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| 著者:安部龍太郎 出版:新潮文庫 発行 1993年8月 ※1989年から90年まで「週刊新潮」に連載。当時の タイトルは「日本史血の年表」。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 最終変更日:2004/10/19 / 最終変更者:tcc (更新履歴) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 2004/10/20 最高(+3 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/] by TCC (表示スキップ) 評価履歴[良い:2148(46%) 普通:1434(31%) 悪い:1069(23%)] / プロバイダ: 39585 ホスト:39473 ブラウザ: 4483 大和から明治まで1300余年に渡る日本の歴史を権力闘争などの果てに敗れ、 その表舞台から去っていった人間達のドラマを通して、俯瞰する事を試みた力作。 46の短編小説から構成されており、どれも興味深く読ませていただきましたが・・・・・・・・・・・ ・「大和に意義あり」 日本史の教科書には必ず出てくる盤井と雄略天皇がかって、主従関係にあったという 解釈が新鮮に感じられました。この磐井の乱、日本書紀どおり継体天皇22年(528年) に収まったとすると、古事記では527年4月に継体が崩御した事になるので、次の安閑朝 に収まった事になりますが、古事記でも磐井の乱は継体朝で収まったと書いてあってので いつ起こったかはともかく、継体朝を揺るがす大事件でした。磐井は当然、当時の記紀 を編纂した政府からは簒奪を狙った大悪党なので、良くは描かれていませんが、この 物語での彼は実に純粋な人でしたな。 ・「蘇我氏滅亡」 蘇我入鹿は山岸女史の某作品では推古天皇元年生れとされてましたが、中臣鎌足と一緒に 学問を学んでいた事などから、この作中での推古天皇20年前後頃の生れと解釈するほうが 妥当かと思います。従兄弟の石川麻呂が上宮王家の生き残りだった片岡女王とのロマンス 故に大化の改新クーデターに参加するという解釈でしたが、愛の力とはやはり理屈ではないのか と改めて感じさせられました。 蘇我氏は石川麻呂が弟の日向に足を引っ張られて、自殺した後も一定の勢力は維持していましたが、 結局壬申の乱までいくつかの政争に巻き込まれて、数多くいた倉麻呂(蝦夷の弟で、石川麻呂の父。) の息子達も大海人皇子(天武天皇)に好意的だった安麻呂(石川麻呂の弟。)の系統のみが生き残り、 そして、石川麻呂の血を引いていた天武皇統(天武の皇后だった持統天皇と、彼女の息子・草壁皇子の妃だった元明天皇 は石川麻呂の外孫。)も、奈良時代以降は藤原氏の血に濃く乱入され、藤原王朝と相成り、 結局末期には断絶してしまうのですが、蘇我氏自体も平安時代以降は公卿が出なくなり、 歴史の表舞台から姿を消す事となりました・・・・・・・・・・ ・「応天門の変」 平安時代に入っても、そうして衰退した蘇我氏や物部氏を尻目に大伴氏(伴氏)も 何度も政争に巻き込まれながらも、かろうじて家格を維持していましたが、 そうした伴氏もついに決定的衰退を強いられる事になる、応天門の変の、 この話は鷹取を中心としてかかれていました。小学館の歴史学習漫画にも このエピソードは挿入されていたので、印象深い話の一つでしたな。 でも、最後鷹取一家は証言して伴善男を流罪させたという事で、一文無しから 一転厚遇を受ける事になったけど、周囲から白眼視されて、あまり 良い想いはしなかったのではないかと思います。 ・「鉄身伝説」 地元茨城では、徳川光圀などと並ぶ有名人、平将門が主人公の話でした。 学習漫画でも「将門=善玉、貞盛=悪玉」のステレオタイプで描かれてましたが、 これもそうでしたね。将門の事をチクろうとして上京しようとした時に 信濃国で追いつかれそうになった貞盛のあわってっぷりが何とも滑稽でしたな。 彼は生没年不明らしいですが、少なくとも、まだ7,8歳の子供だった藤原道長が父の兼家と伯父の兼通の 権力争いを見ていた974年頃までは生きていたようで、903年頃生れの将門と同世代 だったとすると、70歳前後までは少なくとも生きていたという事になりますね。 この時代の人間としては長寿です。 ・「比叡おろし」 主人公、藤原泰盛の末路は特に悲惨でした。道長・頼通の摂関家全盛 の時代には有り得ない出世をしたと思ったら、鳥羽天皇を亡き者にしようとした僧仁寛 に加担したとされて、斬首・・・・・仁寛は白河法皇の弟、輔仁親王の護持僧だった のですが、この発覚をきっかけに親王は謹慎に追い込まれ、6年後の1119年に失意の うちに46歳の生涯を閉じます。白河法皇とこの輔仁親王の関係は後の徳川家光と忠長の それに似ているなと思いました。 ・「奥州征伐」 源頼朝の冷徹な人間像がよく描かれていたと思いました。源氏は元々 一族争いをしばしば繰り返してきた一族であり、それが義家没後、平氏に後れを取った 大きな原因だったのですが、頼朝による義経殺害はその代表的な例ですね。これは 頼朝の立場をよく理解しないで、朝廷から勝手に官位を貰う等の行動を取っていた 義経にも問題があったと思いますが。 ・「道灌暗殺」 北条早雲が上杉定正を唆して、太田道灌を謀殺した新解釈を取って ました。実際の上杉定正はそれほど暗愚だったとは思わないのですが、この物語で の彼はまさにバカ殿ですな。結果的に扇谷上杉氏は道灌暗殺の60年後、道灌の遺言 通り、その孫の北条氏康に滅ぼされてしまいましたが。なお、道灌の子孫はその後、 静岡・遠州の小大名として明治まで血脈を保ったようです。 ・「松永弾正」 将軍家の威光を取り戻そうとの気概があった足利 義輝は結局飼い犬に噛まれる事に・・・・・物語終盤には一時は畿内の実権を握った久秀が 徳川家康の見世物にまで落ちぶれた(朝倉攻めの評定にも参加させてもらえず。)自分の 姿に苦悩していた姿が特に印象的でしたが、13代将軍義輝暗殺事件は結果的にはかっての 主君長慶(物語では久秀に毒殺される。)以上の実力者織田信長の上洛を促しただけ でしたね・・・・・・・松永久秀を主人公とした小説は笹沢左保氏の「野望将軍」が 有名ですな。 他にも色々コメントしたい話があるのですが、長くなりすぎたのでこれぐらいにしときます。 この作品は著者のデビュー作でしたが、機会あらば、他の作品も読んでみたいと思いますね。 この評価板に投稿する |
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