JRのメモ帳


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輪るピングドラム仕様

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12012/05/04未分類近況ですけども。
22012/01/11感想漫画「外天楼」石黒正数
32012/01/04未分類自分にとっての「輪るピングドラム」
42012/01/03感想今更なんだけどアニメ「夢喰いメリー」について
=>古記事5. 2012/01/02 明けましておめでとうございます(遅
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52011/11/22アマンドの木あのアニメは、シャフトを見るものだと思いますよ。ただ、絵...
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1. 2012/05/04 未分類 > 近況ですけども。」
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お久しぶりです。

近況ですが、あれから結局、紆余曲折…というほどのことはありませんでしたが、
4月から大阪府下のとある自治体で公僕として働くことになりました。
というか現在進行形で働いています。

ご心配してくださった方ももしかしたらいらっしゃるとおもいますが、ひとまずの無事をご報告しておきます。


作品レビューですが今後もあまりする予定はありません。
私のレビューを好いて下さっている方も数少ないとはいえ居らっしゃるようなのですが、
今の私にかつて様なレビューを書くセンスと時間はちょっとありません。

アニメ自体はちょっとずつ見ているので、もし時間と、自分自身の中に書きたいという気持ちが強く湧けばまたここに来るかもしれません。
もしその時が訪れたときは、ほんの僅かだとはおもいますが、作品の理解に資するようなレビューを投稿し皆様のお役に立てればと思います。

ということで、今後もよろしくお願いします。



※ちなみに今期チェックしてるアニメは「宇宙兄弟」「つり球」「坂道のアポロン」「氷菓」あたりです。
あと「へうげもの」「ちはやふる」を1話から少しずつ視聴しています。

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2. 2012/01/11 感想 > 漫画「外天楼」石黒正数」
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石黒正数先生は弐瓶勉先生にでも影響を受けたのだろうか?
なんとなくそんなことを思う内容でした。

今回読んだのは石黒正数先生の『外天楼』(げてんろう)。購入動機はなんてこと無い。
どこぞのサイトの広告にこれが載ってて「あ、新しいのあるんだ」と思ったから。

前に読んだ『ネムルバカ』は自分みたいなナイーブな人間にはなかり痛い内容でした。
脱力系というか、虚無系というか…。
「無気力な人間の心をえぐってそんなに楽しいですか?先生。」とでもいいたいぐらい。

そんな作品に石黒先生の本質を見た気がしたので今回の作品も同じような何か虚脱感があるのではないかと思って読んで見ました。
半分の期待と半分の恐怖。でも期待が上回るからこその購入行為。

○物語
まず作品の最初に登場するのはエロ本をどうやって手に入れるかについて試行錯誤をかさねる中学生たちのお話。
資源ごみからエロ本を入手した3人の少年たちは、そのエロ本の不可解な点に気づいてエロ本が捨てられた経緯を推理する。

そんなくだらない少年たちの物語から、話は10年後、11年後と移動する。
特撮ヒーローの俳優を巻き込んだ殺人事件、ロボットへの愛着をめぐるマンションでの騒動、
そして外天楼と呼ばれる複雑怪奇なマンションで起きる殺人事件。
物語は次第に「ロボット」「人工生命」をめぐる不可解な二つの事件へとつながっていく。

○感想
この漫画を読んでいて思いついたキーワードを挙げて、それらについて書いていこうと思います。

・階層意識
『ネムルバカ』で主人公・入巣は先輩がどこぞの金持ちの家政婦から引き受けた装飾品磨きのバイトをしながらこう言います。
「自分が社会の底辺にいる自覚があるんですよ」。
自分が今、自分自身が認識している社会の中でどれぐらいの位置にいるのかということに対する感覚。
きっと誰もが何処かで意識することがあるであろう階層意識に対して石黒先生は実に軽快でさり気なく触れる。
「エロ・カースト」。
資源ごみを漁る少年たちは、エロ本を手に入れるという行為においてそのゴミを捨てた人よりも下の階層に位置する。
これはエロ・リサイクルではなくエロ・カーストである。
実にくだらない。実にくだらないが、そこには石黒先生らしい社会の捉え方が見事に反映されている。そう、世界は階層なのだ。
その階層はエロというそもそも底辺の欲望においてすら垣間見える。そんな現実がここにはある。

・底辺に生きる人々
そんな作品に出てくる人々には、研究者や評論家、有名な映画監督といった華々しい人々がいる一方で、
売れない役者、工場労働の現場、地方から出てきた苦学生、そして外天楼でひっそり暮らす人達が描かれる。
その描き方には決して重さや深刻さはない。どこかひょうひょうとしていてノリが軽く、おまけに頭のネジが外れているときている。
その面白可笑しさが石黒先生の作品の面白さなんだけど、でもどうしたって自分の希望や望むものが手に入らない苦しさもしっかり描かれている。
ノリの軽さと「底辺」という現実がなんだか不思議なバランスで共存してるのがほんとうに凄い。面白い。
ちなみに氏の作品では「上の階層の人達」はどこか遠い世界の住人のように描かれている。
この距離感もまた、読者の立つ場所を強烈に認識させる。その遠い世界との間に壁でもあるかのように。

・人間としての欲望
この作品の登場人物たちは自身の欲望とか望みに結構忠実だ。
エロ本を欲しがる少年たちはもちろん、理想の作品づくりを目指した宇宙探偵ディテクトの監督、
人情刑事を目指し独り突っ走る桜庭刑事やフェアリーほしさに工場襲撃を犯した学生・諸葉。
そして人工生命の開発者・鬼口やロボット開発者・芹沢。
登場人物たちの欲望の度合と異常さは話を追う度に増して行く。
人の欲望は時に人間を狂わせ、異常な行動へと走らせる。それは人間の弱みでもあるし同時に人間らしさでもある。
そんな人間の欲望が引き起こす数々の事件、それがこの作品の中心的要素だ。
人の欲望が重なりあう狭間。それがこの作品の「謎」であるのだ。


・ミステリとして
コメディとしてもSFとしても結構面白くはあるし、自分は上に挙げた要素に目を向けたけど、
巷で言われているようにこの作品はれっきとしたミステリーである。それもかなり絶賛されている。
それもそもはず。なにせ当初一つ一つが基本的にバラバラだったお話が、だんだんと話が進むに連れ繋がりを見せ始め、
最後にはきちんとつながりを持った一つの物語として機能する。そうして謎が明かされるのだ。
一つ一つの話には必ず事件と推理が入る。その個々の事件は直接のつながりはない。
しかしそこで出てくる人物やテーマはそれぞれの繋がりを持っていて、最後の最後にそれが収束するのだ。
非常に感心する物語の作り方だと思う。

ただ、自分はこの作品がミステリとして優れていることは事実だとしても、読んでいて他の人が書いているような爽快感があったかというと、そんなことはなかった。
むしろそこに描かれた欲望に忠実な人間の姿に何か憂鬱な感情を抱き、そして自身の真実を知った主人公の行く末に現実的な閉塞感を感じていたたまれなかったのだ。



真実が明らかになった結果、訪れた現実は理不尽で救いのないものだった。

この作品がミステリである以上、物語の結末は真実が明かされた時点ですでにケリが付いており、最後の展開はおまけにすぎないのだろうけど、
自分にはそのおまけの方が気になるのだった。



石黒さんが目指す漫画。その方向性をまた一つ印象付ける作品でした。

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3. 2012/01/04 未分類 > 自分にとっての「輪るピングドラム」」
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12時間ちょっと働いてきて帰宅しました。明日は11時間働きます。
本当はさっさと寝たいんですけどどうしても書きたいことがあるのでキーボードに向かっています。

*

輪るピングドラムについてこのサイトも含めていろんな人がいろんな視点で語っています。
それはウテナとの関連であったりメタファーについてであったり演出技法であったり伏線や謎についてであったり。
設定考察も結構されてきました。もちろんそれらの語りは作品を見ていく上でどれも重要なものです。
アニメはエンターテイメントなんだからそういう要素がたくさんあって、そういうことについて語ってナンボなんですから。
でも自分にとってはやっぱりそんな小難しい考察とか正直どうでもいい。

自分にとってこのアニメは自身の不幸な境遇とか苦難、あるいは存在価値を見いだせないような状況にある人達に対して
何らかの共感や思考を促す作品であった、この一点において価値があるといえるんです。
劇中に何度も登場する「何者にもなれない」というフレーズは抽象的ではあるものの、自身に存在価値を感じていない人や
将来への絶望を抱える人間にとって何かしらの意味を想起させる非常に強力で心に残るフレーズなんです。

最近読んでいる、雨宮処凛による著作『ロスジェネ世代はこう生きてきた』にはこんな文章がある。筆者の生い立ちを述べた章の中の一部だ。

"とにかく何か意味のあることをしたかった。さらには「自分を表現」したかった。
何者かにならなければいけない、と取りつかれたようにそればかり思っていた。"


フリーターをしながら政治活動にのめり込み、今では「プレカリアートのマリア」(朝日新聞)と評されるほどの活動家になった彼女だが、
20ぐらいのなんでもない一フリーターでリスカをしながら生きづらさを感じつつ生きていた頃にはこんなことを考えていたという。
この文章の後この本は筆者がビジュアル系バンドを組んだとか人形作りに励んでたとか政治活動をしてた話とかになるんだけど、
氏のような高卒のメンヘラ系フリーターが自分の存在価値を求め、いわば「生きる意味」を探していろんなことをしていく様子はまさに
「生存戦略」といえるだろうと思った。

そう、何者かにならなければならない。

自分があまりに卑屈でちっぽけな存在であることを自覚している人間にとって、これは大きなテーマだ。
友達が多いとか、職場でよく頼りにされているとか、愛する人と一緒にいて幸せだとか、目標を持って日々生きているとか
そういう「生の実感」を得ている人間であれば笑い飛ばしてしまうような話かもしれないが、そうでない人間にとってそれは
生存すら脅かしかねない重要なテーマなのだ。

ネット上で見つけた『アニメスタイル』の過去の記事(革命少女ウテナ時代)における幾原監督のインタビューがあるんですけど、そこで監督はこんなことを述べている。



"70年代安保闘争が終了してから続いていたある種の閉塞感、絶望感。「もう世界は変わらない」という絶望感。
そこをアニメで表現するのは、ひとつの事件だと思っていた。"
"高校の時は二十歳で死ぬと思っていた。"
"だから何かを残すしか無いと思っていたんだよ。”
"「自分は何者かに違いない」という根拠のない自信と、一方では「何者にもなれなかったら死ぬしか無い」と考えていた。"
"基本的に世界を変えたいとか革命をしたいという感情は健全なものなんだよ。"


古い記事だけど、そこには「革命」とか「何者かになる」という言葉が出てくる。
その発想が出てくる文脈は多分雨宮処凛のそれとは異なるのだろうけど、なんだか「でかいことをしなければならない」という脅迫めいた観念を持っていたという点で共通しているなと思った。
雨宮処凛も実はこの著書の中で作家・見沢知廉と1996年に会って、「生きづらい奴は革命家になるしかない」なんてことを真面目に言われたと書いている。
果たして彼女はプレカリアート運動を通じて革命でも起さんばかりの勢いで労働・生存運動をするに至っているのだが、とにかく
「世の中を変えようと思って行動すること・表現すること」ってのはまさに「何者かになる」ことそのものといえる。
こういうことを考えていた、という点で幾原邦彦氏と雨宮氏ってなんとなく共通してる感じがあると思った。

 

また、1995年という年を幾原監督が取り上げたことの意味についても、この本を読んでいてなんとなくわかった気がする。
90年代は日本の社会や経済環境が(どちらかと言うと悪い意味で)激変した時代だったが、その中でもかなり大きなインパクトを社会に与えた年っていうと
1995年だと自分は思っている。というか妙に1995という年が90年代の中で一番ぱっと思い浮かぶ。
そして事実、『ロスジェネ世代はこう生きてきた』で雨宮処凛は1995年に関する記述にまるまる一章(と言っても正確にはその中の一節だが)を割いてその年の出来事を書いているのだ。
1995年。阪神・淡路大震災が発生し、不況の中、人々の生活は一瞬にして破壊された。3月にはあの「地下鉄サリン事件」が発生し、宗教・テロに対する人々の関心が高まった。
薬害エイズ問題が大きくクローズアップされ、沖縄では米兵による少女暴行事件が起きる。
北炭の倒産、三菱銀行と東京銀行の合併、就職氷河期の到来があり、『エヴァンゲリオン』の放送が始まる。
この年を雨宮処凛は「盆と正月とハルマゲドンが一緒に来た年」と表現している。
こんな感じでいろんな事件や出来事があったわけだけど、とりわけ最初に上げた震災と地下鉄サリン事件は非常に大きな出来事だ。
なにせこの2つは日本中を震撼させた「破壊」であり、社会に与えた影響ははかりしれぬほどに大きい。
人々の生活が徹底的に破壊され、努力やそれまで積み上げてきたものが一瞬で無に帰し、お金や物質的な物を重視する価値観を否定する
オウム真理教の起こした「革命的」事件は、今までの日本の社会のありかたを大きく問い直すに等しい出来事だといえる。
少なくとも雨宮処凛はそう言う。
不況と日本社会の激変、そして世紀末ということから「閉塞感」が漂っていた日本社会に「でかい一発」が来た、という感じなんだろう。
こう考えると、幾原監督が1995年という年を取り上げたのは、単に地下鉄サリン事件があったからという理由だけではないのだろう、と、そんな気がするのだ。

  

つまるところ自分が言いたいのは、「何者かになる」ということを強く意識せざるをえない人たちが世の中にはいて、
その文脈は違えどなにかそうやって自分自身の空虚さだとか世の中への閉塞感を打ち破りたいと思っている人にとってかなり強い意識を持たざるをえないのがこの「ピングドラム」という作品だった、ということだ。




この作品は「親からの愛を得られなかった」子供たちの、生存戦略を描いた作品である。
であるならば、「何者かになりたい」と願う自分のような人間は誰かの愛を得て生き延びようとする必要があるのだろうか。
まあそれはある意味事実だと思う。愛してくれる人の存在はまさに承認欲求に適うものだから。
でも、それだけじゃないはずだ。どんな「生存戦略」がありうるのか、それは人それぞれに形があって然りではないかと思う。
とにかく生きて、なにか色々してみて、その中で模索していくしか無いのだろうなあと、今は思っています。

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4. 2012/01/03 感想 > 今更なんだけどアニメ「夢喰いメリー」について」
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周回遅れなんじゃないかってくらい今更ですけど夢喰いメリーをやっと視聴したので感想とかつらつら。

アニメの見所としては、やっぱり演出と音楽かな〜。

現実と夢の世界を行き来しながら、夢の世界の悪者をぶっ倒すというヒーロー物語、というのがこの作品の基本的なお話になりますが、
単なる勧善懲悪ではなく、孤独とか空虚さ虚しさとか絶望とか、そんな人間の弱さにどうやって立ち向かっていけばいいのか?
どのような救いの手が差し伸べられるのか?ということを軸に登場人物たちのつらさを掬い上げていく物語でした。

夢とか希望とか言うプラス要素は虚無とか絶望というマイナス要素と表裏一体で、前者がなくなれば人間は±0になるのではなく
一気にマイナスへと堕ちていく。人というのはすごく単純で弱くて、そんな極端な心理変化をすることがままある。
もちろん実際には夢がかなわなくてもすぐに別の目標なりなんなりを見つけて常に疾走できる人間も
あるいは目標とか夢とか特に持ってなくてもすごく気楽に流れるように楽しく日々を過ごすひとも居るんだけど
そういう人達って別になにか話題として取り上げて物語にしてもたくましく生きていくことが容易に予想されるから
深みのある物語をなかなか作れないと思う。少なくとも僕は興味ない。
それよりも、ある時はすごく元気で調子いいんだけど、何処かに孤独とか絶望を抱えていたり、
つまずいてしまうとそこで立ち止まって悩んで苦しむような弱い人の物語のほうが絶対面白い。
そこには本当に救うべき、僕達が積極的に取り上げて論じるべき人間ってのが詰まっているからだ。

ってことで、夢喰いメリーというアニメはあまり人気はないが個人的に結構注目していた作品だったりします。

*

まず取り上げるべき話題は何といっても監督・絵コンテが山内重保さんであるという点。
どうやら本格的に萌えアニメを手がけるのは今回が初めてだそうで、色々試行錯誤があった模様。
メリー・ナイトメアというヒロインをどう可愛く見せつつ派手なアクションをさせるか、その点に苦労したみたいです。
キャシャーンSinsや最近だと輪るピングドラムでもコンテを担当した回がありましたが、
山内さんの描く絵はカメラワークが変わっていること、幻想的な絵を描くこと、アップがやたら多いことが特徴です。
このメリーさんでも登場人物の立ち位置がわからなくなるぐらいいろんな方向にカメラが移っていましたし、
そのあやふやな映像が夢の世界のあやふやさを表現する上で結構有効だったのではないかと思います。

好きなシーンというとやっぱり5話の戦闘シーンでしょうか。メリーとエンギのふわっとした動きとなめらかな移動がすごく見てて気持ちよかったです。



あとはこれは話にもよるんですけど背景が美しいのもいいですね。油絵みたいなタッチで沢山の色の光が入り混じり、
ぼーっとした雰囲気を醸し出す幻想的な風景がたくさん見られたのもこのアニメの特徴です。

音楽面も素晴らしい。幻想的なオーケストラサウンドがこんな無名アニメ(失礼)で聴けるとは。
かと思えばドラクエみたいなシンセサウンドも出てくるし、美しいピアノ曲も。
音楽はあんまり話題にしているブログとかないんですけど、メリーさんにおいて重要な要素になっていると思います。

  

物語については、まあ結構陰鬱な物語だし、そのなかにコミカルな要素を適度に取り入れて今時の萌えアニメっぽいノリの軽さも一応あるんだけど
やっぱりこの絶望とか孤独とかを扱ってその絶望からの救いを描く物語ってすごく好き。それに、時代性ってのも考えると結構大事なお話だと思うし。
本作の主人公でありヒロインであるメリーさんには大きく分けて二つの要素が存在する。一つは自分の正体も知らず10年に及ぶ旅を続けた中で生まれた
「自分は孤独である」という感覚と果てのない旅を続けることへの不安。
もう一つは諦めず夢を追い続けようとする気持ちと子供っぽい無垢さ、無邪気さ。
特に無邪気さとか無垢さって一つ目の要素があると普通なくなるんだけど、さすが夢魔といったところか、これら要素が共存していてギャップがある。
このギャップがメリーさんの強さと可愛らしさにつながっているんでしょう。まあつまりメリーさんの魅力だと。

すごくもったいないと言うか最後残念だったのが河浪さんの扱い。アニメオリジナルのキャラクターらしいし、その設定もこのアニメのテーマの中で重要な意味があったはずなんですが
彼女の扱いって結局あいまいなままになってるんですよ。彼女は勇魚のお陰で感情・夢をいくらか取り戻したけど再びそれを失った。
その彼女こそがどう救われるかが確か一番重要なはずだと思うんですけど…コーヒーをブラックで飲まなくなった=大きな心境の変化を暗示しただけで終わってるのがなんか残念。
もちろんそれだけでも重要な示唆なんだけど。

でも最終話でミストルティンによって次々希望が断ち切られていく絶望感、とくに「おいあと番組何分だよ!?」って切迫感と共に視聴者を巻き込んでドキドキする展開を見せてくれたのはすごく面白かった。
どれだけ希望を断ち切られても立ち上がる主人公たちの強さ、河浪の絶望がつないだ希望が最期の決め手になったって展開は王道的で素直に好きでした。
まあ最期のまとめかたが不十分だと思うところ以外は結構楽しめましたよ。



それにしても、OP映像見てて、「メリーと夢路は幼い頃に出会っててなんかあったんじゃないか」ってエピソードが入ると思ったんですけど…。
関係無かったね。

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