばらく気持ち悪くてうずくまり、身動きできないほどのぼせた。

入浴が嫌いな子供、少し乱暴に親に洗われる子供なんてきっと当たり前にいるんだと思う。

ただ私は、過剰反応するんだと思う。

いつも、一日中、狭いアパートの掃除ばかり取りつかれたようにしていた母。

母にしか見えないこびりついた汚物をこそげ落とそうとするように、

汚い、ああ、汚い、なんでこんなブタ小屋に住まなきゃならないんだ、なんでこんなウサギ小屋に住まなきゃならないんだ、

と頭のてっぺんから突き抜けるようないつものキンキン声でわめきながら、

一日中、雑巾がけ、掃除機がけ、洗濯、家の掃除ばかりしていた。

家が汚物まみれのように掃除ばかりしていた母、まるで私が汚物まみれのように、

家を全力でこすりあげるようにアカスリで力いっぱいこすり、

汚い、汚いんだよ!!ここも!ここも!と金切り声でさも嫌そうに、忌々しげにつぶやきながら私を洗っていた母。

毎日、歯茎から出血するくらい、力いっぱい歯磨きされる。

どうしても清浄化できない、母の人生に忌々しくこびりついた汚物の塊みたいに。

たぶん、私が過剰反応する質なのだろう。

たぶん、私は憎悪しやすい質なのだろう。

母が私を汚ながり、汚い、気持ち悪い、と忌み、呪い、よく、触らないで、暑苦しい、気持ち悪いといわれたけれど、

母が私に触るのを気持ち悪がった以上に、私は母に触られることに気持ち悪くて耐えられなかった。

母に触られた自らの体を壊すくらいに。

子供を避ける薄情な親、という自覚から目を背けるために、「この世界中で誰よりも子供を愛する親」のパフォーマンスに励む。

親ほど子供を海よりも深く山よりも高く愛するものはいないとのたまい、無理無理感が見え見えなスキンシップを積極的にとる。

毎夜の「おやすみのキス」、「お母さんとパパと一緒のお布団で寝る」彼らと体が密着すると気持ち悪くて仕方なかったけど、

母たちが「子供になんの問題もなく接触している親(だから親には何も問題などなくて何か問題があるなら、先天的に子供が異常だから)」

というアリバイ作りに協力するために耐えた。

毎夜母に「おやすみのキス」をされ続けた唇を私は自ら出血が止まらなくなるまで噛みきった。

母に汚物の塊のように洗われた体を自ら汚物の塊にした。

母にこじ開けられ手を突っ込まれた口を徹底してつぐんだ。



5歳のとき、唇の皮を剥く要領で、自分の口を自分の歯で噛み切ることを覚えた。

最初は皮を剥く感じだったんだけど、痛みと血の味に没頭状態になって皮を剥き、下の肉を抉り、頬の内側の肉を噛み千切るようになった。

7歳のとき、唇の内側に陥没ができて、出血がとまらなくなった。

唇の皮を剥き始めた5歳のとき親にピアノレッスンと「クラシック音楽趣味」を押し付けられてた知的障害の姉が、

出血するほど両手の指先の皮をむいていて、それをわたしは参考にしたんだと思う。

親は、私の唇に血が滲んでたり知的障害の姉が没我したように剥いて両手の指先が血塗れてるのを見て「気持ち悪いことするんじゃないよ」と眉をしかめた。

最初は、唇の皮を歯で噛み千切って剥く要領で次に、皮の下の薄い皮膜をめくり、その下、その下、

一枚、一枚、というように皮を剥く要領で歯で少しずつ唇の肉を食いちぎっていった。

口の中にもなんだか太い血管が通ってるみたいで、ある程度深く食いちぎっていってあるとき、

ぶちっみたいな音がしたと思ったら、口の中で大量出血して焦った。

親に見つかる、罰せられる、やめさせられる、と焦った。

水ですすいでも赤い水は止まらなくて、わたしは喉をすべる血の味を飲んだ。

さすがに吸血鬼みたいに自分の口からぼたぼた血が滴り落ちたときは引いた。

頬や唇の内側に、自分で食いちぎった陥没ができると、そこから止まらない出血があふれ舌で確認すると、その陥没だけ温度がなかった。

中毒のようにやめられなくなった。

起きてる間はずっと、自分で自分に歯をたてていた。

自分で自分を食らおうとするみたいに。

なんだか酔う。

痛みと血の味に。

機械的な金気くささと、生物の生臭さ、機械と生物の融合は私の中で起きていた。血。

一瞬の鋭利な痛みじゃなく鈍く後を引く痺れる痛み。

10歳になるまでに私の口の中は自分で噛み千切った肉がズタズタになって吸血鬼になっていつの間にか誰かの生き血をお腹いっぱい呑んだみたいに、

口の中と口から鼻に抜ける血の匂いで噎せ返りそうで、血の味でいっぱいだった。

それは手首を切るような明らかな自傷行為じゃないくて、誰にも気づかれないし、

なにより自分で自分に「これはちょっとした癖」と誤魔化して目を背けられる自傷行為だったことが私にとって嬉しい発見だった。

5歳のとき、この方法を見つけたとき、実際嬉しかった。

生きる実感としての痛みを誰にも気づかれず自分に与えられることが。

やめられたのは、20歳ちかくになってからだった。

私は、憎悪せずにはいられず、何かを壊さずにはいられない質なのだろう。

それで、私は私の人生を壊した。

そしたら私の人生に関わる人もなりゆきで壊した。

14才のとき、私は臭気の塊で、トチ狂ったような振る舞いをしてていじめられさえしなかった。

触らぬ臭気の神に祟りなし、遠巻きにされてただけだった。



5才のとき、保育園で彼女に出会ってから、私は自ら率先して喧騒を作り出し、喧騒のただ中にいた。

人気者の彼女がそうしていたように。

彼女がやってたみたいに、ひとりコントひとり漫才みたいな言葉を繰り出してひたすらげらげら笑ってた。

「感情」を持つことが許されず、けれど、普通の人間のように「感情」があるかのように「演出」しなければならない状況の中で、

「笑い」だけが、一番わかりやすくて曖昧さのない一面的な「感情表現」だったし、

自己放棄的な他者への、親への許容、認可アピールでもあった。

その理由も文脈も理解できなかったけど、彼女がそうして人と笑ったりしてたみたいに、彼女の物真似をして。

私が彼女になると決めてから。

私が私でなくなれば、何をしても何をいっても平気になった。

私が彼女になれば、なんでもできた。

彼女の顔をつけ、彼女の粉飾をしてもう私がどこにもいなくなれば、そこに彼女しかいなくなれば、自意識と自覚を捨てられた。

そんな有り様だったのにいじめられないことのほうが不思議だった。

たぶん、私が率先して、集団にある空気と流れを作ったからだ。

これでは当然いじめられると察した自己防衛でもあった。

人間なんて愚かなものだ。

空気と流れに従うだけの羊や鰯と同じだ。

空気と流れを率先して作れば、

それが私みたいなこじきであっても(親から浮浪者と呼ばれていた)、人は空気と流れを作るものに従う。

人に石を投げつけてもいい、人を声高に理不尽に糾弾してもいい、まず自分からそれをすればいい、

人はまず、新しい空気と流れを自分で判断することができないから。

だから、自分から判断材料を与えればいい。

さも正当そうな理由、なにより、自分の義憤をアピールすればいい。

まるで悪の枢軸のように相手を非難すればいい、

ことは自分だけの問題ではないと一般化すればいい、相手への非難に、少しことが違えば誰ともすり替え可能な欠点をあげつらい、

周りの人間に、少しずれれば自分が矢面になる、とそうとは気づかないくらい隠微な恐怖と自己防衛を掻き立て、

この場は非難の矢面に立つ一人に対して周囲と同じ態度を取れば自分に火の粉はかからないんだ、と思わせればいい。

コツは、先制攻撃で人を非難することで周りに判断する猶予を奪い、本能的な恐怖と防衛本能を掻き立て、

判断するスキを与えないうちに自分から判断材料としてさももっともらしい分析的な非難の理由と、それ以上に感情的な理由を与える。

自分だけではなく、周りの人間を守るためだという名目、正当化、正義の主張が一番手っ取り早くて強力。



傍観者の立場は自分で考えて判断しないし、自分に火の粉がかかる恐怖と防衛しか判断材料として持たない。

またそのように仕向けた場合、非難する本人が、自己本位な、けれどそうは見えない一般化した、

人を弾き攻撃するラインと、自己の共同体として人を守るラインを先導して引けば、羊と鰯的な人間は無思考に引かれたラインに従い、非難者につく。

非難者の攻撃が苛烈であるほど、見せしめとしての効果が高い。

非難の矛先が、人間の弱味的な、誰もが持ちえそうなもので、明確に攻撃を避ける理由がない曖昧な不安感を煽れば尚、

「少し違えば自分もあの立場になりうる」

「でも攻撃を避けるためには明確にどうしたらいいかわからないからとりあえず非難者の言い分の側につく」

という恐怖と防衛本能での行動を煽り易い。

だからいじめは権力的なものには向かわないし、権力的なものがあるどこででも起こる。

弱い者イジメは、「弱い者同士イジメ」なのだ。

弱い者同士で力の引っ手繰り合いをしてる。

まず率先してツバつけた的に自分が正義だと主張し、見せしめに誰かを攻撃し攻撃する者と守る者とのラインとルールを作る主導権を自分が握る。

こういうやりかたでクラスメイト同士を対立させたり反目させたり、ゲームのようにいじめを起こし人間関係を引っ掻き回すことができた。

こうして魔女狩りの下地ができる。

人間は馬鹿だ、と思った。



9才のとき、イジメの主犯格の子を中心にゲームみたいに日替わりでイジメの標的など誰にでも替わり、

私もイジメられたり私をイジメた子を私がイジメたり、茶番みたいなことを繰り返し、

イジメた子もイジメられた子も最終的にはイジメ主犯格の子が一番嫌いという意見で一意してた。

その日私はキレて、キレる理由などこじつけで何でもよく、キレる自分と憎悪に酔えればなんでもよかったのだけど、

イジメの標的にされていた子を口撃し、泣かせて学校から走りださせて一時行方不明にさせた。

イジメ加害の側にいて、憎悪があるラインを超えると自制が飛ぶ。

目の前の相手に、私が生殺与奪権を持っているような錯覚を持ち、煮ても焼いても引き裂いて殺しても何の罪にもならないという感覚に眩暈がした。

私の痛みと憎悪にはそれだけの正当な理由があるのだと、憎悪は私に確信させた。

私は自分も誰も彼も憎み、何物も許さず、全てを壊そうとした。

私の痛みを外に移植したかった。

言葉でどの部分を突けば一番弱い部分を抉るか、一番柔らかい部分を殺せるか、

逃げ場を失くして包囲網を作り、うさぎのように追い詰め、猛禽のようにじわじわと嬲り殺せるか、私は知っていた。

私自身がされていた経験で身を持って知っていた。

その時、私は、彼女を殺すつもりだった。

彼女の命も心も、言葉で殺す気だった。

私が死んだ時のように、私が殺された時のやり方で、やればよかった。

ふと見ると、私がキレて喚いている目の前の子どもは、いつも母に同じことをされているあの時の私の姿と同じだった。

母は何時間も喚くだけじゃなく、雨のように平手打ちを降らせたけど。

それに気づいても私は自分を止めることができず、ますます憎悪を募らせ声を張り罵詈雑言を喚いた。

そのとき、母がずっといつも私に感じていただろう憎悪が私に流れ込み、その子に喚く今の私と、私を打ちながら喚くあの時の母の姿が私の中で重なり、

私と母の憎悪の流れが私の中で合流し一緒になって膨れ上がり、どっちが母でどっちが私なのか、私の中で区別がつかなくなった瞬間、

目が眩むような真っ白な殺意が突き上げ、目の前の子供を殺そう、と思った。

その時、子供は不意に泣き出して、私の目の前から走り去った。

その瞬間、私の頭は冷めた。

こんなの私が母にされたことに比べれば生ぬるい方で、私なら母に同じ事、これ以上のことをされても、泣いたり走って逃げたりしない。

だから私が殺そうと思った子供は、母の前にいた、あの時の私ではなかった。

私だったら、痛みを憎悪に変え、いつでも殺してやる、と覚悟しながら母を睨むだけだ。

児童が時間の途中で学校から逃げ出したことで学校では騒ぎになり、教師と彼女の親に連絡が行った。

みんな彼女を探し回り、彼女へのイジメの所業は暴露された。

イジメの主犯格、学級でも「問題児」として教師に目をつけられていた私を含めた複数人の子供は、教師に言われて直接彼女の家に行き、

彼女の親は、自分の子供が苛められていると、イジメの当の本人から聞かされた。

私は彼女の親に八つ裂きにされる覚悟をした。

私の母が私にするように。

どんな痛みも、痛みを痛みでなくする機械としての私の肥やしになる。

どんな制裁でも痛みでも受けて立つ、謝罪でも反省でもなんでもしてやる、けれど、絶対、見せない、私は私の痛みを見せない。絶対。

痛みだけの世界の中で、お前たちが私に加える痛みなど私には無効だと、嘲笑うこと。

それが私の復讐。

それが私のすべて。

けれど彼女の母親は、話を聞いて、まるで自分の方が叱られた子供のようにしどろもどろになり、

不明瞭な言葉を残したまま、よくわからないまま私たちは母親と別れた。

私はその様子を不思議に見た。

私の母親が、今のこの親の立場だったら、こんな顔や声をしたりしない。

もう外すことができなくなった世間用の余所行き顔とオクターブ高い声でヘラヘラ笑って、

うちの子が何もかも悪いんですよ、私たちもあの子の被害者なんです、あの子は頭がおかしくて、精神病院に入らなくてはいけないんです、

と、昼下がりのお茶会のように、自分の子をイジメて制裁を加えてくれたお客様たちにお茶菓子でも出したかもしれない。



このとき私が感じたていたのは、自分でも意外だった、彼女が自殺したらどうしよう、という恐怖だった。

何も感じない、何も考えない、それが「機械」としての人間の正しいありかた。

だから、何をしても、何も感じない、何も考えない訓練をしなければならなかった。

私がどれだけ傷つけられても、私がどれだけ傷つけても、何も感じない。何も考えない。

そんな「機械」にならなければならなかった。

人に傷つけられる痛みと、人を傷つける痛みは、人の究極の痛み。

何も感じない、何も考えない、「機械」になるためには、うってつけの道具だった。

その究極の痛みに慣れさえすれば、その究極の痛みを喪失すれば、私は、これから生きる中で遭遇する、どんな痛みも感じなくなれる。

どんな「感情」も「思考」もなくなる。

何も感じない、何も考えない、とても強い「機械」になれる。

親が言ってた「人間は機械」になれる。

でもどれだけそう思っても、「彼女が自殺するのではないか」という恐怖と痛みは、振り払っても振り払っても、吐き気のように喉元に込み上げてきて、

それを振り払うために私は走って彼女を探した。

彼女を見つけて自殺を止めるためではなく、自分の感情を置き去りにして走り去るための口実に、彼女を探していただけだった。

何がそんなに怖かったのか、わからない。

彼女が死ぬことだろうか。

私が彼女を殺すことだろうか。

彼女を殺して責められることだろうか。

それとも、私の穢れと臭気に、誰も何も言わないし、誰も何もしないように、私が彼女を殺しても、誰も何もせず、誰も何も言わないまま、

人を殺した記憶を、世界の中で私だけ、ひとりぼっちで担わなければならない、

永遠に誰にも拭うことのできない、誰も見ることも触れることもできない痛みを、刻印されること、だろうか。

今でもわからない。

ただ私は、何も感じてはいけないのに、しつこい吐き気のようにつきまとう恐怖と痛みが、疎ましくて仕方なかった。

こんなことではいけないのに。

機械にならなければならないのに。

でも、自分が何を感じているかを自覚することは、それを潰すためにも大事だから、私はむしろ積極的に、自分が何を感じ、何を考えているかを自覚した。

それで、感じたそばから、考えたそばから、その意識を「潰し」、自分の名前も自分の存在も忘れ、一瞬ごとに記憶喪失になることもできた。

彼女は飼育小屋の裏に隠れているところを見つかった。

私はホッとしたというより、一度彼女が死んで、自殺して、私が危惧した恐怖を現実化して、

私が恐怖した可能性が何だったのかを明らかにしてほしかったとも思った。

人を壊す、という「究極の痛み」が、二度と消えない刻印として、私に焼き付けられ、

その痛みによって、私が壊れなければならないのかもしれないと思った。

二度と拭えない、永遠に取り返しのつかない罪が私に確定しなければならないと、いつもどこかで思っていた。

私がそうすれば、私が二度と取り返しのつかない完全な罪悪人になれば、

そんな私に比べれば、親はいくらでも非難の余地のないマシでマトモな善人でいられる。

人を傷つける痛みの究極は、人を壊すこと。

壊したものは、二度と元の形には戻らない。

二度と後戻りのできない、そこがすべての終わりの痛みの中に沈むこと。

その痛みの中で、私の中で何かが完成し、何かが完全に壊れる痛み。

彼女が自殺しなかったことで、彼女の自殺を恐怖したことで、私は、その究極の痛みを回避してしまった、臆病者なのだと思った。

もしこの時彼女が自殺していたら、私は人殺しになっていた。



14才以降、少しずつ風呂に入り、歯を磨くようになったのは、そのときクラスで話してた子に、とうとう耐えられないというように、

「ねえ、くさいよ」といわれたからだった。

そういわれて、私のことが見えるんだ、私は、人に見えるんだ、と、びっくりした。

私は、誰にも私の姿は見えないと思っていた。

私の臭気も穢れも、言葉も声も、痛みも記憶も、私の存在が、幽霊のように不可視なのだと思っていた。

だから何をしてもいいんだと思っていた。

だから何もいう必要などないのだと思っていた。

少なくとも、親には私の姿は見えていない。

ああ、でも、今思うと、私の臭気に親が気づかないはずがなく、

「親に抵抗した私をあえて止めず汚物と臭気に突き落としたままにして恥をかかせよう」

というこれは親なりの、私と果てしなく続く権力闘争の中での復讐だったのだろう。

そういえば口論か何かの折りに、

「(私がこういうことをして) いつ気づくかなと思ってた。」

という母の言葉を聞いた記憶がある。

あのいつものまばたきをしない爬虫類のような真円の薄茶色の目を微動だにせずひたと私に据えて。

こういうことを思うと、よく私の身に悪いこと、良くないことばかり起きるのは、もともと私が性悪だからしょうがないのだと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そういえば、この「終わり」というのも面白い言葉ではないか。

まるで「汚穢」と「気変わり」をいっしょにしたよう。

汚れが目立つようになり、何かが変わったことを告げることになる。

「音楽」 ウラジミール・ナボコフ

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