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子供のころ、親の言うことに従い、勉強していい学校に入りいい会社に入れと言われ続けた。
少しでも疑問を持ったことを言うと、クズカスゴミボケタコ死ねアホ救いようがないバカ、異常、変、おかしい、
狂ってる、出て行け、と殺意と憎悪で殺されそうな勢いで言われた。
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私は殺されそうな恐怖に怯えた。
自分なりの感情、思考、欲求を持つことが怖かった。
親の意識に融合しないことが怖かった。
親の意識からぶれることが怖かった。
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自覚を生んで、自分と他者の明確な一線を引かせる、意識の存在自体を持っていては危険だと思うようになり、
恐怖で、意識を消すことに汲々として生きた。
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親が私に判断を下すのは、私のためで私を愛しているからだと言われ、そのことに苦痛を感じ、
親を疑い親を愛せない私は、罪悪感に苦しんだ。
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親を拒否して親不孝することは、殺人よりも罪の重い犯罪だと思った。
親の愛に応え、親孝行するという意味で、意識を消して、従順になろうと頑張った。
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意識を持つこと自体が怖い。
兄の暴力や痴漢を受けたときも、抵抗すること、反逆することは、殺人よりも罪の重いこと、
殺されても当たり前なのほどの悪なのだ、という恐怖が、心臓をつねるように痛かった。
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私は、通り魔に襲われても、叫ぶことも抗うこともできないだろうと思った。
他者の意思を許容しないことを、罪悪視してしまうだろう。
何をされても逆らえない、逆らうことは悪なのだという意識が、私の中に構築されている。
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分裂症状が出た。自閉症状が出た。
4、5歳で、精神病者だった。
意識が消えて、私でない私が、私のものではない人生を生き始めた。
5歳の時。
そういう時、私は、意識ある生は苦しいので、それがなくなって嬉しかった。
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自分はこんな生き方してたら、大人になれずに死ぬと思っていた。
いつも、いつも、生死の瀬戸際にいるように感じていた。
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発狂するのを恐れていた。
発狂しているかもしれなかった。
抹殺された生の芽生え。
私の敵は、内部にいて、家の中にいて、それは私の親で、その牢獄の中で闘わなくてはならなくて。
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親にとって、子供の価値なんて、そんなもんだよね。
社会の方が大事。
子供は、社会で見栄えの良い商品じゃなきゃならない。
子供本来の、命や生や、経験よりも。
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親にとって、子供の社会での成功は、自分の子育てという仕事の成功。
親の、成功を夢見た仕事。
親にとって、子供はソフト、子育てはゲーム。
子供殺して
リセット押す
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私も殺されるのだろうか。
いつにもまして、不気味な死を感じる。
何よりも怯えたことが、実現するのだろうか。
役に立たなければ殺される、言うことに従い、要求を汲み続けなければ、殺されるって。
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良い成績をとり、良い会社に入り、最終的には「幸せな人生」に至るという教えもいいだろう。
それが人間のすることならば。
私は機械だ。
それが親が最も私に望んでいる形態なのだ。
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「人生を生きる人間」などになったりしたら、私は、親の世界、
子供が機械である世界を壊してしまう。
最も親不孝な、最も反逆的なことをしてしまう。
私が人間であること、生命であること、機械でないこと自体が、彼らへの反逆だった。
だから親は、私をあんなことあるごとにに罰したのだ。
人間は機械だと言う。
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そうだ。私はうなずく。私は機械になった。機械的な思考で私は考える。
人間とは何か? ―――― 機械に非ず。
それはただ、親の願望、願いでしかない。
だがそれらも結局、次のような考え方に収斂する。
生きているということ以上に、価値のあるものがこの世に存在するであろうか。
生命を賭けなければならないほどの、価値や生き方が果たして存在するか。
「強制収容所における「生」」
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生きる者にとっては、多くのことが、生そのものよりも高く評価される。
そして、その評価の中で明らかに見てとれるのは ―――― 『力への意思』である。
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すべての名高い賢者たちよ。あなた方は民衆に奉仕した。
「私は民衆から来た。神の声が私に届いたのも、民衆を通じてである。」
集団生活につながる喜びは、「私」につながる喜びよりも古い。
良心の疚しさがないとは、集団生活につながるという意味であり、
「私」とは、良心的に疚しいということである。
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「捜し求めて歩く者は道に迷いやすい。孤独に入ることは罪だ」そう群集は言う。
彼らの精神は、「疚しくない良心」という牢獄に囚われていた。
彼らが最も憎むのは"創造するもの"である。
彼らの古い価値の表を砕く者である。
彼らはそれを破壊者、犯罪者と呼ぶ。
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善い者たち、正しい者たちを警戒せよ。
彼らは、新しい価値を新しい表に書き付ける者を、好んで十字架に架ける。
善い者たちは、独自の徳を見出したものを、十字架にかけざるをえない。
初子として生まれたものは、いつも犠牲として捧げられる。
そして私たちは初子なのだ。
我々はみな、古い偶像たちの栄誉のために焼かれる。
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しかし、あなたは、あなた自身への道を捜し求めようとするのか。
あなたはあなた自身にいたろうとして、この悲しみの道をいくのか。
ならば、私の兄弟よ、私の涙を携えて、その道をいけ。
君はひとつの新しい力であるか。新しい権利であるか。始動の運動であるか。
自分の力で回る車輪であるか。君は、星々をも強いて、君の周りに回転させることができるか。
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私は君に尋ねる。君は子供を生むことを「許される」様な人間であるか。
結婚と、子への願いの声をあげているのは、獣であり「必要」ということではないのか。
それとも孤独の苦しさか、また君自身に対する不満か。
ああ、この二人しての魂の貧困!
ああ、この二人しての魂の不潔!
ああ、この二人しての、あのみすぼらしい逸楽。
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今、この木はこの山上に、孤独者として立っている。
これが何を語ろうとも、これを理解する人間は一人もいまい。
これは、雲の座にあまりに近く立っている。
これは人間と動物を超えて、高く生い茂ったのだ。
今、これはひたすら待っている。
おそらく、最初の雷電を待っているのであろう。
「ツァラトゥストラ」
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生と死をつなごうとする人間には、二つのタイプがいます。
一つはシャーマンです。
かつては、無から有へ、有から無へ、という宗教がありました。
旧石器時代の宗教です。
新石器型の宗教は、無には触れずに、その振りをします。
無ではなく、有から、別の有へということです。
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この人たちは、無を有によって塗りこめてしまおうとする。
国家、都市、科学、こういうものと全てが結びついているのです。
人間が自由にできない最大の無とは、死ですから、この人たちは死を有化しようとする。
それでは本当のシャーマンにはなれません。
「いったん無の中に漬かって、その中から甦る」という形を取らないと、
アレンは王になってはいけないのです。
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例えばイニシエーション(大人になるための通過儀礼)とは、古代から人類に見られた行為ですが、
まず、知の世界に近づこうとする人間を、色んな形で死に近づける行為をします。
力に関わることを一切放棄しなくてはいけない。知性に関わることも同じです。
全てを放棄させて、死に近い状態に近づけていく。
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力に執着してはいけない、大きな意味を与えてもいけない。
それを乗り越えて、私たちが、鳥や植物と一体となったとき、初めて自然魔術の世界へと入っていける。
自然魔術の中に入った魔術師は、先ほども言ったように、何もしない。
あるときは鳥のように、あるときは木のようになってしまう。
そうした魔術に近づく通路はどこにあるかというと、弱いもの、女性、虐げられたもののところにあるわけです。
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人間界にやってきた竜の子、テルーは、最も虐げられた存在です。
望みもしない場所に産み落とされて、両親から暴力を受ける。
殺されかけて顔に火傷を負い、人間の世界では価値のあるものとされている女性の美からも遮断されている。
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つまり顔半分がただれ、この世の美というものから見放された魔物のような少女と出会い、
彼女を通路として自然魔術の世界に入っていく道です。
「ゲドを読む」
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