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1. 2012/05/27 「栄光無き英戦艦」 分類: 戦記 編集/削除共有分類に追加/拍手:6個

本日は日本海海戦の日ですが、その36年後に英国海軍に苦杯を与えた独海軍戦艦「ビスマルク」が撃沈された日でもあります。
その、ビスマルクと戦った英艦艇の一つに、戦艦「King Joerge X(キングジョージ5世)」がありました。 Image:(http://art53.photozou.jp/pub/439/193439/photo/136783613.v1338086379.jpg)



1921年のワシントン軍縮条約以来、世界各国はあらゆる軍艦の建造が制限され、ほぼ第二次世界大戦直前まで主だった戦艦の建造は出来ない状態となった。その大きな例として主力戦艦の主砲口径が16インチ(40.6センチ)以上の建造がほぼ出来なくなり、艦のトン数も3万dに規正されるようになった。こうして一連の大艦巨砲主義の活動に十数年の間、一応の沈黙を迎えることとなった。
しかし、国際社会の連携と足並みは1930年代当時から次第に乱れ始め、不況の煽りで不景気が深刻化していったアメリカ、対中戦に走るようになった日本、更に欧州各国での利害兼の表面化によって再び戦乱が起こる気配が、それに向けた艦艇をはじめとした新造兵器建造計画も目の届かないところで極秘裏に進まれていた。
そして、列強各国は1930年代後半から連盟を脱退、もしくはそれに対抗するために新型戦艦の建造を開始し、日本艦隊を量で打ち負かすためのアメリカのノースカロライナ級、サウスダコタ級、アイオワ級各戦艦群、その強大なアメリカ艦隊に質での勝利を望むべく個艦優越思想に乗っ取って世界唯一の46センチ砲を搭載した日本の大和級戦艦、イタリア、イギリス、ドイツの力を封じるための手段であるフランスのリシュリュー級戦艦、イタリアが欧州各国の脅威から地中海の制海権を守るために生み出されたヴィットリオ・ヴェネト級戦艦 第一次大戦の苦杯を晴らすべく生まれたドイツのドイッチュラント級、シャルンホルスト級、そしてビスマルク級戦艦、更に大西洋の覇権に備えてイギリスが建造に勤しんだキングジョージ5世級戦艦といった各戦艦群が、来るべき決戦に備えていた。
それらの条約を見越した各国戦艦の先駆けとなったのは、ドイッチュラント級から始まり、更に高速戦艦シャルンホルスト級を生みだしたドイツであった。そして、それらの艦を基に、更に強大な力を秘めた超弩級戦艦ビスマルクの脅威を感じた英海軍は、ワシントン条約終結の頃合いを見計らって建造したキングジョージ5世級戦艦を揃え、対独戦に望むことになった。
そんな中で5隻のキングジョージ5世級戦艦で先陣を切ったのは、2番艦「プリンス・オブ・ウェールズ」であった。5月18日にライン演習作戦に出立したビスマルクを倒すため、英海軍の象徴だった「マイティ・フッド」ことフッドに率いられて出撃したのである。
ビスマルクvsフッド Image:(http://art53.photozou.jp/pub/439/193439/photo/136783416.v1338086308.jpg)
24日、「プリンツ・オイゲン」と共に進むビスマルクを捕捉したフッドとプリンス・オブ・ウェールズは、砲門の火力で圧倒する筈であったが、ビスマルクの砲撃によりフッドは轟沈、プリンス・オブ・ウェールズもいくらか一矢報いたものの、返り討ちの惨敗といってよい結果となった。
ビスマルクによってフッドは血祭りに挙げられることとなった Image:(http://art19.photozou.jp/pub/439/193439/photo/136783478.v1338086331.jpg)
英海軍はフッドを沈められた屈辱を晴らすべく、ビスマルクに執拗な追跡と攻撃を加え、26日にフランス沖の大西洋で航空母艦「アークロイヤル」が放ったソードフィッシュ雷撃機によって舵を破壊され、立ち往生するビスマルクを捕捉し、明けて27日、今度は戦艦「キングジョージ5世」と「ロドネー」を中心とした艦隊を派遣。満足に動けないビスマルクに向かって午前8時40分、各艦の砲門が傲然と火を吹いた。
英国艦隊が身動きの出来ないビスマルクに襲いかかる Image:(http://art53.photozou.jp/pub/439/193439/photo/136783664.v1338086400.jpg)
英艦隊の嵐のような砲火にビスマルクは晒され、尚も砲撃はするものの、連戦による疲れと、動きが取れない状態とあっては既に勝機は無かった。それでも驚異的な耐久力を見せ、不沈戦艦と呼ばれるに相応しい堅牢さを発揮した。
絶望的な中で戦い続けるビスマルク Image:(http://art14.photozou.jp/pub/439/193439/photo/136783724.v1338086421.jpg)
しかし、猛火と破壊に晒されるビスマルクは限界を迎えていき、午前9時31分、遂に全ての砲門が沈黙してしまった。
炎上するビスマルクを砲撃するキングジョージ5世 Image:(http://art17.photozou.jp/pub/439/193439/photo/136783774.v1338086443.jpg)
午前10時過ぎ、遂にビスマルク艦長リンデマン大佐は、総員退艦と自沈命令を下す。それでも尚ビスマルクは浮き続けていた。そして、表面的には勝者である筈のキングジョージ5世とロドネーの方が音を上げる事態となった。
炎上するビスマルクに最後まで止めを刺す事は出来なかった Image:(http://art18.photozou.jp/pub/439/193439/photo/136783848.v1338086467.jpg)
ビスマルク打倒の執念を燃やした英艦隊だが、戦艦の燃料が枯渇気味になり、キングジョージ5世、ロドネー共に、ビスマルクの止めを最後まで刺す事無く撤退を余儀なくされたのである。ドイツ戦艦を倒し、イギリス戦艦の高性能振りをアピールできるはずが、この撤退によって逆によりビスマルクの価値の方が上がることとなり、キングジョージ5世級戦艦は最初は返り討ちにされた上に、二度目の挑戦でも・・・という結果となってしまった。ビスマルクが完全に水上から消えたのは、二隻が去って20分も経った後であった。
ビスマルクはその船足でも英艦隊各艦を翻弄する事となり、大英帝國海軍はビスマルク一隻の為に・・・という不名誉な消えない傷を付けられ、更にキングジョージ5世級戦艦のその後も、さしたる功績を残すことはなかった。
シャルンホルストに引導を渡すデューク・オブ・ヨーク Image:(http://art53.photozou.jp/pub/439/193439/photo/136783955.v1338086508.jpg)
大きな戦果を挙げたのは、1943年12月26日に独高速戦艦「シャルンホルスト」を撃沈した「デューク・オブ・ヨーク」位ではないだろうか。他には沿岸砲撃や、上陸作戦に使用されたものの、米海軍の戦艦運用に比べれば、英戦艦の活躍は一般にはあまり知られているとは言い難い。ことにビスマルクによって苦杯を舐めさせられたプリンス・オブ・ウェールズに至ってはビスマルクと戦った同年の12月10日にマレー沖で「レパルス」と共に、日本海軍の一式陸攻による雷撃で沈められてしまい、1年にも満たない艦命を散らしてしまったのである。


キングジョージ5世級戦艦は、第二次世界大戦当時の列強各国戦艦の中では、やや低評価で見られていると思います。
ネームシップ1番艦であるキングジョージ5世は、ビスマルクと戦ったものの、相手は既に手傷を負っていたにも関わらず、完全に沈める事は出来なかったし、2番艦のプリンス・オブ・ウェールズはビスマルクの前に返り討ちに遭った上に、日本軍によって撃沈され、「最新鋭戦艦といえども航空機の前に無力だった」の象徴のようになってしまっています。
キングジョージ5世級戦艦は、砲門口径こそ13インチ(35.6センチ)と小さいとはいえ、4連砲塔二基を備え、比較的小さい排水量に抑え、堅牢にしつつ、攻撃の手数を増やし、コンパクトにまとめ上げた艦という評価がありますが、相手が悪かったのか、ビスマルクの前にはいいとこが無かったし、マレー沖海戦でも旧型のレパルスの方が雷撃に耐えていたという評価がされ、あまり見せ場や性能が発揮出来なかった艦だったと思います。
しかし、ビスマルクと戦った際に同行したフッドの後を追うようにプリンス・オブ・ウェールズは沈んでいますが、どちらの艦も構造的な問題や欠陥はあったといえそうです。フッドは水平甲板の脆さを最後まで克服できなかったし、プリンス・オブ・ウェールズは、ビスマルクの運命を間接的とはいえ決めた航空機という存在を見ていなかった部分があるし、それは日本が真珠湾攻撃で米戦艦群を壊滅させ、航空機の方が有利だという証明をしたにも関わらず、その航空機の攻撃で大和、武蔵を失ったところと共通するものがあります。
いざ意気込んで多くの装備を身につけて、果敢に挑んだものの、装備が大して役に立たず、その結果が惨憺たることに・・・というのは、現実社会に於いてもよくあることですが、第二次大戦時の列強戦艦でこれを実証してしまったのは、大和級戦艦を除けば、キングジョージ5世級戦艦だと思います。
そして、この日の日本海海戦と36年後のビスマルク追撃戦で共通するものは戦艦同士の凄まじい砲撃戦の他に、もう一つあります。それは疲れ切ってヘロヘロになっていた者と、バックがしっかりしていて、万全の体制で戦えた者がぶつかり合ったというものです。前者がロシアバルチック艦隊とビスマルク、後者が日本聯合艦隊とイギリス艦隊という事になります。
長旅で疲れていたバルチック艦隊、執拗な追跡に疲弊していたビスマルクを、戦意を漲らせた聯合艦隊と、復讐戦に意気込んだ英国艦隊が撃破した結果は、敗者の側を思えば諸行無常ですが、様々な共通点を考えると、戦いの中で見え隠れしてくる人類の変わらなさと、戦いを止めることが出来ない進歩の無さを映しているとも思えます。
大英帝國海軍戦艦「キングジョージ5世」 Image:(http://art53.photozou.jp/pub/439/193439/photo/136784081.v1338086556.jpg)
全長:227.1m
全幅:31.4m
排水量:36727t
機関出力:110000hp
速力:28ノット
航続距離:15000海里
装甲厚:舷側381mm 甲板152mm 主砲330mm
武装:
45口径35.6cm砲×10(4連装×2、連装×1)
50口径13.3cm砲(連装8基)
40mmポンポン砲×16(4連装×4)
搭載機:水偵×2
乗員:1422名
同型艦5隻(「プリンス・オブ・ウェールズ」「デューク・オブ・ヨーク」「アンソン」「ハウ」)
1937年 1月1日 ヴィッカースアームストロング社で起工
1939年 2月21日 進水
1940年 10月1日竣工 12月11日本国艦隊旗艦となる
1941年 1月にアメリカ訪問、2月8日、新型通信機を持って本国帰還 5月27日 独戦艦「ビスマルク」追撃戦に参加。ロドネーと共にビスマルクを砲撃するも、撃沈前に燃料不足で帰還
1942年 3月15日 独戦艦「ティルピッツ」攻撃の為の船団支援、5月1日米戦艦「ワシントン」と共に船団護衛に就くものの、ムルマンスクに向かう途中、駆逐艦パンジャビと衝突、艦首損傷 修理のためにスカパフローへ回航 7月に修理完了し、復帰
1943年 5月 シチリア、サンレノ上陸作戦支援参加
1944年 3月6日改装 10月に東洋艦隊配属
1945年 1月24日パレンバン空襲支援 3月23日沖縄攻略戦参加 5月宮古島砲撃 7月14日九州各地を砲撃した後、17日に日立、29日に浜松砲撃 これが英戦艦最後の砲撃となる 9月2日東京湾での式典参加
1950年 予備役編入
1957年12月17日除籍 翌58年売却後武装撤去後、翌59年に解体処分

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