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| 注意: これはアニメ版。その他メディアのページ: 漫画:HELLSING(ヘルシング) |
| アニメ総合点=平均点x評価数 | 1,270位/3,703作品中(総合12/偏差値48.82) | 1,269位<= =>1,271位 |
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評価統計
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| 全13話 放映局:フジテレビ 東海テレビ サンテレビ 原作:平野耕太 連載誌:ヤングキングアワーズ 少年画報社刊 企画:パイオニアLDC GONZO プロデューサー:ueda yasuyuki(パイオニアLDC) 村濱章司(GONZO) スーパーバイザー:筆谷芳行(少年画報社) 監督:浦田保則 シリーズ構成:小中千昭 キャラクターデザイン:村田俊治 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 日本 開始日:2001/10/16(火) / 終了日:2002/01/15 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 公式サイト 1. HELLSING | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
利用状況
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| 最終変更日:2008/08/10 / 最終変更者:管理人さん / その他更新者: カトル / SS / 提案者:ヤス (更新履歴) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| [推薦数:1] 2003/04/12 とても良い(+2 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/] by さまよえるオランダ人 (表示スキップ) 評価履歴[良い:2(100%) 普通:0(0%) 悪い:0(0%)] / プロバイダ: 14285 ホスト:14286 原作の方はまだまだ連載中であり結末が読めないので、「作品」として既に完結しているアニメ版の方について。独自の展開に熱烈な原作ファンの方にはいろいろと複雑だったようですが、個人的には大変気に入っており、かなり「面白い」作品だと思いました。 この作品に限ってのことではありませんが、原作付きアニメの場合、その是非を問う声のひとつに、頻繁に「原作に忠実な展開か否か」ということが問題にされます。しかしそれはごく一部の国民的人気長寿番組を除けば、まず連載中の原作をそのまま後追いしていくのは、放映編成の事情からいってまず不可能です。(しかもこのシリーズ。通常のアニメ作品の約半分の一クールです。)必ずどこかで物語を区切り、一つのシリーズとして「話」をきちんと完結させなければなりません。既に原作が完結しているものならばともかく、連載進行中の作品を映像化した場合、その時点でそのアニメは既に「原作とは似て非なるもの」になるのはむしろ必然だと自分は考えます。 従って、原作付作品の場合、原作の持つ独特のカラーを生かしつつも、なおかつ原作世界とは切り離し、それ自体を一つの独立した「映像作品」として見て、充分に「面白い」か否かという点を自分の場合は、重要視しています。単に「テレビではここまでで終わりです。この続きは原作を読んで下さい」というようなアニメは「作品」としてははっきりいって失格だと思うのです。そういう意味で、このアニメ版『ヘルシング』は成功作といえるでしょう。 『ヘルシング』の魅力の一つはキャラクターの独特の存在感ですが、特に中でもアーカードのあの強烈なカリスマ性は尋常ではない。彼が画面に登場しただけで一気にその場の空気が変化してしまう。まさに『ヘルシング』ワールドを象徴するキーパーソンであり、実は彼の描写次第で作品全体のカラーと方向性がほぼ決定されてしまいます。逆説的にいうと、アーカードさえ上手く昇華できればもはや、「作品」として半分は成功したも同然であり、実際、アニメは原作のデモーニッシュな雰囲気を壊すことなく、演出に気を使い、さらに上手く膨らませていました。 例えば、インテグラが通り過ぎた後、彼女の影や足元にあった水溜りや部屋に置かれていた鏡の中に何気なく一瞬アーカードの眼が映し出されるという等のアニメ版独自の演出は、彼が「人間」ではなく、あくまでも彼女に、ヘルシング家に「取り憑いている」(「むしろ「取り憑かされている」というべきか)超自然的存在なのだという認識を観客に強く与えるものです。この姿勢は最後まで徹底しており、感情はあっても決して「人間臭」は見せないという狙いは見事に効を奏したといえます。ここまでリアルに「人外の存在」らしさを感じさせたヒーローは今までいませんでした。彼は間違いなく歴代のアニメーションキャラクターの中でも最高ランクのダークヒーローの一人として記憶されるでしょう。中田氏のキャスティングも実にハマっていて、アーカードという闇の存在が持つ純然たる凶暴さと静謐なる深遠さを同時に醸しだしていました。 アニメ版『ヘルシング』は主に一、二巻に相当するエピソードを巧く再構築し、バトル主体の原作よりもさらにプロットを重視した作品となっています。特にヘルシング機関は、より実在感のある「組織」として細部まで描写されており、これがいろんな部分で「作品」に厚みをもたらしている。一つはリアルな特殊部隊としての戦闘プロセスを地道に描いておくことで、アーカードと特殊技能を備えたイスカリオテ機関を初めとする荒唐無稽な超能力戦シーンに、物語として、より強い説得力を帯びさせたわけです。(無論、その戦いのハチャメチャさこそが、『ヘルシング』たらしめている、最大の特徴でもあるわけですが。) しかし、ファーガスン部隊長というオリジナルレギュラーキャラまで登場させてヘルシング機関の細部描写にこだわったのは、この機関そのものが、「作品」の本当の意味での二人の主人公であるセラスとインテグラのアイデンティティの重要な拠り所でもあったからほかなりません。セラスにとっては失くした自分の仲間達の部隊に代わる、「人間」として振舞える自分の最後の居場所であり、インテグラにとっては父の形見でもあり、自分が護り育ててきたヘルシング一族の「誇り」の成果でその証明でもあったもの。それだけ大切だったものが最終的に剥奪され、ことくごとく崩壊していく。それもよりによって彼らが守護してきたはずの「人間達」の手によってとどめをさされるという最も皮肉な形で、でした。 アニメ『ヘルシング』とは、「ヘルシング機関と人工吸血鬼を産みだす組織との戦いの話」ではなく、実は、アーカードという「人ならぬ存在」と出会ってしまったことで、己自身が今まで培ってきたアイデンティティと世界観を覆される究極の選択を付きつけられた、「二人の人間の女の逡巡と葛藤」を描いた物語なのです。原作ではたぶんたまたま偶然だったのでしょうが、アニメスタッフは、セラスとインテグラがアーカードと出会うシチュエーションの「類似性」に着目し、この二人が「照応関係」になる様にアーカードとの出会いのやり取りや、家族構成等にあえて変更を加えています。 例えば原作ではセラスは孤児ですが、アニメにおいて死んだ「警察官」の父と二人暮しという設定になったのは、インテグラ親娘と「対応させる」意図からでしょう。実際、本編を追っていくと、彼女達はアーカードを挟んで、世界観、立場、育ち、及び彼との関係とその感情などあらゆる点において、まさに「コインの表と裏」の様相を持っていることが判ってきます。そしてアーカードとの出会いの時、各自が彼と交わしたやり取りはそのまま物語の核心となる伏線でもあり、シリーズのクライマックスにおいてそれぞれが反復されるわけなのですが、最終的にインテグラの置かれた立場が、シリーズ冒頭でのセラスの立場の反復となるのが実に面白い。 ラストでアーカードがインテグラに付きつけた問いは、実は我々視聴者に対する問いかけでもあります。果たして我々が彼女達の様な立場に置かれた時、彼の誘いを拒みきれるだろうか。これ見よがしに虜囚のインテグラの目の前で自らの血を滴らせてみせるアーカードはまさに、人間を堕落へと誘う「悪魔」そのものに見えます。しかし、本編ではその一方で「人間」をやめて「吸血鬼」になることは果たして本当に「堕ちる」ということなのか、という命題も同時に提示しているのです。 これは原作にないアニメ版独自の観点であり、物語当初の「吸血鬼」=「不浄なる絶対悪」という人間側の視点に対して、中盤からは「吸血鬼」側から見た視点を打ち出し、相対化を計ります。アニメオリジナルの少女吸血鬼へレナは、この命題を担うと同時に、セラスに「吸血鬼」としてのアイデンティティを肯定させるきっかけを与えた重要なキャラクターでもあります。彼女の登場によって当初の前提たる「吸血鬼」像に揺らぎが生じ始める。本来、「吸血鬼」が人間を吸血するという行為の意味は、野生動物の捕食と同様であり、「まともな」吸血鬼ならば「渇きを癒す以上には人間に手を出さない」ということがやがて判明されるわけです。これは、アーカードが分別を持たない人工吸血鬼を激しく侮蔑し制裁を加えるという態度の動機に対する何よりも強い裏づけであり、実に説得力があります。 結局、本当に問題を起こしてるのは本物の「吸血鬼」よりもそのうわべだけを真似た元「人間」達であり、人工吸血鬼の謎に迫れば迫るほど、「吸血鬼」と「人間」の境界はますます混沌となり、「全吸血鬼の掃討」というヘルシング機関の正当性とその存在理由さえも脅かし始めるのです。では「人間」を「人間」たらしめているものは何なのか。そもそも「人間」とは「吸血鬼」とは何なのか。本編で推察されたある学者の仮説の様に「人間」と「吸血鬼」がいわゆる生物学的な因子の発現条件の有無の差にすぎず、元々同一な存在なのだとすれば、「人間」というアイデンティティに固執し、後者を盲目的に排斥することに一体何の意味があるというのでしょう。 シリーズを通した長い葛藤の末、遂に最終的な決断を下したセラスの姿はどこか清々しくて、まるで祝福されているかのようにも見えます。ラストのインテグラと実に対照的ではないでしょうか。 「神の御名において不浄なる生ける屍に永久なる鉄槌を討たん」これはヘルシング機関の合言葉であり、信条でもありました。しかしアニメ『ヘルシング』は、これが人間達の手前勝手な独善でしかないことを暴露し、最終的に当の人間自身が鉄槌を受けることになる。これは長年人間に狩られてきた吸血鬼達の復讐の「物語」でもあったのです。最後に「本当に」勝利したのはヘルシング一族ではなくて、むしろアーカードの方だったということなのでしょう。 この評価板に投稿する |
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