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| 注意: これはドラマ版。その他メディアのページ: 文学:みにくいアヒルの子 |
| ドラマ総合点=平均点x評価数 | 101位/1,416作品中(総合18/偏差値58.67) | 100位<= =>102位 |
| 1996年ドラマ総合点 | 4位/32作品中 | 3位<= =>5位 |
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評価統計
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| 作品紹介(あらすじ)平泉玩助(岸谷五朗)は30歳。北海道・女満別の音根別小学校の先生だ。みんなからガア助と呼ばれている。先生は校長と玩助の2人だけ。生徒は10人にも満たない。 ある日、自分で勝手に恋人と決め込んでいる幼なじみのまさ子(常盤貴子)が、東京へ出て行ってしまった。さらに、生徒の清も千葉へ転校した。働きに出ている父親に引き取られたのだ。そんな時、生徒数減少によって音根別小学校の廃校が決まった。玩助は東京へ出かけ、まさ子と清に会った。北海道に帰ると、清が自殺したという知らせが入った。田舎から都会に出た清は、仲間からいじめられていたのだ。玩助は、ショックを受ける。 そして1年後。玩助は東京の小学校に赴任した。 新しい生徒達に「北海道ではいい先生ではなかったが、しあわせな先生だった」と自己紹介した。北海道の生徒たちは純粋だった。だが、今度の生徒らは・・・。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 製作:フジテレビ TVシリーズスタッフ 脚本:水橋文美江 山崎淳也 演出:林徹 竹内英樹 プロデューサー:小林義和 音楽:石田勝範 主題歌:「君を忘れない」 歌:松山千春 挿入歌:「サマータイムブルース」 歌:ブライアン・セッサー キャスト 平泉玩助:岸谷五朗 松永まさ子:常盤貴子 沢木茂:河相我聞 佐藤千夏:森口瑤子 山崎哲也:田口浩正 服部先生:浅野和之 山根教頭:佐戸井けん太 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 日本 開始日:1996/04/16(火) / 終了日:1996/06/25 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
利用状況
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最近の閲覧数
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| 最終変更日:2007/10/09 / 最終変更者:管理人さん / 提案者:月下 (更新履歴) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 2010/12/17 とても良い(+2 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/] by 光介 (表示スキップ) 評価履歴[良い:5(62%) 普通:3(38%) 悪い:0(0%)] / プロバイダ: 11108 ホスト:11098 ブラウザ: 5345 【良い点】 懐かしいですね。 私も北海道人ですが、 本来あるべき教師と生徒との ほのぼのとしたコミュニケーションが 土地柄をよく表現していて微笑ましいドラマでした。 ガア助先生役の岸谷五朗と恋人役の常盤貴子も ハマリ役だと思います。 【悪い点】 特にないかな・・・。 【総合評価】 【とても良い】です。 [推薦数:2] 2009/03/08 最高(+3 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/] by asuka (表示スキップ) 評価履歴[良い:62(78%) 普通:5(6%) 悪い:13(16%)] / プロバイダ: 29314 ホスト:29053 ブラウザ: 4926 このドラマは丁度対象年齢の小学生か中学生の時に見た。 CMで見た音楽とテンポが良かったのでドラマ嫌いなわたしも見る気になった。 水橋文江さんの脚本の演出力が最高に素晴らしいドラマ。 毎回高視聴率で、当時の新聞の番組欄に「こういう先生がいてほしい」という子供の投書が多いという記事があった。 わたしも当時の子供たちが「こういう先生がいてほしい」と望んだように、同じことを思った。 望むのは、それが存在しないからだ、ということもわかってて、だから欲しいとはいわなかった。 作中ガア助が「4年三組のみんなが仲良く笑ってる」光景を現実には存在しない理想として夢で見るしかなかったように、 ただ世界には、人間が望んだもの全てが存在するわけでは無いのだという初めての発見でもないことを哀しんだ。 世界には今ここに無いものを、夢で見るしかないこと、夢に見ることすらできないことがあるのだということを、哀しんだ。 ここに描かれている子供は、大人が子供を、過小評価し、過大評価し、美化し、卑下し、 ファンタジーにし、ドラマチックにし、でも所詮そういう虚構しか見えない大人の視線から零れ落ちていく子供の現実を、 やっと掬い取ってくれた作品だったという気がする。 自閉症の子供を描いた(こちらはあまり好きではないけど)「光とともに…」のドラマでもそうだったけど、 水橋さんは、子供のリアリティを描き出すのに不思議にすごく長けていると思う。 小学生の時学級崩壊の起きていた学校ではゲームのように毎日ターゲットを変えていじめが起きており、いじめる側でもありいじめられる側でもあり、 ここに描かれている、子供が流動的に被害者になったり加害者になったりする精神をすごくリアルとして見た。 大人の檻に閉じ込められて、食ったり食われたり共食いの様相を呈する子供のいじめ構造。 いじめられてあやめ台小学校に転入してきた青木剛が「もういじめられたくない」という思いから、 いじめられる側からいじめる側へ転向するため、手っ取り早く身につけられる「強さ」としてジャックナイフを持ち、 一番気の弱そうな聖也を脅して言うことを聞かせ、自分に自信のない聖也もまた、ナイフを手にして「これが何もない僕の一番星だ」とガア助に叫ぶ。 いじめる側はいじめ易い子供を敏感に嗅ぎ分ける。 「いじめられる側にも問題がある」と言葉だけで簡単に切って捨てられるギリギリな子供の心、 子供の小さな心に圧し掛かって潰す世界の巨大さを、こういう場面で掬い上げるのが本当に上手い。 そこにいるのは、どこにでもいる誰でもある、わたしでもある「みにくいアヒルの子」だった。 たぶん全ての「みにくいアヒルの子」の子供たちの、リアルには存在しないガア助に叫ぶこともナイフの切っ先も突きつけることもできず、 誰にも何もいえないまま心の中だけにしまわれ、いじめや自殺という叫びでしか表せられなかった、心のナイフの刃だと思う。 心の刃の叫びを剥き出しにし、このドラマによって、ガア助によって子供たちの命がけの心の叫びに、 初めて命がけで体当たりで向き合ってくれたドラマだったと思う。 これを見て、子供というのは、所詮、大人社会の縮図でしかないと思う。 大人と同じ、打算、姦計、媚へつらい、異質なものの疎外、上下関係。 「こうすれば大人は納得するし、安心する」という子供像を大人の顔色を伺いながら演じているのが、子供のリアルだと思った。 子供の世界にあることは、大人の世界にもあることで、でもなまじ大人が器用に処世してあしらって未処理のまま放り出している問題が、 そういうツールの無い子供の世界ではより切実に、肉薄して迫ってくる問題として描いていた。 ・ 大人の顔色を伺って「大人びて」子供でいられなくなった子供、 自分と周囲の感性の違いに敏感に反応して、疎外したり恥じたり、中身より見た目、強いものや大勢に媚びる弱者の処世、 大人世界からすれば、「ありふれた些細な問題」で世の中はそうしたものだとなおざりに処世してきた問題の中、 大人が未処理に済ましてきた問題の中、大人が作り上げ、大人が処しきれない問題で膨れ上がった世界に、 子供たちは放り込まれ、次第に歪んで、誰にも受け止められないまま落下して、子供であること、自分であることを失くして行く。 そうして、子供である自分、自分なりの感性を持った自分というものを歪み、喪失していった子供が大人になり、 また、子供が放り出され落下する大人社会の一部になりながら、生きていく。 小さくて些細な子供の問題を通して見えてくるのは、もっと大きくて深刻な、大人と社会の問題。 子供の世界でいじめがなくならないのは、大人の世界でいじめがなくならないからだ。 そこは、誰もが傷ついていて、誰も癒せない、たくさんの傷ついたみにくいアヒルの子のいる世界だ。 ここに描かれているのは、とりたてて才能の在る子供でもなく、問題のある子供でもなく、不幸な子供でもなく、 まるでモンスターのような理解不能の問題を突きつけるような子供ではない。 むしろ一見平凡で平均的に幸福でさえある「いい子」の、 誰もが違和感を感じながら素道りしていた世界の、普通の問題や疑問を突きつける子供たちの姿だ。 今までの教師ドラマが「問題のある子供を更正させる」上から視線の教師ドラマだったとしたら、 この作品は画期的で、この作品の中で一番の「問題児」は誰かといえばそれは教師であるガア助自身。 ガア助はいう、『いい生徒より、幸せな生徒になろうぜ』。 だから「いい子」の6年三組は反発する。 「いい子の顔さえ表面でしていれば、大人はそれで満足する」というどんな子供も持っている大人への、自分の思いと言葉を持つことへの穏やかなあきらめ、 大人への絶対的な失望と絶望ともいう子供が唯一できるの大人への処世術をガア助は奪い、無効化し、その虚構をひっぺがすからだ。 「いい生徒」ではなくて「幸せな生徒」とは何か。 きっとそんなことを子供たちに「求め」た大人は今まで一人もいなかったに違いない。 今までの子供たちは「大人にとってのいい子」を求められ、子ども自身が幸せかどうか、子ども自身が幸せであれ、 などと求める大人の言葉には作品の中、虚構でも出会ったことがなくて衝撃だった。 ・ 「いい子」とは客観的な判断で「幸せであること」とは個人の感性を中心にして判断するしかない個人の主観に主軸が置かれるもの。 このドラマに出会って初めて「大人にとっての都合のいい、大人が安心できて満足できるいい子」 を求められることより、わたし自身が幸せかどうかという、わたし自身の主観を大人に気にかけてもらえたと思えた作品だった。 今までそんなことを言ってくれた存在には、今でも、虚構でしか出会ったことは無い。 リアルでこんな大人になどに会うことは無い。 今までは、大人、親、教師、社会や世間や常識、ルールに判断されて、そこにいる自分が正しい存在か、 他者に判断されて、そこにいる自分が許されているか、他者の価値観に判断されて、そこにいる自分が許されているか、そんな思考しかしてこなかった。 そこには、自分がどう感じ、自分がどう考えたのか、自分が幸せか不幸か、などという主観も主体の判断もなく、 つまりは、わたしがわたしである意味である主観など存在する価値はない。 ただ価値を持っているのは「みんなにとって許されている存在」かどうか、そこにいるのが、わたし自身でなくともよい、 みんなと同じである誰かなら、そこにいるのは誰でもよいのだ、わたしがわたしとしてそこにいる必要性など、誰にも無いのだ、 という隠れたメッセージを日々受け取り、絶望し、失望しながら、処世しているわたししかいない。 ただ、他者にとってわたしの存在は正しいのだろうか、という強迫観念的な判断しか、そこにはなかった。 けれどこれは、子供にとってだけではなく、大人世界のほうも同様、というより大人世界のほうが顕著なのかもしれない。 より一般的に、より均質に、より世間的に、よりみんなと同じに。 大人世界への処世術を無効にし、「自分が幸せかどうか」という、大人の世界が求めてなどいないことを突きつけてくる教師は、 そうした子供たちにとって、とんでもない問題教師だっただろう。 子供が大人世界の縮図であるように、子供も日々大人世界に突きつけられる刃をあしらい、問題を問題化しない感性になって、大人になっていく。 そういうものだとつぶやきながら。 そういうふうに静かに大人に絶望している心を心の底に沈殿させ、表面上は波風立てずに、静かに大人に失望している子供たちは、 社会の底に、大勢沈殿しているのではないかと思う。 「おとなしく」してさえいれば、大人にとって、それがいい子なのだ、と。 ガア助自身が、大人にとっての「いい子」になりながら、沈静させてきた子供たちの感性一つ一つに向き合い、 子供たちに「自分が幸せかどうか」という主観判断に向きあわさせ、 端から見れば、子供たちが潜在、沈静化してきた問題を再浮上化し表面化させる、この作品で一番の問題児童だったのだ。 本当は、あらゆる価値観のひとつひとつに自分なりの感性と価値観で反応する感度があるはずなのに、 「みんなと一緒で何も問題なく」という均質化の中で、自分が自分であることの意味を持つ、 自分なりの感性や価値観が生きる自由が殺されていっているのだと思う。 そこにいる子供は、ありふれた哀しみや問題を抱えていて、でも子供の哀しみを子供なりの哀しみとして哀しんでくれる大人がいなくて、 子供としての哀しみの行き場の無い子供は、真っ直ぐに、 誰の哀しみも受け止めていない、誰の悲しみも癒せていない「社会」の論理の中に、埋没してしまう。 この作品が多くの教師ドラマと違うのはガア助が、子供の、「大人はこういう風に見せていれば安心する」というあしらいが通用しない存在だからだ。 東京のませた子供たちが「大人用」に見せている顔が、ガア助の前ではガア助以上に大人に見えてしまう不自然さを際立たせた演出が自然だった。 そこでは、「大人用」の顔を見せなければならない影で、子供の顔ができない哀しみ、 子供に子供の顔を自由にさせてあげることもできない大人世界の窮屈さ、不自由さが逆に見えてくる。 ・ 『あたしは、普通の先生に、普通に勉強を教えてもらいたいだけよ ! 』 とガア助に一番反発した美和子は叫び、ガア助は『普通って何だ、これがそうか、みんなと同じってことが普通なのかよ ! 』 と叫ぶ。 ガア助との関わりの中で、最後に美和子は叫ぶ。 『わたしはいい子より、幸せな子供になりたい ! 』 幸せな人間になりたい、根本的で、普通で、当たり前のことを叫ぶことすら、そんなことに思い至ることも、考えることもできず、 「いい子」でいることに、幸せではなく、ただ、排除されないことの安心を拠り所に生きている、 子供たち、大人たちが生きるこの世界の、どこが豊かで、どこが平和で、どこが自由なのだろう。 「幸せであること」、これほど個人の感性と主観に依存するものはないはずのものが、 いつのまにか、一般的価値観でいう「幸せ」、みんなとおなじ価値観の「幸せ」、 社会のレールに自動的に乗っかって、突出したことをして人に目をつけられ排除されないように安定した人生を送る「幸せ」、 みんなと同じ価値観にひとくくりにされたものを「幸せ」だというようになった。 ガア助は、「みんなと同じであることで安心する大人」の顔色を伺って美和子自身にとっての幸せとは何なのか、そんな考えを振り払う美和子に、 大人の論理に捕まって美和子が喪ってしまうもの、美和子の美和子らしさ、子供の子供らしさを、必死に救出する。 『 いい子より、幸せな子になりたい ! 』と叫ぶことを、泣かなければならない子供が生きるこの世界。 そこから見えてくるのは、子供から大人への発信をやめた絶対的な絶望と失望であり、 大人がこういう大人の論理で動く世界に生きることを批判せず、反逆せず、訴えず、静かに絶望しながら許容し、守り、追随する、 子供の大人への、捨て身の愛ともいえるものだと思う。 「美和子自身は、いい子より、幸せなのか」 と問い詰めるガア助に一番反発した美和子は一番、自分が幸せであることよりも、大人が一番安心する大人にとっての「いい子」であることで、 大人の論理を守りかばい、大人を自己犠牲的なまでに愛している一番深く傷ついている子供だ。 このガア助の造詣は、どんな教師ドラマにも無い、画期的で、唯一評価に値する存在だったと思う。 子供と大人のバランスが絶妙に共存していたと思う。 子供に見せなければならない、大人の子供らしさと大人らしさを絶妙なバランスで持っていたと思う。 マチャ子もそうだったと思う。 ガア助もマチャ子も言動は幼くて北海道のようにおおらかで、失笑ものなくらい垢抜けてなくて野暮なのだ。 どこかで感覚を麻痺させて心を押し殺すことで世界への処世を身に着けている子供たちに対して、 ガア助とマチャ子は、大人の処世を身に着けた子供ではない、最初から親なし子のみにくいアヒルの子、大人になることを拒否した子供。 ガア助とマチャ子が立ち向かうのは子供たちではなく、守らなければならない子供が内面化してしまった大人の論理だ。 大人論理を内面化した子供のいじめに、大人論理なんか知ったこっちゃない、大人なんかクソ食らえの子供の感性で、 そして芯を持った大人の感度で真っ直ぐ、大人たちの世界を命がけで生きている子供たちと向き合う。 ・ 北海道から東京の学校に転校し転校生というだけで目をつけられてしまい、いじめにあって自殺する清の回が泣けてしょうがなかった。 北海道から清を訪ねてきたガア助に体面をとりつくろっていじめのことをいえない清は大人だ。 おちゃらけるガア助を、先生はしょうがないな、という上から目線の目で見守る清は、大人だ。 子供が親と、東京の窓からお城が見えるマンションに暮らすことが子供の幸せなのだ、 子供という一般的なイメージの中でしか清を見れなかったガア助は大人だ。 ここには、子供としての清の気持ちを飲み込み、大人の顔をしているガア助に調子を合わせている大人と、 子供とはこういうものだ、という大人の目線でしかものをみられない大人がいるだけだ。 ここには、傷ついた子供と大人との出会いではなく、大人と大人の出会いがあるだけだ。 クラスメイトに落書きされた運動靴を、大人世界、ガア助に背中を向けて、 ひとりきれいに洗い、何もなかったことにしようと一人処理している清は大人だ。 清の父は女遊びに現を抜かし、遊び人の女にも父にも食事も作ってもらえず、 かつての教師からは東京のディズニーランドが見えるマンションに親と暮らせる子供は幸せだと一方的に決め付けられ、 毛色が違うとクラスメイトにいじめられる。 清がこの世界につけられた上履きの落書きの汚れを一人で洗い落とし処理しようとして、 それでも一向に落書きの汚れの落ちない上履きを洗う清の手がふと止まったとき、 上履きの汚れひとつ落とせない子供の手が、いじめの、大人の世界に立ち向かえるほど強くはなれないと悟り、 水道の下の塗れた上履きから顔を上げたとき、清は子供がただ一つだけできる選択を悟る。 そこには清が内面化している大人世界がある。いい子で、おとなしく、世間的に、みんなと同じように、そんな大人論理が清を内面から追い詰める。 大人論理に内面的に外的にも追い詰められている清はガア助に、『先生、大人になっても、いじめられるの?』と問う。 清は自分が子供だから、周りの子供が子供だから、今いじめがあるのだと思って、こういう問いを発する。 清をいじめているのは大人論理であり、大人論理を内面化した子供と大人たちであり、清自身が内面化している大人論理だ。 清が子供で周りの子供が子供だからいじめがあるのではなく、清が子供でいられず周りの子供が子供でいられず、 大人論理に追い詰められ、子供が大人でいなければならなからいじめがあるのだ。 『大人になってもいじめられるの?』という問いを残して清が自殺したのは、出口の無いいじめに絶望したからというより、 子供が子供であることを大人が管理する社会が奪っている世界の真実に触れ、 大人と世界そのものに絶望して殉教した子供の一番子供らしい純真さ、無垢、無邪気さだったと思う。 清の自殺によって、ガア助は『いい先生より、幸せな先生』になることを決め、清が死んだ原因である、東京のあやめ台小学校4年3組に赴任する。 小学生という微妙な、大人を無条件に信じられるほど無垢ではなくなったけれど、大人びすぎもしない年頃へのアプローチも良かったと思う。 ガア助が清の自殺に際して『いい先生より、幸せな先生になる』と思ったのは、清に対して、 『いい大人』の部分を見せ、体面をつくろい、あたらずさわらずの態度でお茶を濁し、 無様でも不恰好でも、体面など捨て、清にちゃんと向き合わなかったと思ったからだいうと思いから。 いっさい説明や言葉がなくても、ガア助の心情、おちゃらけててもどこかに体面を気にする「いい大人」でいる部分、 そういう自分に気がついた苦さ、後悔、そういう部分を今度は徹底的に否定し、 「いい大人、いい先生」なるものを否定しきり、大人顔した子供以上に自分が一番子供であろう、子供が子供であることに絶対的に味方しようという、 心情の変化や機微が繊細に伝わってくる見せかた、水橋文美江さんの脚本家の演出が天才的にすごかった。 ・ 狙い済ませたように、誰も見てこなかった子供の心の奥底の、ささやかな哀しみや悲劇を描き出し、 そして、ここぞというときに、子供が一番言ってもらいたい台詞をガア助は言ってくれる。 子供が一番大人に求める行動を、ガア助はしてくれる。あざといといえばあざといのだけど。 わたしは小学二年生くらいのとき、もう絶対泣かない、と決めた。 泣くことは、今ここに無いものを思って、ほしい、ちょうだい、たすけて、と言うのに似ていた。 今ここに無いものばかりが、あざ笑うように、明確になるばかり。 弱い自分は許せなかった。 泣かないために感じることもやめていたから自分が何を感じて何を思って、今ここにるのかもわからなくなる。 だからこのドラマを見て泣く自分を、自分であきれた。 哀しい、寂しい、怒り、なんで泣いているのかわからなかった。 済ました顔をした大人びた子供たちがガア助と触れ合うことで、泣いたり怒ったり、 演出とも自然な変化とも区別のつかない流れで次第に本当の子供らしい顔に戻っていくのと同じだったのかもしれない。 自分の幸せを願ってくれる人、自分のことを一番に考えてくれる人が自分のために言ってくれる言葉と行動を、ガア助はしてくれる。 自分が求めていた言葉はこういうことだったのだ、自分が人に求めていた行動はこういうことだったのだと気づく。 逆に言えば、今まで、何に渇いていたのか、何に失望していたのか、何に絶望していたのか、今まで何を喪失していたのか、 与えられた言葉と想いともに初めて自分が喪っていたものを知る。 今まで、ほしい、ということを喪失を浮かび上がらせるだけだから口をつぐんでいたことを、 この作品で、子供たちの声を借りて、ガア助の声を借りてマチャ子の声を借りて、わたしが言いたかったこと、いわれたかったことの声を与えられて、 わたしの中で閉じ込められていた声が、堰を切られどうしようもなくあふれた。 今まで、他者に否定されない自分でいることに必死で、他者にとって「いい子」であることだけが大事で必要になどされてこなかった心、 自分でもまったく目に入らなかった「自分」の存在、誰にもかんがみられなかった自分にも心があったことを、このドラマを見て初めて思った。 ・ ここに出てくる子供たちはみんな、「普通のいい子」だけど、 いじめる子、いじめられる子、どちらにも、子供たちのこころの中には、ひっそりと、「みにくいアヒルの子」が隠れている。 子供たちは、子供であるというだけで、闘っているのだ。 みにくいアヒルの子は、精一杯、自分が、真っ白な羽を持った白鳥だと、大人たちにアピールする。 そうでなければ、今度は自分が、「みにくいアヒルの子」として、排除されてしまうから。 ガア助は、子供たちのみにくさ、ぶかっこうさ、悪どさ、狡賢さ、子供たちの「みにくいアヒルの子」のこころこそを抱きしめる。 大人たちのスモッグのような曇った心の前に、駄目な自分、弱い自分、悪い自分、みにくい自分、本当の自分の心をさらけだせず、 曇り空の中に、心の一番星が見えなくなっている子供たち。 北海道の大空のように、曇りのないガア助の心に、丸ごと抱きしめられた子供たちの心は、自分たちの中に、ピカピカ光りだす一番星を見つける。 一番星を見失って、光を失った曇り空に迷子になっている子供たちの中に、ピカピカ光る一番星は初めからあったのだと気づくまで、 子供たちの中で一番星が光り始め、みにくいアヒルの子の心が翼を広げ、翔ばたく時がくるまで、ガア助は空に光を失った子供たちの心全てを抱きしめ、 自分が子供たちを導く一番星を光らせる、北海道の曇りのない大空そのものになる。 ガア助の人差し指はいつも真っ直ぐに、大空を指さしている。 『 ひとりで泣かないで 見上げる大空は 君と僕をつないでる 』 と呼びかける大空、曇っていても、雨が降っていても、いつも、星や、月や、太陽の輝きが子供を照らす空、 みにくいアヒルの子の子供が、一番星のように、真っ白に輝く白鳥の翼で飛翔する大空。 ガア助は、どんな子供もひとりぼっちに泣かせない大空、その中で、みにくいアヒルの子が翼を広げ、自由に飛翔し、 子供たちがキラキラ輝く一番星になる、大空そのものだ。 ・ ガア助役の岸谷五郎さんの北海道の空ように包容力のある味のある演技と常盤貴子さんの、天然でありながら、芯の一本通った強さ、 北海道の大地のようにたくましく、包容力のある演技の魅力を引き出したドラマであり、 役者の魅力を引き出す、引き出さずにはおれない、水橋さんの演出の冴えが素晴らしいドラマ。 小説でも十分面白く、大人の立場になると水橋さんのあとがきが泣ける。 こういう感度の大人だからリアルな子供が描けたのだと思った。 DVD化されないのが許せない。 2009/03/07 最高(+3 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/] by 竹犬千代 (表示スキップ) 評価履歴[良い:211(45%) 普通:106(23%) 悪い:153(33%)] / プロバイダ: 19847 ホスト:19731 ブラウザ: 7774(携帯) 昔懐かし小学校教師のドラマですね。「先生知らないの?」(てかこれの評価欄ないな…)と並んで好きでした。 主人公のガア助は見た目はチャラチャラしてても優しさと厳しさとリーダーシップを持ち併せた、今では居なくなりつつある「理想の教師」を体現した先生だと思います。彼が生徒達に投げかける暖かい言葉は良かったですね。あと時折出てくるギャグシーンはストーリーがシリアスな分面白い(笑) それにしても当時あんなに可愛かった末永遥が、数年後「おめえの席…ねえから!!!!」なる台詞を吐こうとは一体誰が予想したでしょうね(汗)ガタイのいい子は金八でいじめられ役演じたのに… 個人的に教師ドラマではトップクラスに面白い作品だと思います。スペシャル版も申し分ない出来だったので評価は「最高!」で! 2008/10/03 最高(+3 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/] by 鯖鯖 (表示スキップ) 評価履歴[良い:376(77%) 普通:18(4%) 悪い:92(19%)] / プロバイダ: 8361 ホスト:7958 ブラウザ: 6342 懐かしい作品ですね。現在まで綿々と続く教師系ドラマの中では 個人的ですが一番の出来だと思ってます。 素朴で不器用な教師「玩助」に「岸谷五朗」が熱演していて、ヒロイン役に「常盤貴子」で 今までにキャラに無い 天然ボケでマイペースだがどこか強さを感じる(母性?)女性を演じていて 主人公との漫才の様な遣り取りは楽しかったですね。 北海道という 大自然の中の教育が 主人公の過去のベースにあるんで、どこか牧羊的で 「教師ドラマ」に有り勝ちなギスギスした感じが無かったのも特徴的です。 子供達、同僚教師達とトラブルや摩擦を繰り返しながら 自分を曲げない情熱は感嘆しました。 結構人気が有ったらしく 後日譚の様なTVスペシャルも放映されましたね。 評価は「最高」で。今も心に残るドラマです。がDVD化されてないんですねぇ、、、残念。機会あれば是非オススメします。 2008/07/29 とても良い(+2 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/] by 前田清貴 (表示スキップ) 評価履歴[良い:292(72%) 普通:54(13%) 悪い:59(15%)] / プロバイダ: 17345 ホスト:17522 ブラウザ: 6520 ドラマは元来積極的に見るほうではないのですが、これは見ていましたねえ。 確か田舎の先生が好きな同僚の先生が東京に転勤になるので自分も追いかけていく…といった話だったと思うのですが…。 岸谷五朗が演じた先生はかなり好感のもてる人物だったと思います。 こういった先生が少なくなってロクでもない先生がなった日には…。なんか世の中が嫌になりますね。 評価は「とても良い」です。 2007/10/09 とても良い(+2 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/] by メテオ (表示スキップ) 評価履歴 / プロバイダ: 19923 ホスト:20013 ブラウザ: 3162 人間味溢れるいいドラマだったな。一回目の冒頭からかなり重たいけれど。 不器用ながら生徒と奮闘していくガースケが良かったな。マチャコとの絡みも最高。有り得ない位に主題歌とドラマがマッチしていました。 悲しいけど時代を感じるな。今は学校ものをやっても殺伐としたものばかりやし。 2005/12/22 良い(+1 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/] by 羽幌炭鉱 (表示スキップ) 評価履歴[良い:773(45%) 普通:469(27%) 悪い:473(28%)] / プロバイダ: 25850 ホスト:25655 ブラウザ: 4487 田舎育ちの先生が都会の子ども達を指導する先生となり、その都会の子ども達相手に 悪戦苦闘するコメディタッチの教師ドラマというところか。 まあ、岸谷吾朗も常盤貴子も普通にキャラになりきって見事にドラマを盛り上げてく れた。作品としてはまあ、良作或いは佳作になるであろう。 この作品は続編がいくらか特番で作られるほどの人気作だが、その中では都会の児童 の中に心臓に不備の或る弟が生まれた少年が話の主軸に入ったものがあったり、それ に松山千春が演じる牧場主なんてのが出てきたりとか、玩助の教え子達のその後なん て話とか、色々あった記憶がある(原田泰造が弁護士を演じている話もあった様な)。 そう考えると、時の流れがあまりにも速いことを感じさせた。 2005/12/21 とても良い(+2 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/] by 月下 (表示スキップ) 評価履歴[良い:35(85%) 普通:1(2%) 悪い:5(12%)] / プロバイダ: 2781 ホスト:2731 ブラウザ: 5234 玩助とまちゃ子(まさ子)の会話が面白かったです。常盤貴子さんが天然キャラのまちゃ子を演じるのは新鮮 味があって良かったです。岸谷五朗さん演じる玩助もすごく良かったです。 玩助が生徒と本気でぶつかり合う姿も良く描かれてて良かったです。 松山千春さんが歌う主題歌「君を忘れない」もこのドラマに合ってて良かったです。 この評価板に投稿する |
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| 1. 「『トップをねらえ2!』この作品に対するコメント」 by 島3号 ... た後になって再び「努力と根性」などと言い出す、そのメッセージの雑さ。 「もっと現実を見なさい」という店長のもっともな忠告がすぐに忘れ去られてしまったこと。 敵と味方の入れ替わりのようなギミックに対する理由付けが希薄で、浅い単なるレトリックに見えがちなこと。 夢だけは大きい「子供」の「アホウドリ」なはずが、 実はやっぱり「みにくいアヒルの子」だった、 ... 記事日時:2007/01/14 |
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