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1. 2008/09/04 「漫画的仲間論〜友達だから助けるのか、助けるから友達なのか〜」 分類: 日々のたわごと [この書込みのみ表示(記事URL紹介用) / 編集 / 削除 / トラバ送信 / 共有分類に追加(タグ付け)]1:友達だから、助ける。 2:助けるから、友達。 1の文と2の文の最大の違いは、相手にしろ自分にしろ、選択権が有るか無いかという点だろう。 勿論選択権の有る文は2で無い文は1である。 1の文は、そもそも助ける相手は友達に値する相手なのか、という根元的突っ込みが無いからである。 1は友達であるのが前提であり、その結果として当然助ける、助けねばならないという行動につながる。 演繹的である。 原理の絶対性を前提に、行動が決定される。 故に、選択の余地はない。
それに比べると2の文は随分と限定的ニュアンスがある。 『相手が自分を助けるから』にしろ『自分が相手を助けるから』にしろ、それが示すのは、『行動の結果、相手を識別する』ということだ。 そこには、そもそも相手を助けるか否かという事自体に関しては、決定されていない。 つまり、相手が友達に値するか否かを決定する選択権が、存在することになる。 そうなると「助けない」という選択肢もあり得るのだ。相手を友達だと思っていない場合には。
2の文で構築される友情とは果てしなく厳しい世界のモノである。 なぜなら、自分の価値も相手の価値も常に試されている世界だからだ。 どれくらい厳しいかってーと、毎日「だが断る」を言うくらいの覚悟が必要な世界だろう。 冗談抜きで毎日。毎日である。
しかし2はキャラ間の仲間意識を描くには欠かせない要素である。なにより、2をわずかなりとも描かないことには読者がそのキャラ同士がより深いつながりをもつ仲間同士だとも認識できまい。 そして1は仲間であることを前提とした確認行動という風にも見れる。2の描写を積み重ねた上で1の行動に至るというのがバランスが良いのだろう。 故に比率的には2の描写が多めであり、1の描写は節ごとに数カ所設ける程度なのが 望ましくはある。 おそらく、仲間とか友情とかを上手く描いた漫画というのは1と2のバランスが絶妙なんだろう。
具体的な使い方を言及すると、 1:主人公がその人物を、擁護(=関係の現状維持)する場合に使われる。 (裏切りや失敗をした仲間への擁護とか) 2:主人公がその人物と「仲間」関係を新・再構築する過程に使われる。 (もろに「仲間フラグ」そのものである) といった所だろうか。 [他の記事も読む] <=新記事2008/09/07 ストライクウィッチーズと余計な親切 =>古記事2008/09/03 鋼の錬金術師アニメ2期、か
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