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ウチで、ずっと飼育されてきたのはメダカ。
なんでか親が欠かさず買ってきた。
動くインテリアなのだろう。
浄水装置もないし、世話は子供まかせなので、濁った水の中で次々とメダカは死ぬ。
その度に在庫を切らさないように買い足してくる。
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メダカの卵は透明で、小さな宝石みたいできれいだった。
次々に卵を産んでミニチュアのメダカが孵ったけど、
飼育が杜撰なので、次々死んでいった。
ウチで飼育された動物は、みんな一年弱しか保たない。
小学生の時、初めてここで卵から孵って成長したメダカが一匹だけいた。
初めて、ここで生まれ育ったメダカ。
体格も一番大きくてスマートで、一番威勢がよくて人間を恐れない。
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ぼんやりと漫然と、小さな金魚鉢の中を漂っている他のメダカを、
苛々しているように、突き飛ばす勢いで泳ぎ廻っていた。
ここから出て行きたくてたまらないかのように。
余りに威勢がいいのでその夏の日、
ベランダに金盥を出して水を張ってそこに移した。
それは最初戸惑ったようだったけど、
それから縮こまった体を伸ばすように、凄い勢いで泳ぎ始めた。
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金盥の壁にそって、ぎりぎり思い切り泳げる範囲で、
尾びれが水流に打ち震えるほど、弾丸のように、
閉じた水の円環の中を、猛スピードでぐるぐる泳ぎ廻り始めた。
まだ狭いようなので、私は盥の縁まで水を入れた。
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それはそのうち、飛び始めた。
目を放した隙にふと見ると、盥の中から姿が消えている。
慌てて探すと、盥の外に落ちてあえいでいた。
慌てて水の中に戻した。
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見ているとそれは、盥の壁にそって全力で水面下に浮上してきて、
壁の縁まで水が張られているのをいいことに、
勢いを落とさずにそのまま水面を突破して、縁を越え、空へと駆け上る。
大気に躍り出たそれは、束の間、上へ、空へ向かって大気を泳ぎ昇り、
それから放物線を描いて、地に墜落する。
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それは、コツを掴んだように何度も何度も跳ねた。
それの意思の激しさに比べればささやかにすぎる、
それが水に墜落するときのポチャンという音が、か弱しげに何度も上がった。
私にはそれがまるで、金盥の中にいるメダカではなくて、果てのない海の中を、
全身全霊で跳躍する鮭や鰹に見えた。
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圧倒されて見つめた。
今まで、こんな風に泳ぐメダカはいなかった。
今まで、こんな風に、水面を飛び越えようとするメダカなんて、一匹もいなかった。
それは、意図的に金盥を飛び越えていた。
何度も跳んで縁を越え、何度も地に堕ちた。
メダカとはいえ、水から跳ねることを短時間で覚えられるほど、学習機能はあった。
何度も同じことを繰り返して学習しているはずなのに、何度も跳んで、何度も堕ちた。
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魚は人肌でさえ火傷する生き物なのに、
人でさえ熱い真夏の陽に灼けたコンクリートに何度も体を叩きつけた。
その度に私の手で指先ほどもない生き物を掬い上げ、
その度に体も抉れていくはずなのに、
水を出奔し、壁を乗り越えた先には死しかないと、
学習しないそれではなかったはずなのに。
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分かっててやっている。
戯れに跳んでいるのではない。
戦慄のようなものが、体を走り抜けた。
向こうへ行きたい、壁を越えて向こうを見たい、羽ばたきたい。
空へ駆け上がりたい。
ここではない、別の場所へ行きたい。
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・
私はこんなに水から上がりたいと意思表示しているものを、
再度金魚鉢に戻すことができず、
気の済むまでやらせようと、縁まで入れた盥の水は減らさなかった。
それが堕ちる度に水に戻した。
じゅうじゅういう音が聞こえそうなほど、
灼けたコンクリートに死なない程度に、それの体を灼かせた。
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指に乗せて、空と水の境界に留まらせ、
ここを出た所に、何があるか教えこもうとした。
それの体を焦がす灼けた大地と、
それが溺れるしかない灼けた大気だ。
果たして、彼はもしこの挑戦を諦めても、満身創痍で、
明日、死んでいてもおかしくないと思えた。
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終には、片目が抉れて落ちた。
私の指先に、片目が干からびてこびりついていた。
尾びれが変な角度に曲がって、それでも泳いでいた。
この挑戦が失敗に終わるだけだということが彼にも分かっていたら、
果たして、私の手によって生き永らえさせられることを望むだろうか、
という思いが過ぎった。
・
水の中に戻す度に、
こんなにまでして越えようとしている水の中へ彼を戻すことが疚しくなっていった。
彼自身がそこに戻りたいと望んでいるだろうか。
これは彼の選択なのではないだろうか。
彼は、命を懸けて死を賭して、
ここではないところへ行こうとしているのではないか。
これは彼にとっての、最後のチャンスなのではないか。
私の存在は、彼の生死を、己の心情で左右する神のごとく、
彼の試みに対して、侮辱的なのではないか。
・
私は、落ちた彼を一度だけ水の中に戻して、
彼がまた性急に泳ぎ廻りだしたのを見て、その場を立ち去った。
次に見たとき、彼は壁の外に落ちて死んでいた。
大気と大地に灼かれて、跳躍している姿のまま、彼の命は蒸発していた。
哀しくはなかった。
・
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私は彼を見ていて、生き物の進化がどうして起こったのか、分かった気がした。
向こう側に行きたい、別の世界に生きたい、向こうを見たい、
という純粋な欲求から起こるのではないかと。
そして、水の中の命は、何度も何度も水面を突破したのかもしれない。
・
・
大気に溺れるしかなかった命、大地に堕ちるしかなかった命は、
水面の水平線の向こうが見たい一心で、
飛び越えたい一心で、大気に泳ぐことを知り、
大地に起つことを知っていったのかもしれない。
彼の試みは時間が短すぎて、失敗したかもしれない。
けれど彼の思いは今、間違いなく空に飛翔しているのだとか、思った。
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人と魚は同じものだと思う。
水の中はどこでもなく、何処かである場所はない。
人も魚も、意思だけをナビゲーションに、全身を跳躍させ、
止まり木たる安息の大地もなく、どこでもないここで、何処かへ、
何処かに足る場所へ、虚空を泳ぎ行こうとする。
・
そして、限界を設ける、全ての水面天井を飛び越え、羽ばたいて行こうとする。
無限へ、悠久へと。
空を越えて、宙までも。
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水に住む魚は黙し、地上の獣はかしましく、空の小鳥は歌う。
しかし、人間は彼の中に、海の沈黙と、地のざわめきと、空の音楽とを持っている。
・
大海には、青空には、どんな道も通っていない。
路は小鳥の翼の中、星の篝火の中、移り行く季節の花の中に隠されている。
そして私は私の胸に尋ねる ―――
お前の血は、見えざる路の智慧を持っているかと。
ラビンドラナート・タゴール
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「進化の歴史とは、生物が障壁の外へ出ようとする行為のくりかえしにほかならない。
生物は必ずその障壁を打ち破る。
そして、新しいテリトリーへ進出していく。
それはつらい過程だろう。
危険すらともなう過程だろう。
だが、生物は必ず道を見つけだす」
「ジュラシック・パーク」マイケル・クライトン
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「えっ、なに?海のメダカって。」
「川にみんなといっしょに住んでれば、
弱いなり小さいなりに平和に楽しく暮らせてるのに、
一ぴきだけ海をめざしてるメダカってことよ。」
・
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それらは、まるでメダカの群れのように群れていて、
佳照は、はるか遠く海を目指して河口近くまでいきながら、
潮があんまりからいのか、波があんまり高いのか、
しょんぼり群れのところへ引き返していた。
阿修羅の六本の手、二本の足は全部もがれ、
背びれ、胸びれ、腹びれ、尻びれ、尾びれだけになっていた。
「海のメダカ」皿海達哉
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