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1. 2008/03/01 「空を奪われた翼」 分類: 体験談
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2、3歳の時、幼稚園の入園準備かなんかで、母と一緒に幼稚園に行った。       
  
母と私は徒歩で行った。           
    
・       
           
母が買い物するときいつも使うスクーターに前乗りで行くこともなく。    
 
自転車の後ろに乗せられることもなく。  
           
最近初めて、それが近所の幼稚園だったことを知った。         
    


近所といっても自転車で15分、徒歩で25分ぐらいだと思う。

しかも、ちょっとした山登りみたいな急坂が延々と続いている坂の、

その頂上にあるような幼稚園だった。

幼児の徒歩で、どれくらいの時間がかかるのかはわからない。

ただ、母は、私の時間に耐えられなかった。



最初は手をつないでいたか、並んで歩いていたかどうかしていたのかもしれない。

今はその記憶もないし、母は人との身体的接触が嫌いなので、どうかわからないけど。

ただ、私は疲弊しきっていた。

そして母も疲れているといった。

母が言うには、私のせいで。

しかし母には疲弊を怒りに変えられるほど、余剰のエネルギーがあったようだ。




母が私の一番嫌いなところは、歩くのが遅いことだという。

のろいこと。遅いこと。効率的でないこと。

何をやっても駄目なこと。

大人の足に比べて遅いこと。

大人みたいにうまく上手にできないこと。

役に立たないこと。

母は、私を置いてずんずん歩いて置き去りにし、私の視界から姿を消した。

私は母と共に歩いている道の中で、ひとりぼっちで、迷子になった。



私は道の真ん中で足を止めた。立ち尽くした。

おかあさんがいない。

今、母にとっても私はいないはずだが、私と違って、

それが母の心理的負荷とはなってはいないのは、明らかだった。



私は、幽霊のように立ち尽くした。

誰にとっても生まれて来たことのない、

生きたことのない、誰にとっても死んだことのない幽霊のように。

誰の思い出の中にも、心の中にも生きていない、忘れられた幽霊のように。

墓標もない幽霊のように。

永遠に思い出されない記憶のように、立ち尽くした。



足元のコンクリートの道は、冷え切っていて生命の温もりも伝えてこない。

母のように。

まるで、死につつある私の心のように。

道は硬く、私の足に踏みつけられることに抵抗して、

私の足を下からもっと強い力で押し戻してくるようだった。

私の足の裏は、その上で母を見失ったコンクリートの道に踏まれて、ずきずき痛かった。

すべてを目撃している周囲の静まり返った世界は、母に同意して、

私に、悪意の、非難の目を向けてきているようだった。




死体みたいに立ち尽くしている私を、母の金切り声が呼んで、私は我に返った。

道の先の建物の中から、母が顔を出して呼んでいた。

なにしてんの。ぐず。早くしろ。のろま。どんくさい。ぐずぐずするな。やくたたず。

忌々しげに。

そこは私が通うことになる幼稚園らしかった。



門をくぐって中に入った。

仏教系の幼稚園だった。

重厚な門構え、日本家屋な造り、鬱蒼とした藪の中にごろごろ転がる、

苔むした地蔵や祠。



私と並んで歩き出した母は、ヒステリックに金切り声で私を罵倒し続けるので、耳も頭も痛く、

母は私を置いてどこにでも行き、さっさと私の視界から消えてほしかった。

母は私の心の声を聞きでもしたように、

私を置いて振り向きもせずさっさと歩いていった。

私は、やっと母から解放された安堵にため息をついた。

母は私を置いていきたい。

私は母から置いていかれたい。

これで初めて、両者の利害が一致したわけだ。




ふと見ると、石畳の続く道の脇に、大きな檻が置いてあった。

白くて細長で、動物園にあるような大きな檻。

私の前に伸びる母の足跡のついた道は、もう私の歩く道とは関係がない。

それで私は足を止め、立ち止まって、檻の前に立った。



道のずっと向こうの先から、母が初めて立ち止まって、

こちらを振り返って、金切り声で私を呼んでいた。

あのひとは私とは関係ない。

あのひとも私との関係を望んでない。

私は無視した。




中には鳥がいた。

そこには孔雀が数羽、入れられていた。

それは白くて大きな、鳥篭だった。

母から雨霰のように、金切り声で罵倒され続ける私の目の前で、

一羽の孔雀がゆっくりと尾羽を広げていった。



オパールのように複雑に光る、千もの緑と青の目が、一斉に私を見つめた。

このひとりぼっちの檻の中で、誰の為にそんなに美しい羽根を、

孔雀は広げて見せているのだろう。

その孔雀は私にだけ、宝石のように光る、青と緑の目を向けているのだろうか。

それとも他の孔雀に、その千もの目を向けているのだろうか。



キレイだと思った。

でも、それ以上に、哀しかった。

キレイだとは思えても、キレイだと感じることができなかった。

私の心はもう、何かをキレイだと感じることができなかった。

そして檻は、私の中にあった。

私の中の檻には、がらんどうの闇が閉じこめられていた。

あるいは、がらんどうの闇に見える孔雀が、閉じ込められていた。



私は檻の中の孔雀を羨んで睨んだ。

私もそこにいたい。

私も彼と共に、檻の向こう側にいたい。

毎日、彼の美しい目に、黙って見守られるだけの一生を送りたかった。



孔雀と私は、本来、同じ空の下にいるはずなのに。

それなのに、一方は、空を翔る翼を持ちながら空を奪われ、もう一方は、

空の下にいながら空の広さを感じる心を奪われていた。



一方は空を知らない鳥のための檻に囚われ、

一方は空の広さを知らない心に囚われていた。

私たちはきょうだいのように同じなのに、一方は檻に入れられる側の動物で、

一方は檻に入れる側の人間だった。

同じでありながら、私たちは、檻で隔てられていた。



孔雀は、人間の造った檻に閉じ込められ、孔雀を閉じ込める檻は、人間の私の中にあった。

孔雀は空を奪われる。

人間は、世界を分断する壁と檻の知恵を、身内に抱え込む。




私の心はもう何も感じることができなくなっていた。

私は、ただ疲れていた。

私は、自由を奪われて、檻の中に閉じ込められた動物を見物する、

檻の外で自由を享受する人間のはずなのに。



檻の中に閉じ込められているわけではないのに、自由でない私には、

まるでこの世界自体が、一個の檻だ。

自由ではないのに、檻に入れられていない私は、

自由であるということ自体が、一つの欺瞞の檻だった。




他者の要求に逆らって、立ち止まりたいところで立ち止まってはならず、

見たいものを見てはならず、

絶え間ない、罵声と金切り声に呼ばれ、歩きたくもないところを歩き、

心はもう、きれいなものをきれいだと感じることはできず、もう、ものを感じることはできず、

私は、檻の中にいるわけではないのに、檻の中の孔雀より、

もっと自由のない、孔雀より美しくない、ただの人間だった。



私はそれだけを了解して、今もまだ羽を広げて見せてくれている、

檻の中の孔雀の眼から目を引き剥がし、

苦渋の表情で私を睨みつけて待っている、母の元へと、

のろのろ足を引きずって歩いていった。

私が戻る所は、母のところしかなかった。



母は私を罵倒しながら、私が母の元へ来るのを待っていた。

「こんな格好して。幽霊みたい。馬鹿そうで。」

母がおちょくって私の物真似をした。

母の私の物真似を見て、私は初めて自分がどんな格好をして歩いていたのかを知った。




砂の上に、蛇が這いずる跡が残るように、私は文字道り、足を引きずって歩いていた。

自分の足しか見えないほど前かがみにうつむいて。

私の片方の手は、なぜか胸元のあたりに中途半端にぶら下げられていた。

ちょうど、柳の木の下の幽霊を描いた日本画によくあるように。

でもこの姿勢がなぜか、酷く疲労した私が取れる唯一の楽な姿勢なのだった。



母と違って、そのことは私には不思議ではなかった。

私は生きていないのだから。

死んでいるのだから。

私はここにいないのだから。

彼らにとって。

親にとって。

誰にとっても。



私が、母の姿を極力視界に入れないように、下を向いていると察したのか、さらに苛立って、

「馬っ鹿みたい ! もっと、ちゃんとできないの !! 普通に、できないの !!」

と、絶叫した。




この状況での「普通」って、なに。

延々、空気を切り裂くような金切り声でわめいてる人から「普通」になれ、

って言われるってことは、

とりあえず、そういう人をおかしいと思う私の方が、普通じゃないってことか。

まるで、陽気な散歩でもしているように見えることか。

この場で一番大きな声を出して、先手必勝で、正統と異端を決定付けることか。




母の背後に、母を代表とした「普通」の世界が控え、

母と一緒に一斉に、「普通」の世界の異端になった私を糾弾してくるようだった。

私は生きていようと死んでいようと、恭順していようと、

あるいは、反抗していようと、親を含む他の一切を敵に回しているなら、

どれも、どうせ、同じことだと感じた。

結局、ある意味、私は幽霊なのだ。

私がどう存在していようと、母の目には見えない。

誰にも見えない幽霊なのだ。



もう、私は死んでいるのに、私はもう、幽霊なのに、

生きて存在している「普通」の子供のように振舞えと、

母は、解せない要求をしてくる。

もう私は、母にも誰にも見えないんだから、母にも誰にとっても生きていないんだから。

だからどんな格好をしていようと、かまいはしないはずなのに。

「普通」になれば、初めて、母の目に見えるってことか。

逆上している母を眺めながらそんなことを感じていた私は、

やはり、母の望む、それがどういうものだかわからないが、

「普通」には、なれないのだろう。



とりあえず、私は母の言う「普通」の子供らしくしようと、

足を上げ前を向き手を下に下ろし、

「普通」の格好を取った。

疲れた。

ただもう疲れた。




疲れた、という姿勢をとることも母の不興を買うためにできず、

疲れているのに、「普通」の、快活な子供のようにしなければ見栄えが悪い、という要望に応えて、

疲労の上に、さらに糊塗しなければならず。

私と母がこの時、私の子供の足の速度で歩いた何十分間、母は、一時も休まず私を罵倒し続けた。

早く歩け、立ち止まるな、普通にしろ、と、私を調教し続けた。



私にとって生きるということは、檻の外とは、

母が、母であり妻であることが、子供と夫へ奉仕する終わりのない労働であるように、

他者の意思の要求に、絶え間なく従い続ける強制労働、だった。

ありのままの私であってはならないと、

一時も休みのない、私の意思への、他者の意思からの介入、

歪曲、糊塗、演戯、侵攻、略奪に追い立てられ続ける。




私はただ、休みたかった。

ただ疲れていた。

ただもう、自由にしてほしかった。

あの、檻の中の孔雀のように。

そこから先の記憶はない。





最近、この幼稚園に行ってみた。

母といったこの時は、裏門の、小さな門から入ったのだとわかった。

正面の門はもっと大仰で、両側に寺にあるような木彫りの仁王像が、凄い迫力で構えていた。

その仁王象に睨まれて、正面門から入ることができず、

あの時母と潜った、小さな裏門から勝手に失礼した。

あの時はそれどころではなくてわからなかったけど、

静かで奇妙な空間が漂っていて、いい雰囲気だと思った。



今も、孔雀の檻があった。

あの時の孔雀ではないだろうけれど、そこにはまだ、檻の中に孔雀がいた。

「詩人は嘘をつきすぎる」と言うものがあれば、それはもっともなことだ。

――― 我々は嘘をつきすぎるのだ。

われわれは知識に乏しいし、あまり学ぶこともしない。

したがって嘘をつかざるを得ない。

我々詩人の中で、このぶどう酒に混ぜ物をしなかったものがあろうか?

詩人は嘘をつきすぎるって?

――― しかし、ツアラトゥストラも一人の詩人なのだ。

あなたは、彼が本当のことを語ったと信じるのか?

なぜそう信じる?




彼らは海からその虚栄心を学んだ。

海、それは孔雀の中の孔雀ではないのか?

海は、最も醜悪な水牛にも、その尾を広げて見せる。

真に詩人は、精神の奥底まで、孔雀の中の孔雀だ。

虚栄の海だ!



お前、孔雀の中の孔雀よ、虚栄心の海よ。

何をお前は演じて見せたのだ。

お前は根底からの俳優だ。偽り者だ。

そのお前がどうして語ることができようか――― 真実を。



私は見る。

こうした精神が、自分自身に飽き飽きしてくるのを。

私は見る。

詩人たちが変化して、自分自身にその目を向け始めたのを。

ツアラトゥストラ





「となると、人間と動物のちがいは、ことばだけじゃないな。

動物は善もなさなければ悪もなさない。

なさなければならないようになす。

わたしたちは動物のすることを見て、有害だとか有益だとか言うが、

良い悪いは、何をするか選ぶことを選んだ、

我々人間の側の問題なんじゃないだろうか。



竜は確かに危険だよ。

だが、竜たちは悪意があってやっているのではない。

竜たちはほかの動物と同じで、その徳性が我々のそれに届かないんだよ。

あるいは、はるかに越えていると言ってもいい。

つまるところ、そんなものと関係なく生きているんだ。



わたしたちはいつもいつも選ばなくてはならないが、

動物たちはただ必要な状態に身を置き、必要なことをするだけだ。

くびきつながれているのは私たちで、動物たちは自由なんだよ。

だから動物といると、少しばかり自由というものがわかってくる・・・・。」




「いっとう最初、この世が始まったときには、あたしたちはみんな同じだった、

動物と人間はね。

あたしたちは、みんな同じこと、してた。

そのうちにあたしたちは死に方を学んだ。

次には生まれ変わり方を学んだ。

存在のふたつのありようをね。」

「ゲド戦記」アーシュラ・K・ル・グイン





その、もうひとつ別の自己の内部には、その人が抑圧した感情や欲求が閉じ込められています。

牢獄のように。

その人たちは、自分が誰なのかがわからず、ただ、ある役割を演じているだけです。

周囲がその人に演じることを期待している、その役です。



この人は本当は誰なのでしょう。

それを知っている人は誰もいません。

おそらく本人が一番わかっていないでしょう。

自分が誰なのかを知るためには、自分の中の空虚を見つめる必要があります。

「闇からの目覚め」アリス・ミラー
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