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1. 2006/10/24 「瓦解する艦隊 前編 壮絶!!戦艦武蔵」 分類: 戦記
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本日は62年前のレイテ沖海戦で、そこでが最期を迎えた時でした。       
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1944年10月24日、追い詰められた連合艦隊はフィリピンに上陸する米軍を撃破する為にフィリピン目指して進撃していた。           
    
戦艦「武蔵」は栗田艦隊主力としてレイテを目指した。       
           
その少し前の10月22日、ブルネイ湾に停泊していた艦隊はこれが最後の決戦と信じ、連合艦隊司令部の「天佑ヲ信ジテ突撃セヨ」という言葉に戦闘配置を進めていた。しかし、連合艦隊司令部の神重徳(かみしげのり)中佐は「この一戦で連合艦隊をすり潰しても構わない」と豪語し、上層部の判断の甘さで作戦失敗が続いた艦隊の人々の中には「俺達はバナナの叩き売りか」と自嘲する声も多かった。    
作戦は戦艦、重巡洋艦を初めとした栗田健夫中将の第一遊撃部隊がフィリピン・レイテ湾に突入し、そして、敵艦隊を引き付ける役割を既に戦力が無きに等しい小沢時三郎中将の第1機動部隊がフィリピン北方のエンガノ海峡方面に向かうことになった。 
  
ブルネイから出撃する戦艦武蔵           
         
そんな中で開始された作戦だったが、10月23日、栗田艦隊はパラワン水道で米潜水艦の雷撃を受け、重巡洋艦「愛宕」と「摩耶」が沈没、「高雄」が戦闘不能になり、戦線離脱を余儀なくされる。    
そして10月24日、午前8時10分にはシブヤン海に入った栗田艦隊は察知され、午前10時を過ぎた時、戦いは始まった。栗田艦隊は「大和」「武蔵」に加え、「長門」「金剛」「榛名」といった戦艦に巡洋艦「鳥海」「妙高」「羽黒」「熊野」「鈴谷」「利根」「筑摩」「矢矧」や駆逐艦隊の対空砲火が押し寄せる米機動部隊に一斉に向けられた。

シブヤン海を進む武蔵は戦闘態勢に入った。

こうして戦闘は始まった。主砲の三式弾によって多くの敵機が撃ち落とされ、近づく敵にも対空砲火が敵機を寄せ付けなかった。しかし、敵機の攻撃は執拗であり、海の上と空の上では勝手が違いすぎた。その中で午後12時7分戦艦武蔵に敵機の攻撃が集中した。


対空用三式弾が火を噴いた!!その攻撃で米艦載機群も大きな被害を受けたが、敵機動部隊は数にものを言わせて襲いかかってきた。

爆弾を回避しつつも、魚雷までは回避できず、遂に一撃を浴び、武蔵は大きなダメージを受けた。それでも進撃を続けたが、戦力が圧倒的に優勢で、直営機が一機もいない丸裸同然の栗田艦隊はひたすらに敵機編隊の攻撃を受け続けた。それにも負けず対空砲火は火を噴き、敵機を迎撃し続けたが、3本の魚雷と3発の爆弾を浴び、武蔵のダメージは深まっていった。


尚も巨砲が唸りをあげて敵部隊を迎撃し続けるが・・・・・・。

尚も進撃を続けたが、被害は大きく、乗員の犠牲も増える一方で、主砲と高角砲にも影響が出始めていた。そして午後1時25分、爆弾7発、魚雷5発を受け武蔵はもはや満足な艦隊行動が出来なくなっていた。浸水が激しく、速度は低下する一方で、主砲も唸る事が出来ず、対空砲火も次々と破壊されていった。
午後3時15分、傷が深まっていた武蔵にダメ押しの攻撃が叩き込まれ、魚雷11本、爆弾10発の被害を受け、武蔵は文字通り武蔵坊弁慶の如く、敵の攻撃を吸収していた。まるで、僚艦大和を義経のように庇うかのように・・・・・・。


奮闘する武蔵だが、限界は迫っていた。

ヴァイタルパート(艦内主要防御)部には全く損害を受けなかった武蔵だが、軽装甲部分によるダメージへのフォローは出来ず、その夥しい浸水によって武蔵は皮肉にも最重要部の重量によって、フィリピン・シブヤン海の海に引き込まれようとしていた。
艦首がすっかり水に浸かって落ち込み、航行もろくに取れなくなり、それでも尚、武蔵は浮いていた。それはまるで航空機という新たな戦力に対する不沈戦艦としての最後の意地であったのかも知れなかった。

武蔵は米艦艇と戦う機会を遂に与えられなかった。

武蔵艦長猪口敏平少将は沈没時、こう書き残している。
「申し訳なきは、対空砲火を有効に活かせぬ事なり」
確かに武蔵は優れた戦艦であり、魚雷20本、爆弾20発に加え、多くの至近弾を浴びながらも尚堅固な力を持っていた。しかし、対空砲火やレーダー技術、そしてダメージコントロールという艦の細かい部分の強化を海軍は予算不足、技術不足等を原因に怠っていたという部分があり、猪口艦長もその事を知っていたらしく、武蔵という海軍、いや日本の至宝を大勢の乗組員と共に沈めてしまい、その事で責任は感じていたのだろうが、武蔵を本当の意味での不沈艦にする努力を海軍はしていたのかという恨み節のような部分が本文にはある。例え、相対的に航空機の数には敵わないとしてもである。それは半年後の大和の沈没でも明らかなのではないのだろうか。


沈没寸前の武蔵。午後7時35分に戦艦武蔵は力尽き、シブヤン海に消えた。

午後7時35分、日本海軍が建造した最後の戦艦でもある武蔵は1040人の乗組員と共に、フィリピン・シブヤン海にその巨体を没したのである。
しかし、これで悲劇は終わらなかった。武蔵の生存者の1376名が辿った道は悲惨なもので、ある者はフィリピンの陸戦隊に編入させられ、その戦いで大半が命を落とし、ある者は日本へ帰っても拘禁状態で幽閉され、口封じの為に沖縄や硫黄島の戦場へと送られ、またある者は特攻艇に・・・・・・という事など、戦後生き残った人々は結局、沈没時の生存者の半分に満たなかったのであった。
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故吉村昭の「戦艦武蔵」でも明らかなように、武蔵は様々な試行錯誤と困難を経て就役しました。しかし、完成していた時には遂に・・・・・・というのはやりきれなさを感じるし、大和に比べ、イマイチ知名度で劣る武蔵については知られていないことが多いです。しかし、その最期と悲壮感、そして徒労感こそ、人間が行う戦争という最大の愚行を示しているし、その人間達の歴史の中で翻弄された巨艦の最期は大和のそれよりも遙かにドラスティックに、そしてシビアに訴えていると思います。

戦艦「武蔵」最終時

全長:263メートル
全幅:38・9メートル
排水量:69100トン
機関出力:150000馬力
速力:27ノット
武装
主砲:45口径46センチ砲9門
副砲:60口径15・5センチ砲6門
対空砲:40口径12・7センチ砲12門
機銃:25ミリ機銃105門:13ミリ機銃4門
噴進砲:12センチ28連装噴進砲二機
搭載機:零式水上偵察機4機:零式水上観測機2機
1938年3月29日:三菱長崎造船所で起工。
1940年11月1日:進水
1942年8月5日:連合艦隊第一戦隊横須賀鎮守部配属、呉にて竣工。
1943年1月22日:トラック島へ入港。
1943年2月11日:連合艦隊旗艦となる。
1943年5月22日:山本長官の遺骨を持って本土へ帰還。
1943年6月24日:昭和天皇が行幸。
1943年8月5日:出動訓練に従事。
1944年2月15日:輸送作戦に参加。
1944年3月24日:米潜水艦の雷撃に触雷。航海に支障無きまま航行する。
1944年3月31日:古賀連合艦隊司令長官遭難により、旗艦から外れる。
1944年4月10日:呉にて改装作業に入る。
1944年6月22日:マリアナ沖海戦に参加。全く被害を受けないままに大和、金剛、榛名と共に敵艦載機を30機近く撃破。
1944年8月12日:猪口敏平大佐が艦長着任、最後の艦長となる。
1944年10月22日:レイテに向けてブルネイを出港。
1944年10月24日:フィリピン・シブヤン海における対空戦闘で魚雷20本、爆弾20発、至近弾18発を浴び、午後7時35分に沈没。
1945年8月31日:除籍
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