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読み仮名: じゅんこく / 英語タイトル: Jyunkoku
2006/02/25 良い [編集・削除/削除・改善提案/論客限定表示/]
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吉村昭が沖縄を舞台にした戦記物で、沖縄上陸が始まった米軍に対抗する為に日本軍は年端もいかない少年兵を次々と戦場へ送り込んでいきます。
主人公の比嘉真一もその一人で、いざ銃剣を持って、鬼畜米英をスローガンに闘志に燃えていました。
しかし、実際にはそういった戦いを起こすだけの余力は既に沖縄=日本にはなく、米軍の攻撃にただただ逃げ回るだけでした。米軍の圧倒的な戦力に既に力の無い日本は逃げまどうか、玉砕するかの二つの選択肢しかなかったのです。
敵と戦うよりも、沖縄島民と共に逃げるしかない姿と、多くの島民が次々と死んでいく光景を生々しく描いているし、戦場と化した沖縄の姿がニュース映像で見た時のような生々しいタッチで迫ってきます。
最終的には武装解除し、米軍に投降するのですが、そんな姿は滑稽でもあり、哀れであり、そして惨めでありましたが、戦争中の日本はこういった「生きて牢囚の辱めを受ける位なら死ね」と強調していました。
それが切れた時、そして、その日本の教えが命を粗末にするだけのものだったと知った後の呪縛がプツンと切れる時の困惑と喪失感は「負けた者は惨め」というよりも、「戦争と軍の呪縛が解けた」具合です。
これは勝った者だろうと、負けた者だろうと、戦争の呪縛から解き放たれた時、物凄い喪失感が襲ってくるのは戦争というものの本質を描いているし、糸が切れた人形のようになってしまうのは、戦争になると人間は糸で操られ、そして終わると動きが止まってしまい、一人の兵士を人形劇の人形に例え、その戦争が終わった時の姿は軍人だろうと民間人であろうと、喪失感が襲ってくるのだと思います。
末期の沖縄戦の一例を描いただけでなく、一人の少年兵が見た戦争の現実と、軍人、民間人問わず、多くの人々が死んでいった世界と戦争の実態を描いている意味では「戦艦 武蔵」よりもリアルなタッチで迫ってくる戦記文学だといえるでしょう。
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