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ラクスサイドと議長サイド、均衡した二つの正義が刃を交える中、示された最後の力は、やはり「変われる力」でした。人は変われるのか。その答えの在り処は…
■未消化伏線
楽しむ前に、とりあえず未消化伏線あげつらって、文句言っとこう。物語の核である「ラクスVS議長」「カガリVSシン」を直に描かなかったのはスッキリせんよね。というか、ラクスとカガリの「言葉」は、またしても発動しなかったという。カガリは、為政者としてのスタートラインに立つことに重点を置かれていたんで、他国と共に言葉を紡ぎ「はじめた」という終わり方でも納得いくのですが、ラクスがねぇ。45話や49話の語りも、結局は聴衆を変革へと導くには足りんかったし。結局はアスランとミーア(個人レベル)の変革につながったくらいっしょ。
もちろん、そういう「個人の言葉が世界規模の変革を招く力にはなりえない」という現実を描いたってことなわけで、それが「ラクス→ミーア」「キラ→レイ」という個人レベルの変革とセットになり、種必殺の「世界規模の効果発揮は難しいけれど、個人レベルで効果発動することもあるんで、諦めちゃいかんよ」な閉じ方になっているんでしょうけど。
また、ラクスVS議長はキラVS議長によって、カガリVSシンはアスランVSシンによって代弁したってことなんでしょうが、それぞれ言葉による相互理解へと至ることはなく、結局は銃を向けあい、力によって相手を倒すしかなかったわけで。これも、そうして「言葉で全てが片付くわけでもない」という側面もありつつ、その一方で「ラクス→ミーア」「キラ→レイ」により「言葉で片付くこともある」という側面も描きつつ。言葉の力は絶対じゃないよ、ってな閉じ方になっているんでしょうね。
ただ、そういう「問題提起→完全には問題解決できませんでした」という閉じ方も一つの答えなんで、伏線を消化しているとも言えるわけですが、それでも、その閉じ方は前作で見たわけで。今回こそは「世界規模の変革を招きうる言葉の力」「個人レベルで絶対の効果を示す言葉の力」を見たかった、というのが、47話段階で未消化伏線として挙げた中での最終未消化分かな。細かいところで「アスラン&カガリの指輪物語」「ムゥVSレイ」「議長の行動原理&タリアとの過去が不鮮明「ドムが踏まれていない」「ジオングが登場しない」なんてのもありますが、指輪物語は「想いは同じ」で一段落し、議長絡みは29話から推測可能、ムゥVSレイはキラVSレイによって一応消化されているんで、このくらいならスルーされてもいいような気も。もちろん、あと1話あれば綺麗なエピローグにまとまりそうなんで、それが勿体ないっちゃ勿体ない気もしますけどね。
■ハッタリエンタメ燃えバトル
クルックル回って射撃、ドラグーンによるビーム乱舞、ムチャな回避能力、当たりそうになったらビームシールド防御、射撃の的にしてくれと言わんばかりの一直線な剣戟、ビジュアル要素オンリーの光翼、なぜか当たらない戦艦射撃。緻密な情報量や質感溢れるMS描写などは、カケラもないわけで。そういうのを求めてもしょーがないのね。逆に、見た目のハッタリを重視して情報量を削りこみ、ライトな視聴者が楽しめる方向を向いているのですから。
それと、中盤では人間関係をかきまぜたり伏線を混入するための場として戦闘シーンが使われていましたが、後半では、逆に人間関係が落ち着いたり伏線が回収されたりで、個々のキャラクターの想いがぶつかる場、ぶつかった想いのケリをつける場として働いていたのねん。そういう視点で、今回もバリ熱かったっす。まぁ、レクイエム内部をジャスティスのバックパックとアカツキのドラグーンで完全破壊したのは( ゜д゜)ポカーンでしたけど。
■だが、君もラウだ。それが、君の運命なんだよ/オレは、ラウ・ル・クルーゼだ!
キラは、人の夢、人の未来、その素晴らしき結果。だが、どこまで先へと行こうとも、人は今の自分から逃れることはできず、過去の自分へと戻ることもできない。ならば、揺るぎない今だけがあればいい。それが正しい人の姿、世界の形。だから、世界をあるべき形へと返し、人を正しい姿へと戻す。そして、造られた命も。全ての始まり、無の世界へと…
というのが、レイの行動原理だったようで。生まれながらにして過去も現在も未来も奪われていた、けれど、ギルが確かな今を認めてくれた、だから、確かな今のために、確かな今を認めてくれたギルのために戦う、といったところでしょうか。
■でも違う!命は、何にだって一つだ!だから、その命は君だ!彼じゃない!
けれど、同じ造られた命である「彼」は、最高のコーディネーターとしての今だけには生きていなかった。目の前にいる「彼」は、キラ・ヤマトとして、どこも皆と変わらない「ただの一人の人間」として、明日に向かって生きていた。昨日を受け入れ、今日を抱いて、明日に向かって生きていた。そこにレイは、もう一つあった自分の可能性を、造られた命にとってのDESTINYを見てしまう。
自分にもあった明日への可能性、それを否定し、ラウである今に縛りつけたギル。ギルは今日を認めてくれた、けれど、明日は与えてくれなかった。今日を認めることは、今日に縛りつけ、昨日に目を向けさせず、明日を否定することでもあった。キラが「ただの一人の人間だ!」と叫んだ瞬間、彼の明日は最高のコーディネーターとしてのものではないと知った刹那、レイの今日を認めてくれた恩人は、昨日を遠ざけ、明日を否定した怨敵となった…
■ごめんなさい、でも、彼の明日は…
そして放たれた一発の銃弾。愛憎、恩讐、入り乱れた複雑な想いが放たれ、全てが終わる。そして、タリアの「あなたも、よくがんばったわ、だからもういい」によって、過去も受け入れてもらったレイは、過去そのものである「お母さん」へと帰っていったという。それが、レイ・ザ・バレルの答えだったという。
もちろん、その答えは「彼じゃない」レイだけのものであって、クルーゼが同じ答えと至ったかどうかはわかりません。ただ、それでも「造られた命」に対する一つの解たりえるものでした。この答えは。とことんクルーゼという文脈に付き合いつくした物語がDESTINYであっただけに、ここで一つの解が示されたことはスッキリサッパリ。と同時に、生まれの呪縛や赦しあえる友と出会えなかった悲運ゆえに、こういう生き方しかできなかったレイのFATEに涙。
惜しむらくは、レイの心境を掘り下げてこなかったことで、全力で「カカロット症候群かい!」とツッコミ入れたくなるほど突発的な印象を与えてしまう終わり方になってしまったことでしょうか。ぐらすも48話の感想で「レイは議長によって、レイ・ザ・バレルとしての今日を認められ、救われていたのでは」と読み違えています。終盤までタメた上で、レイの本心を明かす。それによって得られる効果もありますから、一概に「前々からレイの心理を掘り下げておけば良かった」とは言えないのですが、せめて「昨日」「今日」「明日」という暗喩なキーワードをレイの口から頻出させるくらいなら可能なような。あと、レイではなくクルーゼの声を発しておくとか。それとも、そういう前ふりはあったけど、単にぐらすの記憶&読解力がないだけとか?
■二つの正義
「やめたまえ、やっとここまできたのだ。そんなことをしたら、世界はまた元の混迷の闇へと逆戻りだ。私の言っていることは本当だよ」
「そうなのかもしれません。でも僕たちは、そうならない道を選ぶこともできるんだ。それが許される世界なら」
「だが、誰も選ばない。人は忘れ、そして繰り返す。もう二度とこんなことはしないと、こんな世界にはしないと、一体誰が言えるんだね。誰にも言えはしないさ。むろん君にも、彼女にも。やはり何もわかりはしないのだからな」
「でも、僕たちはそれを知っている。わかっていけることも、変わっていけることも。だから明日が欲しいんだ。どんなに苦しくても、変わらない世界はいやなんだ」
「傲慢だね。さすがは最高のコーディネーターだ」
「傲慢なのはあなただ。僕はただの、一人の人間だ。どこも皆と変わらない。ラクスも。でも、だからあなたを撃たなきゃならないんだ。それを知っているから」
「だが、君の言う世界と私の示す世界、皆が望むのはどちらだろうね。今ここで私を撃って、再び混迷する世界を、君はどうする」
「覚悟はある。僕は戦う」
■銃弾
言葉になって衝突した二つの正義。制御せずして人を生かせば、秩序の失われた明日には、人は滅ぶ。そう説く議長。人はわかりあえる、変わっていける、自分はそれを知っている、どこにでもいる普通の人間として。そう説くキラ。均衡しつつも、互いに銃を向けあう行為によって、言葉だけではわかりあえないことが証明され、わずかに議長の正当性が上回るような状況。
そして放たれる一発の銃弾。これがキラの銃から放たれたものであれば、議長サイドの正義の完全勝利でした。前作でキラがクルーゼを討ったように。討たれたクルーゼが笑いながら散っていったように。ところが今回はそうならず。誰よりも議長を信じた者、誰よりも議長の正義を信じた者、レイによって放たれた銃弾が、身喰らうように議長を討つ。そんな結果に終わりました。キラの正義も絶対ではない、議長の正義も絶対ではない。そんな結果に。
■そうかぁ…
それを知り、驚きながらも受けとめる議長。誰よりも自らのFATEについて知り、受け入れていたレイですら、今日だけに囚われる生を拒み、明日を望んだ。ならば、今デスティニープランを導入しようと、必ず破綻の時は来る。人はFATEを拒む存在なのだ。自分自身がそうであったように…。
そうして、タリアの「しょうのない人ねぇ。でも本当、仕方がないわ。これが運命だったということじゃないの。あなたと私の」に対し、自嘲気味に「やめてくれ」と応えながら、消えていく。なによりも望んだ女性とともに、なによりも欲した子とともに、なによりも願った明日とともに…。それが、ギルバート・デュランダルの答え。どこまでも運命に抗った、一人の人間の答えでした。
■この人の魂は、私が連れていく
そんなギルバートとセットになって示された、タリアの答え。過去に母として子を選び、前回は将官として軍令を選んだタリアが、最期に示した変われる力。タリア・グラディスとしての答え。タリアたんのダサい宇宙服も、スッキリした白服とは違う余裕のある作りで、女性らしさを演出したってところでしょうか。
正直、母であることよりも女であることを選んだタリアさんの答えは、かなり納得いかんのですよ。ただ、それは「今をもって信じたこと」にすぎず、あくまで「今は」そうせざるをえないということであって、絶対的に正しい選択として描かれたものではないわけで。それに対して賛否どちらのリアクションを示そうと、結局は「何が正しいかは自分で考えれ」というデス種の趣旨に沿ったリアクションになってしまうという。お釈迦様の掌の上でゴロゴロしていた暴れ猿と変わらんのよね。
■擬似家族エンド
そうして、為政者から個人へと立ち返ったギルバート、母よりも女であることを選んだタリアさん、子としての過去を与えられたレイと、三人が擬似家族となって終幕へ。それぞれに対して死という断罪は為されたものの、三人ともが望んでいた明日を、家族としての瞬間を与えられた結末には、赦しの残り香が漂い、切なくも綺麗で、そして優しい終わり方でした。
■僕は戦う!
遺伝子を模ったメサイアを破壊していくフリーダムの姿に、逃れられない自らの遺伝子、FATEに対し、それでも抗いつづけようとするキラの決意、DESTINYが垣間見え、かなり( ゜Д゜)ウマー。
そうして議長サイドが幕を閉じていく一方で示された、キラの決意。平和を望みながらも、不安定な明日を願う。そんな矛盾との戦い、矛盾を生む人の業との戦い、自分との戦い。それが、キラ・ヤマトの答え。41話ラストの「戦いからは、なにも生まれないんだ」「だから僕は、まだ戦っているんだ。いつか、すべての戦いが終わって、誰もが心から笑って、手を取りあえる時を、迎えるために」という矛盾モードが、いい具合につながっています。戦うのはよくないことだけど、戦わなきゃいけないときもあるんだぜ、みたいな。
種最終話では「守りたい世界が『ある』んだ」と叫びつつ、前大戦後には戦うことを忌避してオーブで隠遁していたキラ。オーブの慰霊碑と向き合うことすらなく、ただトンズラーしていたキラが、デス種最終話では、守りたい世界が「ある」だけでなく、その世界を守るために「戦う」ことを宣言。これがバリ熱かった。39話でキラにSフリーダムを託したり、43話で「もう迷いはありません」と発言したりで、ラクスも同じ境地に至っているのでしょうが、今回は戦後の活躍に期待できそうです。
■なんであなたがメイリンを…よくもメイリンを!
メイリン・ホークの言葉を、変化を受けとめきれず、それはアスランのせいだと思いこもうとして、アスランへと銃を向けるルナマリア。が、ルナとしては、議長サイドの言葉によってメイリンへのスパイ疑惑を植えつけられつつも、ストーカー行為によって誰が本物のラクス様かを知っていたために、メイリンやアスランが絶対に間違っているとは思えていなかったようで、それが「ちょっと話がしたかっただけよ」「これでいいのよね、これでいいのよね、シン…!」という言動になっていたわけで。
そんな迷いが、前回の「お姉ちゃん、やめて!なんで戦うの、なんで戦うのよ、どのラクス様が本当か、なんでわからないの!」によってさらに揺さぶられ、それでも「そんなメイリンはメイリンじゃない、アスランが騙したんだ」と思い込むことでバランスを保っていたのですが…
■シン!もうやめて!アスランも!
今回、アスランがシンに叫んだ「もうお前も、過去に囚われたまま戦うのはやめろ!」を横で盗み聞きし(つくづく盗聴好きですな)、今のメイリンを受けとめることを決意したという。それがルナマリア・ホークの答え。断片的な情報をパズルみたいに組み合わせにゃならんのがイラつくところですが、ルナが他人(特にアスラン)のことを自分勝手に思い込んで爆走するのは第2クールでも描かれていましたから、そこから始まった問題提起に対する決着のつけ方としては妥当なところでしょうね。(盗聴でもなんでも)人の言葉はきちんと聞きましょう、自分勝手に捻じ曲げてはいけません、と。本人は汎用的には気づいてなさそうですけど。
■よくもルナを、ルナをやったな!
これがオモシロ。最終話でのシンの行動原理は、ルナを守るという部分しかクローズアップされていないんですよね。というか、ルナに限らず、19話で語ったように「普通に平和に暮らしている人たちを守る」というのが、シンの行動原理だったはず。ところが、いつの間にか「DPを実現する」という目的とイコールになり、さらに「オーブを壊す」という目的へと摩り替わっているという。その結果として、オーブで「普通に平和に暮らしている人たち」を死なせることになるかもしれないのに…。
■もうお前も、過去に囚われたまま戦うのはやめろ!そんなことをしても、なにも戻りはしない。なのに未来まで殺す気か!お前は!お前がほしかったのは、本当にそんな力か!
そんな行動原理と行動が噛みあわないシンに向けて、自らの過去を重ねながら、自己啓発セミナーばりにシンの本当の想いを問うアスラン。43話でも「お前は本当は、何がほしかったんだ!」「その怒りの、本当の訳も知らないまま、ただ戦ってはだめだ!」と語りかけていますが、シンの「怒りの本当の訳」は、行動原理は、どこにあるんだと、改めて問います。
そして、43話同様、フラッシュバックする本当の想い。ステラの笑顔、マユの声。シンが本当にほしかったものは、愛する人たちとの、暖かい時間。もう二度と戻ることない、幸せな日々だった…。
だが、そんな時間は、もう二度と戻らない。取り戻す術はない。ならば、せめて二度と同じ過ちを繰り返さないように。そのためにはオーブを討ち、DPを実現させなければならない。そうしなければ守れない。だから、仕方ないと割りきって戦う。そうして、アスランへと刃を向けるシン。そんなシンが振りかざした力は、なによりも忌み嫌った力だった。幸せな時間を奪った、フリーダムと同じ力だった…
■儚く散った光が 僕らを今呼び覚ます 哀しみは音を立て 消える あの場所から
そして、間に入ったルナマリアという「明日」を討ちかけるシン。そんなシンにアスラン先生の鉄拳制裁が炸裂し、シン、トリップモードへと移行。そして姿を現わす、儚く散った光。その光は語りかける。昨日をもらった、それは嬉しいこと、だからわかる、明日も生きていいのだと。
おそらくですけど、ステラたん、霊ではなく、シンの胸に生きているステラの幻影なんじゃないかな。シンには元々ラクスサイドの傾向が強く見られましたから、そんなシンの潜在意識の中では、家族やステラの死はオーブのせいでないことに気づいていて、そんな想いがアスランの自己啓発セミナーによって頭をもたげた、といった感じじゃなかろ〜か。
それが「光の粒子が集うようにして形を成したステラたん」という演出になっているように思えてならないのですが、もちろん、実際に霊体ステラたんだったと見ることもできるわけで。ただ、どちらにせよ、旧主人公たちだけではなく、シンにとっての相互理解の光も生きていて、それがシンに「本当の想い」を気づかせるキッカケになったことは確かでしょう。そして、本当の他人の「言葉」によって、本当の自分の「想い」に気づいたシンが目を明けた時、そこにいたのはルナマリア(明日)だった、と。前回の感想で「シンにとって、マユは昨日、ステラは今日、ルナは明日を象徴するんじゃないかな」と触れていたのですが、もろヒットして気持ちいいっす。
■選ぶのは…
そして、虚空に立ち昇る、鎮魂の光歌。散った光たちが望んだ、本当の想い。ただ、ただ無事に、平和に生きてほしい。そんなレクイエムが奏でられる中、35話で自らが「泣いて哀しめって言うんですか!祈れって言うんですか!」と否定した姿で、泣いて哀しむシン。そして、崩れゆくメサイアを見つめる二人の姿…
その時、シンはただ涙を浮かべるだけでした。何を考えているのかもわからず、シンの哀しみが音を立てて消えたのかもはっきりせず、ただ、ただ、ステラの本当の想いを抱いて、そこに佇むのみ。そこから一歩を踏み出す時、再び「怒れる瞳」を抱くのか。それとも、全てを受け入れ、昨日(マユ)を忘れず、今日(ステラ)を抱いて、明日(ルナマリア)に生きるのか。それは、なに一つ語られませんでした。
シンがどんな道を選ぶのか。それを選ぶのは…あなただと。そう語りかけるように…
■主人公
そうして、キラの、ラクスの、アスランの、カガリの、デュランダルの、タリアの、レイ&ステラ&クルーゼの、マリューの、ムゥ&ネオの、ルナ&メイリンの、それぞれの変われる力&答えが示される中で、ただ一人、答えを出すことなく終わったシン。最後の最後まで正義を相対化させてきた上での、この着地点。モヤモヤさせられつつも、テーマ的に綺麗に収まったんで大満足っす。なにが正しいのかは自分で考えろ〜なオーラが満載なんで。
そして、そんなシンの姿に重ねながら奏でられた、最後の『君は僕に似ている』の調べ。この瞬間、誰が「君」で、誰が「僕」なのか、わかったような気が。おそらくですけど、君というのは、問いを突きつけられた視聴者。僕というのは、問いを突きつけた制作スタッフ。この歌は、そんな意味をこめた受容の歌だったんでしょうね。
そして、歌を「僕は君に生かされてる」と纏め、宙に舞うフリーダムの姿を描き、制作スタッフからの一つの解答例にして、挑戦状を突きつけたという。あなたは、誰を正しいと思いますか?と。何を選びますか?と。そういう意味で、やはり主人公はシンであり、各視聴者だったなぁと、そう思える終わり方でした。難を言えば、最後にメサイアを見つめるシン&ルナのシーン。あのシーンのシン(&ルナ)は、正面から映さず、背後からの描写だけで止めておくべきだったかな。流れ的に、あの瞬間のシン&ルナの表情を考えるところからリスタートすべきですからね。逆に、さりげにオモシロかったのはアーサーたん。場に流されるのは相変わらずでしたけど、自分から敬礼できたところに微かな自立の芽。シンと同じく民衆を象徴するキャラクターとして、アーサーなりの答えが見られて嬉しかったです。
■大成功?
とはいえ、多少の難はあれど、ほぼ制作サイドの思惑どおりっぽいというか…。直後の祭りで、各視聴者が「キラやラクスは間違っている」「議長サイドの言い分が正しい」「いや、どちらも馬鹿」などと繰り返すたびに、監督をはじめとする制作スタッフは喜んでいると思われ。そういったリアクションをもって大成功と言えるわけですから。
ただ、きんきら金に飾りたてたラクスサイドのMSを映し、あたり前のように「あいつらが正義なわけないやんけ!」というリアクションが生まれるシチュエーションを作りだして、各視聴者が考えざるをえない必然の状況へと追いこむ演出とセットにしているのが、上手くもあり、厭味でもあり、そこはかとない悪意が感じられるようでもあり。挑発しているというか、公共の電波で釣りをしているというか、実は「僕は君に生かされてる」なんて思ってなさそうというか。上手いっちゃ上手いんですけど、かなり笑かしてもらいました。
■古池や 蛙飛びこむ 水の音
そんな感じで、ギリギリまで正義を相対化しつづけた上で、最後の最後で絶対正義をアピールし、反発が生まれうる必然の状況へと視聴者を導くあたり、いかにも「何が正しいと思いますか?」と問いかけつづけたDESTINYらしい最終話でした。まぁ、言葉の力が発動されず、民全体の変革も明記されなかったので、その点では微妙にスッキリしませんでしたけど、前者は個人レベルでの発動、後者は変革直前までの描写は済んでいますから、こういう閉じ方もありっちゃあり。というか、ここで言葉の発動や民の変革まで描いてしまうよりも、あえて描かないことで考えさせる技法なんでしょうね。古池や蛙飛びこむ水の音、みたいな。水の音だけを追っかけてしまうと古池の静けさはイメージできないよ、みたいな。古池の静けさは各自が考えようぜ、みたいな。
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といったところで、最終話の感想終了。結局、主人公のシンは50話終わって始発点に戻ってきましたとさ。ただ、立っているポジションは同じですが、自分も他人も知らないままに軍へと身を投じた1話と異なり、今は多少なりとも自分も他人も知ることができていますから、その点では成長しているんでしょうね。DVD特典で40分のエピローグ?が描かれるらしいのですが、どうなるんかな。最後に答えを出したメンバーについては、その答えを具現化する過程をチラっと見せてほしいのですが、シンについては…。作品テーマを全うするなら、シンなりの決意(答え)は描かずに流し、ただ、シンが踏みしめてきた道を顧みる程度にしてもらった方が綺麗だと思いますけど。ま、なにはともあれ、来年2月末までマターリ待ちます。
全体を振りかえってみると、二〜三話で完結するエピソードを作らず(エンタメ的に盛り上がる場所は作っているんですけどね)、テーマを何層にも折り重ねすぎて、複雑でわかりづらい要脳内補完な内容にしたところが( ゜д゜)ポカーンだったかな。最終回も異常に話を詰めこみすぎた感があるんで、あと一週あれば、細部まで余裕を持たせたエピソードを描けたような。ムゥ物語やフラガ因縁ネタ、カガリ為政者モード、姉妹物語なんかは、一応のまとまりはついているものの、結末までは手をつけられなかった気配ですしね。議長の行動原理やタリアとの過去も、今一つはっきりしませんでしたし。
とはいえ、なんだかんだで一年間、週一で息抜きしながら楽しめるエンタメを提供してもらったことに感謝。福田監督をはじめとする制作スタッフの皆様、一年間お疲れ様でした。ありがとうございました。
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