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[アニメ]もののけ姫: 推薦を受けた評価(感想/レビュー)


もののけひめ / Princess Mononoke
アニメ総合点=平均点x評価数258位/3,702作品中(総合93/偏差値60.06) 257位<= =>259位
アニメ平均点(評価10個以上限)1,385位/2,044作品中(平均0.31=普通/299評価) 1,384位<= =>1,386位
1997年アニメ総合点6位/98作品中 5位<= =>7位

評価統計
評価平均普通(0.31 pnt)
評価総合点92.69
アニメ順位(平均点)1,385位(2,044作品中)
アニメ順位(総合点)258位(3,702作品中)
偏差値(総合点)60.06
最高の中の最高3

人数42526345322639
割合14.0%17.4%21.1%15.1%10.7%8.7%13.0%
加算分布14%31.4%52.5%67.6%78.3%87%100%
分布要約52.5%15.1%32.4%
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簡単投票の分布
映像1.41(良い)17
音楽0.88(良い)17
キャラ・設定0.59(良い)17
声優・俳優0.24(普通)17
ストーリー0.24(普通)17
考えさせられた65%11人/17人中
美しい35%6人/17人中
怖い35%6人/17人中
面白い35%6人/17人中
格好良い29%5人/17人中
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作品紹介(あらすじ)

かつての大和王朝との戦いに敗れ、歴史の表舞台から姿を消したエミシ一族。
その王家の末裔アシタカはエミシの隠れ里で相棒のヤックルと共に狩をして暮らしていた。

ある日里に「タタリ神」が来襲。
里を守るためアシタカは矢を放ちタタリ神を撃退する。
しかし撃退した代償としてアシタカの右腕はタタリ神の呪いを受けてしまう。
それは時が経つにつれ体を侵食し、やがて死に至る呪いであった。

アシタカは呪いを解く方法を探すために村の巫女ヒイさまからお告げを受ける。
「西の国で何か不吉なことがおこっているのだよ」

配給:東宝 制作:スタジオジブリ 徳間書店
原作・脚本・監督:宮崎駿 音楽:久石譲
英語吹替版監督:ジャック・フレッチャー
英語吹替版脚本:ニール・ゲイマン Neil Gaiman
英語版・製作総指揮: ボブ・ワインスタイン Bob Weinstein ハーヴェイ・ワインスタイン Harvey Weinstein
英語版主題歌:サーシャ・ラザール

キャラ/声優
アシタカ:松田洋治
サン・カヤ:石田ゆり子
日本 公開開始日:1997/07/12(土) 映画
エンディング動画 (1個)
もののけ姫
歌:米良美一 詞:宮崎駿 作曲:久石譲 [補記] [ファン登録]
利用状況
日本192,200386299
海外10,1032726
最近の閲覧数
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(階位と権限/特典の関係の説明)
最終変更日:2009/12/24 / 最終変更者:kunku / その他更新者: 管理人さん / DONP / ラマンチャ / サブキチ / カジマさん / 提案者:もろっち (更新履歴)
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[推薦数:4] 2010/06/23 とても良い(+2 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/]
by (表示スキップ) 評価履歴[良い:27(84%) 普通:5(16%) 悪い:0(0%)] / プロバイダ: 15593 ホスト:15613 ブラウザ: 15043
【良い点】
とにもかくにも映像技術と色彩美。妥協を行わない姿に脱帽。
徹底的な現地取材に基づいた背景美術。が、それに引きずられすぎず、独自の発想とアイディアを織り交ぜる監督はやはりすごい。
写実的な面と幻想的な面を非常にうまく両立させていた。
考えさせる作品というより、感じさせる作品という挑戦的な作り。

【悪い点】
グロテスクな描写がある。
テーマやストーリーの構成はかなり複雑なものなので、どうしても感じるより考えるがメインになりがち。

【総合評価】
最も好きなアニメです。
ストーリーやテーマ性もありますが、やはり色彩美が素晴らしいですね。単純に写実的な背景や描写を叩きこむだけならば、誰にだってできることでしょう。今作の映像の素晴らしさは、そこにイマジネーションが組み込まれていることです。
白神山地と屋久島がメインの題材であり、蝦夷の村での場面が白神山地、シシ神の森が屋久島、と総括的に見られがちではありますが、実は蝦夷の村でも屋久島が、シシ神の森でも白神山地が随所に表れているのです。とても自然に違和感なく、まったく異なる題材を融合させるセンスが素晴らしい。天才とはこういうことを言うのだと思い知らされます。
屋久島のもののけの森にて実際に「現れる」木霊を、ああ言ったモデルとして描いた監督の想像力にも感服。あの太鼓岩を見て、そこから屋久島の森を整然と見通す山犬を想像することにも感服。決して濁ることのない荒川の水を、血と土で濁らせることで込めた強いメッセージ性。明確な題材があって作られていた背景の中、唯一、完全な想像によって生み出されたシシ神の森は、言葉にできない素晴らしさ。
題材にとらわれることなく、引きずられることなく、完全に自分のものとして自らの中に吸収し、そこから無限の創造物を生み出していく。天才のなせる業ですね。

背景ひとつをとっても今作の素晴らしさがあふれ出ているように思えます。当然、題材となった土地の予備知識がなければ、作品の本質を垣間見れないという作りは、万人向けをうたったジブリにはふさわしくありませんが、たとえ知識がなかったとしても十分に感じるものが強くある作品だと思います。


テーマ性に関しては、これは難しい。テーマではなくキャッチコピーとして「生きろ。」を選んだことは正解だったと思います。テーマとして明確な位置づけを行わず、あくまでもキャッチコピーとしての体を保ったことで、さまざまなテーマを生み出す余地を残し作品に深みを出していました。
では、テーマは?となりますが、僕は「向き合う」な気がします。さまざまなテーマが考えられ、どれも一様に間違っているとは言えず、それらテーマを包括できるようなものと考えると「向き合う」な気がしました。
一言に「向き合う」と言っても様々な意味が想像できると思います。単純に笑いあいながら向き合うこともあれば、立ち向かうことも向き合うことであり、それは時として対立を意味します。立ち向かうことと向き合うことの違いはのちのち説明するとして、今作では、向き合わず、目を背けたり逃げ出した者にはそれ相当の報いが与えられます。
顕著な例が乙事主。一族がだんだんと衰えていることに危機感を感じ、それに向き合えず、人間に挑み敗北し、そしてその現実を受け入れられず、シシ神にすがろうとして祟り神になる。最もわかりやすく顕著な例に思えます。
これはアシタカにも言えることなのです。祟りを受け、逃れられぬ死から逃れようと旅に出たのがアシタカです。物語の始まりは、死から逃れようとするアシタカから始まったのです。旅を通してサンと出会い、唯一彼女を人間として向き合い、自然と人間の対立をその身で感じ、彼は成長していきます。アシタカは石火矢を腹に受け、瀕死の重傷を負ったもののシシ神にその命は救われました。が、その時点で腕のあざは消されなかったのです。それはまだ彼が死から逃れようとの思いがあったため。彼のあざが消えたのは、たとえ触れれば命を吸い取られるシシ神に飲まれようとも、シシ神に首を返し怒りを鎮めようと決意した時でした。

では、「向き合う」ことと「対立」の違いはなんなのか。それこそが「曇りなき眼」な気がします。アシタカとサンが初めてであった瞬間、あれが双方「曇りなき眼」だったように思えます。たたら場の人間は山犬姫を見れば、恐れや憎しみで眼を曇らせますが、アシタカは堂々と向き合い凛とした声で名乗る。サンはそれに血を拭い、自然の畏れを感じさせる眼で一言「去れ」と応えるだけ。その姿を美しいと言ったアシタカですが、双方「曇りなき眼」で向かい合った姿は美しい瞬間でした。
憎しみや恐れで曇った眼で向かい合うことは対立なのではないでしょうか。欲望や野心に満ちた眼で自然に向かい合った人間と、憎しみと危機感に満ちた眼で人間に向かい合った自然の対立だったように思えます。
今作のメッセージとは「曇りなき眼」で「向かい合う」。それが共存。と言った感じでしょうか。


と、ここまでいろいろ述べましたが、今作はやはり考える、というよりも感じる、という面に力を入れているように思えます。
最たる部分がグロテスクな描写。
これが不思議なもので、大人があの描写を見て思うのは「グロい」なんですよね。でも、子供は「グロい」ではなく「怖い」なんですよね。この違いがとても大事な気がします。「怖い」と「グロい」は全くイコールではなく、どちらで感じられるかによって今作を受け入れられるかが変わる気がします。「グロい」作品はただのグロですが、「怖い」と感じられる作品は、なにかこう、大事なものがあるのではないでしょうか。特に今作で「怖い」と感じることは非常に大事な気がいします。その怖いに由縁するところは畏れであったり恐れであったり。今作が副次的に伝えたかったものがそれな気がします。
そのために全く妥協しない表現。見る人によって良い点にもなり悪い点にもなる。そんな気がしました。


作品を見る目が肥えても感性だけは子供のようにありたいですね。そういう意味でやはりとても子供向けな作品であり、今作を最もよく感じ糧とできるのは子供なのではないでしょうか。
んーやはりジブリはジブリということで、長々と書かせていただきました。
個人的には最高。でもだんだんと眼が曇ってきてしまった大人には向かないのかもしれません。大人に子どもと一緒に見てほしい映画ナンバー1な気がしつつ、一応、万人向けでないので、とても良いということで。

[推薦数:2] 2010/06/29 良い(+1 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/]
by (表示スキップ) 評価履歴[良い:26(84%) 普通:2(6%) 悪い:3(10%)] / プロバイダ: 13117 ホスト:13131 ブラウザ: 11172
上映当時の衝撃が未だに脳裏に焼き付いて離れない本作。
ジブリ作品の文脈からは考えられないような一種の「不気味さ」を有していた。
すでに散々と語りつくされていますが、しきりにエコが叫ばれる趨勢の今だからこそ、この作品を振り返るべきだと思いました。


(1)映像表現に関して。

おそらく色々な見方が出来るのは事実でしょう。
様々なテーマが高密度に圧縮され、しかし読み手に解釈の自由度をも与えている。
それはこの作品自体が現実も以てして現実を現しているからだろうと思う。
(一方でそれがカタルシスを妨げる一因にもなっているが)

だが現実といってもそれは自然さを意味するものではない。
自然さを非常に高度な換喩によって故意的に崩すことによって現実を描き切っている手腕は流石ですね。
現実それ自体が様々な感じ方を許し、考えさせる要素を多く有していることを利用した作品ではないだろうか。
それを物語として昇華させ、最後まで緊張感を持続させたことも特筆に値する。

物言わぬ存在である木々や動物たちの表象としての造形がとても素晴らしかった。
森に足を踏み入れ、言葉を殺したとき無数の視線を感じることがよくある。
その視線の主が彼らだったんだな…と。

そして目を覆いたくなるような凄惨な描写の数々。
やはりタタリガミの描写は特筆に値する。
とくに巨大な猪の体を覆う、憎しみの炎とその感染を表象する描写の凄まじさ!!
こちらは実に躍動し、そして真に迫ってくるような描かれ方をしていた。
憎しみに身を、命を燃やす存在の凄まじいエネルギーを感じた。
あと記憶に残ったのは人間同士の殺し合いのシーン。
というか性格にいえばタタリガミの呪いにかかったアシタカが他の人間を殺す場面。
先ほどの猪と同じくタタリガミの現れなのだがこちらは実に淡々と描かれていた。
本当にあっけなくヒトが死んでいく。死の虚無と、しかし同時に解放や安らぎといったものも感じられた。


(2)物語に関して

死と再生のこの物語は、安易に叫ばれる「自然との共生」という安い言葉に懐疑的な作品なのだと思う。
そもそも自然と人為を分けること自体がナンセンスなのだ。なぜなら人為というのは自然に包含されるものだから。
そしてエコブームといったものに私は危惧することが一つある。
「エゴの自覚」の欠如、あるいはそれを直視せず逃げようとする態度だ。エコにかぶせられた擬制とでもいうべきだろうか。
(別にエコ活動を否定する気など毛頭ないが、それらの活動は根本的には人間自身のためだということの自覚を忘れてはいけない。)
この作品は、そんな現代の趨勢に訴えかけるものがあると思う。

この作品は安易に「人間=悪」、「自然=善」という構図をとっていない。
本来生物とは究極的には自分の種族の繁栄を優先するエゴな存在なのだ。そのエゴが衝突したとき、争いと憎しみが生まれるのだろう。
それはなにも人間に限った話ではない。しかしそのエゴを完全に否定できる存在がこの世界に在るだろうか?
重要なのはそのエゴを自覚し、精一杯藻掻き続けることではないだろうか。

憎しみや快楽は我々の「あるがまま」であり人間の性であり業なのだ。
(そして「神」をも否定しそこから引き摺り下ろさんとする人間の姿…!!)
それに身を委ねている姿こそが狂おしい人間の愛すべき「営みそのもの」なのではないだろうか。
だから憎しみの渦をただ嫌悪し目を背けるのではない。
そこに飛び込んでいかなければならない。一種の諦念にも似た感情だが、その上で超克しようと藻掻くのだ。
生物として、自然の一部として、自らの業を罪を背負い強かに足掻き続ける姿こそ美しく愛おしい。
そのように、逃げずにその姿を受け入れた先に新たな可能性が拓かれる。

単に争い続ければ良いと言っているわけではない。
お互いにエゴを自覚して向かい合う(これこそが「曇りなき眼」だと思う)
その上での争いならば、その果てがどうなろうと受け入れられる。
それこそが「神」の意志であり、為るべくして為った「世界」の姿だからだ。


シシ神はそのことを我々に気づかせる存在ではなかったろうか。デイダラボッチはシシ神の鎧だと思う。
そのシシ神はおそらくこの「世界」あるいは「摂理」そのものだろう。あるいは神と言ってもいいのかもしれない。
それは我々生物の意思や主体を超越した存在であり、不気味で畏怖すべき対象である。しかし厳しい顔と温かい顔の両面を持っている。

我々生物など「世界」からすると実に矮小で愚かな存在である。
しかしそんな小さな命の紡ぐ全力の物語は刹那的だが実に小さな輝きを見せる。
たとえその物語が憎しみの物語だろうと愛情の物語だろうと…。それをそっと優しく包み込んでくれるのだ。
鎧は壊れはしましたが、シシ神はこの「世界」そのものであるがゆえに、決して死んだり消滅することはなくこの世界の至る所に遍在する。


一方でアシタカの理想はまるで偽善者の吐く大言壮語のように聞こえた。
エボシの主張は決して否定することのできないものだから、私は途中まで彼にどうしても賛同できなかった。
しかし最後の場面で、人間に対する恨みを捨てることは出来ないというサンに、「それでも構わない」という彼の言葉に救われた。
否定することの出来ない生物同士の正義のジレンマに飛び込んでいく覚悟をみてとれた。
タタリガミによる死の虚無を見据え、エゴに内在しつつもそれを超える「共生」の可能性を模索する。
その姿こそが真の意味での「自然との共生」足り得るかもしれない。

古き良き時代の日本に元来あった、「自然の裡に在る」という自覚が喪失し、
西欧的な「自然対人類」という人為を取りだした意識に変わりだした頃から日本人に依る「神殺し」が始まった。
この作品が描いているのは「神殺し」の現実なのだろう。そして死から再生へとの物語だ。


先にも述べたが、動物保護というのは欺瞞であり、そこには無意識に人間の優越性が隠されている。
安易に「自然との共生」を叫び、自らの業から目を背け、痛みを忌避していけはいけないと思う。
否定できない正義同士の狭間において全ての命へ、ただ「生きろ」と。どんなに醜くかろうとも生きて行く。
この作品は生きることを肯定した。苦しみと憎しみの絶えない世界だけれど、この世界は、生きるに値するのだ、と。
もう一度、言います。


この世界は、人生は生きるに値する。

****
(3)総評

評価は難しい。
グロといわれる部分が作品の評価を落としているとは思えない。
それはむしろ「痛み」を描いているだけであって、その現実から目を背けるべきではない。
まさにこの痛みからの逃避こそが最も危惧すべきものではないかと思う。(しかし人間の快楽を否定するものではない)
快楽を否定することなく、痛みを伴う「生」を全うするという命題の困難さがそのままこの作品に対する評価の難しさにつながっている。

評価は難しいが「良い」としておきます。

[推薦数:2] 2009/12/21 良い(+1 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/]
by (表示スキップ) 評価履歴[良い:62(78%) 普通:5(6%) 悪い:13(16%)] / プロバイダ: 7867 ホスト:7987 ブラウザ: 5257
今までの人生で、映画館まで行って見た、2つの映画のうちのひとつ。

映画館でジブリ作品を見れるのはこの機会しかないと思った。

宮崎駿氏はこの作品で引退宣言してたので。

二つのうちのもうひとつは「ジュラシック・パーク」。

なんだかどちらも「人間が自然を超越しようと自然に挑んで敗れる話」。

「風の谷のナウシカ」から13年、もともと子供向け絵本として書いていた「もののけ姫」を、大幅にリメイクして完成させた。

『風の谷のナウシカ』の漫画版で出した結論から、その結論を「どのように実際に生きるか」ということを書いたと思う。



腐海と共に生きることは苦しみです。

しかし、苦しみは、敵ではありません。

わたしたちの部族は、苦しみと共に生きる術を知っています、

それをみなさんに教えることができます。

憎しみよりも友愛を、王蟲の心を・・・

さあ、行きましょう どんなに苦しくとも 生きねば・・・



という言葉で終わった「風の谷のナウシカ」から始まった物語が「もののけ姫」だと思う。

映画を全体としてみたとき、すごく「悪い」をつけたい部分と「良い」をつけたい部分に分かれる。

ぞっとするくらいすごいところと、稚拙な表現が混在しているというか。

「良い」と思うのは、宮崎監督は今のアニメ・漫画に逆流しようとする「凶暴なまでの情熱」で書いていると思うこと。

宮崎監督の「凶暴な情熱」の気概を見て思ったのは、アニメを単なる「欲望のはけ口」にするのではなく「表現手段」と見做しているということ。

「表現手段」としてのアニメ自体が無いということを、この映画を見て、改めて思った。

けれどストーリーはただアシタカとサンの恋愛関係に、自然と自然に対立する人間とのややこしい人間関係を織り交ぜたよう。

環境問題を織り込んだ版「ロミオとジュリエット」のよう。

「人間なんか大嫌いだ!」

「自然を守るために、人間を殺す。」

という稚拙な情念や台詞や。

過激な某環境保護団の主張と変わらないような。

サンをグリーン○ースの娘という設定にしても違和感ないような。



太古の日本、人間とは異なる世界に生き、人間の生息域を脅かす勢力でもののけたち、神々が息づいていた。

人間は、間よりも強大な自然を畏怖し、崇め、奉り、鎮めながら、人間は自然の端っこの一部として、

自然と共にというより自然のおこぼれに預かりながら生きていた。

けれど鉄と武器が入ると同時に自然と人間との力関係を巻き返そうとする動きが人間に起き、それが今の日本を作る近代化の端緒になったという。

自然、神々、もののけたちの神々しさ、雄雄しさに比して、人間の醜さ、弱さ、狡猾さを露呈する卑小な人間の群像キャラたち。

戦国の乱世で国を取ろうと戦い、自然界に人間圏を奪取しようと戦いいじましい思惑を展げる人間たち。

「ナウシカ」以来、世界の混沌とした血みどろの戦争下を描いた。

この映画で一番良いのはキャラだと思う。

ジブリが映画では書いてこなかった、けれど宮崎監督が個人的に醸成し、抱えていた思想を反映したのではないかというキャラ。

特にアシタカが良い。

サンやエボシは、アシタカに自然と人間、というより、自然と人間、人間と人間、異なる主張同士の異者の境界上で、

「共生」を巡って葛藤させる狂言回しのような役割かもしれない。

言い方は悪いけどサンやエボシは「共生」に悩むアシタカの引き立て役のよう。

その周りで自分の立場に何の疑いも持たず、戦国の乱世をしたたかに生き抜こうとする、ひねりを持たせない、

ただ生きることに懸命な「普通の人々」である脇役キャラが一番映えて見える。

アシタカは一番アニメの主流に逆流している。

アシタカは、タタリ神となった猪の敵意、人間への対立感情から蒙った右手の呪いがじくじくと骨を蝕み、命を奪うとして、

憎しみを生む対立を解消し、自らに刻印された「対立から生まれた憎しみという呪い」を解く為、異者との共生、和解という可能性を求めて旅立つ。

ここまで真正面から思い悩むアニメキャラというのは見たことないと思う。

錯綜する存在のあらゆる思惑、想い、激情のひとつひとつを真正面から受け止め、

それら「共生の困難な異者」たちの一つ一つの思いを自らに刻印された「呪」として受け止めるアシタカは、

自らの内部で異者を共生させることができる、深い森のような存在だ。

掴み所がない。

ナウシカのようだ。

「曇りなき眼で見定め、決める」キャラだけど曇りがなさすぎて、感情の濁りがなさすぎて、利他、博愛、透明すぎて、

人間くささがなくいきすぎた理想論を背負ったような危うさを覚える。

アシタカは対立や戦乱から始まった自らの呪詛の物語から対立と戦争を和解させ、共生させることによって収束しようとする。

アシタカは何度も呼びかける、

「鎮まれ」「憎しみに呑まれるな」「共に生きよう」

小学生のスローガンみたいな言葉だと思う。

サンがタタラ場に奇襲を仕掛けたときの、サンとエボシとタタラ場の者たちが憎しみに身を委ねる快楽渦巻く戦闘シーン、

それが人間の業であり、真実の本性だと思う。

宮崎さんは「それが人間の真実であり、事実」という人間の業のどうしようもなさをわかっていて人間の理想の姿を描かずにいられないのかもしれない。

アシタカは、欲望や憎悪という人間の本能的なものに身を委ねることを否定する。

また人に説き、否定させる。

下手をすれば説教じみた宗教ぽくなる。

アシタカは自ら右腕に制御できない殺意と憎悪と呪詛という「痛みと悲しみ」を刻印され、

生に刻印された呪詛の「痛みと悲しみ」それは「骨を砕き、そなたを殺す。」不毛の殺戮の連鎖だと知り、

自らが受けた痛みを世界の痛みとして受け止めるからこそ、アシタカは痛みの連鎖を止めようとする。

けれどその直後にエボシに「賢しらにわずかな不運を見せびらかすな!その右腕、切り落としてやろう!」

と殺意を抱かせ、誰も付いてこれないような困難な理想を説く、イイ子過ぎるアシタカへの違和感を自覚しながらも表現していることを伺わせすごいと思う。

アシタカは対立するという「人間の本性」をむき出している人間たちに冷や水を浴びせ、白けさせ、興を削ぎ、お開きにする、常にブレーキをかける存在だ。

だから人間と人間、人間と自然、神と自然が共に戦乱状態になっている中で、アシタカという盛り上がろうとする場を収束させ、

冷や水を浴びせ、沈静化させる存在によって、「盛り上がりを欠く」状態になっているのかもしれない。

アシタカは自然を超越しようとする人間の暴走に歯止めをかけようとする。

自然の端くれであることをやめた人間の末路は畏れることを知らなくなった、果てしない殺し合い食い合いであることを悟っているかのように、

デイダラボッチに銃口を向けるエボシに「殺すな」と訴える。

アシタカ自身は物語を収束させようとする、シラケさせる、空気を壊す存在、今のアニメや漫画とは逆流する存在なのだけど、

その存在自体によって、一番空気をかき乱しているのが面白い。

また「白黒、正義と悪を分断しないキャラ作り」もよかった。

アニメが持ちうる「物語の幅」を広げてくれたと思う。

ジバシリの自然への無条件の畏怖がジコ坊に掲げられた天皇の書状を前にして、打算的な人間的権威への恭順にすり替えられる場面は巧い。

人間の欲望が自然への畏れを巻き返し、自然と「共に生きる」というより「生かされている」という慎ましやかで謙虚な立場から、

人間の欲望が環境をコントロールするのだという意思にシフトした瞬間、日本人一人一人の精神の中で、「神殺し」が始まる。

この映画は、かつてこの国の神を殺した日本人の一人一人の中に在る業と罪を告発する映画なのかもしれない。



アシタカにもっと理想的な台詞を吐かせれば、戦国の乱世から一歩身を引いたところから理想論を説く、

一歩間違えば理想的な宗教家になってしまってたと思う。

宮崎氏にしてみればアシタカは「この業渦巻く人間世界」における理想の姿なんだろうけど、ぎりぎりのところでアシタカを宗教家にしてないと思う。

アシタカは常に行動で示し、決して「説得力」ある台詞を吐かず、むしろもどかしいほど言葉少なに体当たりでそこにいる人々にぶつかるだけだ。

人々の穢れを拭うために、人を殺し、タタリ神を殺し、憎悪で暴走する「呪」の痛みを知り、

人と自然界の痛みを拭うためにサンの心を愛し、呪詛を刻まれたタタリ神の触手の中に自ら飛び込むアシタカに、触手の呪詛はもう届かない。

アシタカも憎しみに駆られて人を殺す、自然も、憎しみに駆られて殺す、人間も人間と自然を殺す。

みんなが殺しあっている世界でアシタカだけが清廉潔白のような顔をして高みから説教をしているのではない。

殺し合いで成り立っている世界の「呪い」と「痛み(憎しみに呑まれたタタリ神の触手は「熱くて痛い」)」を、

自ら人を殺した右腕に刻印しながら世界に蔓延する憎しみの和解と対立の共生、痛みの癒しを求め、旅の途上に煩悶する。

タタリ神の呪いと憎悪は触手を介して伝播する。

崩れつつある世界の生への呪いと憎悪の連鎖をどのように断ち切るのか。

アシタカは自然と人間の境界線上にいて自然(もののけ)の声と人間の思惑、双方の言葉を聞き取り、

架け橋し和解させ、共生させ繋げようとする縄文的な祭祀や巫女のような立場だ。

「大和の朝廷」に追いやられた蝦夷の一族、未だ「コダマ」との交流があり、自然(もののけ)の聞こえない声に耳を澄ませながら、

世界の片隅でひっそりと生きている滅び行く一族の、若き継承者。

しかし西の果てで、荒ぶる神々と人間の戦火の飛び火を受け、今、世界に開いている傷口と痛みの刻印を自らに引き受け、

始まりつつある世界の滅びと均衡の崩れの渦中に赴く。

怨嗟の触手に絡めとられた主人公のアシタカ始め、この映画の中には「穢れた人々」が数多く出てくる。

売られた女たち、その一人エボシ、人間に捨てられ、もののけ側で生きているサン、

業病を患い生を呪う人々、タタリ神となったもののけたち、「人間の業」、生への穢れた呪いと憎悪を持たない「穢れ」のない人などいない。

世界は、穢れ、生を、誰かを、神をも呪詛する痛みと怨嗟で満ち満ちている。

アシタカは共に「世界の痛み」を分かち合い、けれど呑まれることなく、自らの運命は「自らの眼で見定め決める」べく、

生に絡みついた憎悪と呪詛の触手を断ち切る術を模索する。

世界を白黒割り切って書かないし、アシタカの中でも何も白黒割り切れない。

「どんなに苦しくとも、生きねば」。

と答えを出したナウシカの言葉を受けてアシタカによって、

「どのような苦しみの中で、苦しみを敵にせず、どのように自らの生きる困難さと共生したか」を描いたのだと思う。

自然そのものの象徴であるサンにアシタカが呼びかけたように上から目線で自然を「救う」とか「助ける」というのではなく、

相手の穢れも痛みも、自分の穢れも痛みも同時に背負って「共に生きよう」という想いでしか何かを守ることはできないのかもしれない。

デイダラボッチの首をサンと共に返す、分かたれた自然と人、憎悪と愛を繋ぐ作業の中で、デイダラボッチの液体が呪詛の斑文を体中に広がらせるけど、

保身的な恐怖や迷いを断ち切ったアシタカの目は曇りなく、今まで出会った全ての生命と全ての想いを受け止め切った愛に貫かれ、

自らの死をも含めて真っ直ぐに前を見つめ、そして物語の最後には、かつてアシタカがサンに告げ、サンの心を解き放ったのと同じ言葉、

生でもあり死でもあり、だからどこにでもいる存在で、「命そのもの」であるシシ神の「生きろ」という祝福によって、アシタカの呪いは拭われる。

生への呪詛の連鎖を断ち切ったのはシシ神の力というより、穢れと憎悪の中でもがきながら、

生命に常に「生きろ」と呼びかけ続けたアシタカ自身の心。

シシ神のキャラはアニメ至上に残ると思う。

ヤハウェ的なものをこのように表現したのはすごいと思う。

シシ神自身が命を奪い、人間と人間、人間と自然が殺し合い、命の奪い合いで焦土と化した大地にはシシ神の命の死によって、再び命が還元される。

対立と憎悪、戦い、生への呪詛と、命の奪い合いで、滅び、そして再生した大地の上で、

そしてアシタカは、ナウシカが言ったことと同じことを呼びかける、今度はたった一人の愛する人に向かって、

「共に生きよう」。

ナウシカが世界の命運を背負った闘いの果てに発したのと同じ言葉を、ただ一人の少女の心の救いを背負って闘ったアシタカが告げる。



アシタカが惚れた凶暴な少女にプロポーズするまでの映画かと。

映画全体を通して声優陣に「悪い」をつけたい。

乙事主様役の森繁久彌さんだけが唯一の見所(聞き所)ですごい迫力だったし、揺らぎのある声だった。

それが他の声優陣を浮き立たせる。

台詞や主義主張、もののけのキャラ造詣に、ハードな話を和らげる子供向け表現が感じられ、

「家族向けアニメ映画のブランドジブリ」に固執しなくてもいいと思った。

歌詞は少しアレだけど主題歌も良かった。
[共感]
2010/05/27 実に冷静で的確な評価だと思います。 by ライズ・バーサス

[推薦数:1] 2012/03/18 悪い(-1 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/]
by (表示スキップ) 評価履歴[良い:211(48%) 普通:135(31%) 悪い:92(21%)] / プロバイダ: 25395 ホスト:25343 ブラウザ: 10030
思うにこの作品は元々2時間で収まるようなものではないと思う。視聴した限りでは、全体のストーリーの前部分のかなりの量と後半部分の箇所を切り取り、残った部分を「もののけ姫」というタイトルで映画化したのではないかと私は思う。

だから難解になるのは当然である。主人公についても一応「アシタカ」にしてはいるが、本来「エボシ」なのだと推測する。それは彼が当初より次々と遭遇する事件に翻弄され続け、その姿は我々視聴者となんら変わらない者の様に映ることも多いこと。それに彼が呪いを受けた頃にはタタラ集団の「シシ神の森」を手に入れるための戦いは既に始まっており、最終的に彼が出来たことは小さくはないものの真の「戦い」は森を得てからなのだということから判断できる。なぜなら世は正に戦国の如き描写で、自らの土地を守るこれからこそが本当の戦いであり、だからこそアシタカもラストはこの地に暫く留まるような仕草をしたのだと思う。全てを初めから知り、今後シシ神の地をまとめるのが彼女なら、やはり真に物語の中心は彼女と言えるのではないだろうか?

この「エボシ」がシシ神の森を手に入れようとするのは、侍の支配の及ばなく、女や子供が安らげる自由な国を作ろうと考えているからである。そのために誰の領地でもない、シシ神の地を手に入れる必要があるし、だからこそ「石火矢」を手に入れ日本に持ち込んだと推測することもできる。特にこの「石火矢」については男性だけでなく女性たちにも使用可能なように軽量化して彼女達自ら身を守ることも出来るようにしている様子が窺える。これは武士の世の中において、女性にも戦える術を与えようとする革新的な考えではないだろうか。それにエボシの人物的な特徴として他に「祟り」や「罰」といったものに対して無関心なところがある。これはシシ神の森を手に入れようとする行為だけでなく、女人禁制だったタタラ場に女性を入れるといった神罰的なものにさえ興味のない現代的な女性の姿と捉えることもできる。
しかし残念ながら、そのタタラ場でつくられた鋼は「集団」として存続するために侍たちにも売られ、それが戦争へと活用されている、そしてその犠牲者の多くはタタラ集団に加わるような女や子供ではないかと思うと、彼女が焦る気持ちになるかと思う。だからこその神域への介入といった行為に及んだのだろう。

そしてこの物語の最後にシシ神は斬首され人の神への畏怖は失われる。人間の心からの自然信仰が完全に無くなったとは言わないが、以前ほどではなくなるだろう。ただアシタカは語っていた、神は死んでおらず神こそが自然・森であると。つまり人と森の共生こそがこの作品の「テーマ」ということなのだろう。そしてこれらもエボシのような現代的な感覚あっての実現ではないかと考えることができる。

【総合評価】
このように主人公を「アシタカ」としていることで全体像が掴みずらく、個人的な判断もあるが総じて判りにくい。加えて各事象の説明不足も少なくないことから余り万人向けと思えない。
こういった作品の評価にも色々あるとは思うが、どんなに良い「テーマ」を掲げ見栄えが良くとも、楽しめない・判りずらいものは評価云々の前に良作とは言えないと私は思う。それにこのプロットだと大衆が理解しにくく真に視聴者の多くが楽しむことが出来たのか怪しくさえ思ってしまう。

以上、主観的にみればその内容はそう嫌いではないが評価は「悪い」で。
[共感]
2012/03/19 なるほと思いました。この作品スタイルは宮崎駿が一つのパターンとしているものなので、何の疑問も感じませんでした。それが逆に分かりにくくしてるは納得する部分があります。ただ何かしらの意味があるのかな?と思います。言われて見て逆にそこまで拘る監督の意図が気になりました。 by 名もなき詩人

[推薦数:1] 2010/09/05 とても良い(+2 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/]
by (表示スキップ) 評価履歴[良い:56(62%) 普通:2(2%) 悪い:32(36%)] / プロバイダ: 40559 ホスト:40439 ブラウザ: 5356
【良い点】
・キャラが個性的でいい。ちなみにコダマが気に入りました。可愛いです!!
・あの時代にしては映像はかなり綺麗だったと思います。森のシーンを今見ても綺麗だなって思います。
・話の内容は誰でも分かりやすく、しかも面白いし感動します。見た当時の自分でもこれはいい話だと実感してたはずです。
・今思うとサンのツンデレ具合が・・・ww
・今見ると森林の環境問題につながって考えさせられるような気がします。実際あまり内容は関係ないような気もしますが、「森を取り戻す」とかそういうセリフを聞くとそんな気がするのです。

【悪い点】
・首が飛ぶシーンはちょっとねぇ

【総合評価】
「とても良い」に。今見ても、本当にいい映画だと思う。ジブリの中でもかなりいい部類に入る事間違いないでしょう。

[推薦数:1] 2008/05/28 良い(+1 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/]
by (表示スキップ) 評価履歴[良い:17(65%) 普通:2(8%) 悪い:7(27%)] / プロバイダ: 8428 ホスト:8265 ブラウザ: 5234
映像のクオリティの良さ、"自然"をテーマとした壮大な内容…さすがの一言に尽きます。

ただ、主人公のアシタカはジブリシリーズでは珍しい"好青年に見える嫌な男"だと思います;(苦笑)
何故かと言うと、やはりあの小刀のペンダントの件ですね。あれをアシタカに渡したのは、許婚だそうですね。
当初は知らなかったので、それをサンに渡した時は「いいのかな?」程度にしか思いませんでしたが、それを知ってからは「最低」と思いました。
「ずっとあに様の事を想ってます」と涙ながらに小刀を渡した許婚に、「自分も」的な返答をしておきながら、それを他の女に渡すなんて…;すでに忘れてるじゃないですか!;
女として信じられません。(恐らく村の掟で)いくらもう二度と会えないからと言って、あれは酷いと思いました。

あと「?」と思ったのは、最後のエボシの「ここを良い村にしよう」というセリフ。…森の中に村を作るんですか?散々"自然を大切に"的テーマで来たのに、最後の最後に森を(ある程度でしょうけど)切り開いて村を作るんですか…?
まぁ人間が住む為にはしょうがないのかもしれませんが、せめてシシ神とあれだけの騒動があった森ではない場所にした方がいいのではと思いました;
アシタカとサンが最後にいた野原とか。

評価としては、上記の点を踏まえて「良い」にさせていただきます。

[推薦数:1] 2008/05/10 良い(+1 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/]
by (表示スキップ) 評価履歴[良い:66(43%) 普通:11(7%) 悪い:76(50%)] / プロバイダ: 14177 ホスト:14340 ブラウザ: 8090
どこで話題に上がっても賛否両論の作品。ジブリらしさとジブリらしくないところが混在しているため、ジブリファンの人にとっては評価の難しい作品になってしまうかもしれませんね。

風の谷のナウシカとテーマがほぼ同じなので比較されることが多く、大半の人はナウシカのほうがよいと評価しています。少々ジブリらしからぬ現実的な描写と、グロテスクコンテンツ、ナウシカから見て工夫や進歩が見られない点などでおそらく酷評を受けているのでしょう。こちらのほうがとっつきにくい印象も確かにあります。

しかし、完成度という点ではナウシカよりも高い作品に仕上がっていると思います。
まずテーマは自然界の生物と人間との共存。ナウシカとの違いは、自然というよりはそこにくらすさまざまな生物との共存というニュアンスが強いことです。似ているようでこれは少し違うものだと思います。なぜなら、この作品がその直接的な描写を「ぐろい」と判断されたように、生物同士の争いは非常に生々しいからです。ナウシカの最後では自然界からの報復として最後にオームが突っ込んできます。ナウシカでもっとも生なましかった演出はおそらくここでしょう。対し、もののけ姫では序盤からたたり神なるものが登場します。「恨み」を生物に宿すことで、現実的な説得力が生まれ、それが非常に生々しいのです。ただ枯れていく生物を見るよりも、死んでいった生物からの復讐というほうが怖いものです。とくに、日本人には「怨念」という幽霊の呪いという概念が根底に根付いていますから、そういった意味でもこの作品のほうが報復のインパクトが大きいわけです。
また、この作品でもっと評価すべきなのは、ミーディアム的な存在のサンがヒロインになっていることだと思います。本来は人間界に暮らすはずのサンが自然界のおきてに従い生きている。そして、そうやって生活をするサンを山犬たちは家族として扱っていました。サン本人とは違い、モロはサンは人間であることを理解している上でともに生きています。その上で村の人間どもを襲っているわけですね。アシタカにも一目をおいていたようですが・・・。
つまり何がいいたいかというと、一方的で相手が何を考えているのか、結局どうすればよいのかということがあいまいだったナウシカとは打って変わり、モロはサンやアシタカを生かすことで人間自身に可能性はかかっているということを示唆し、ある意味人間側に譲歩している部分もあるということです。イノシシたちは硬派の種族で人間という存在から毛嫌いしていたようですが。
ミーディアム的な存在としてサンの役割が不足している部分もある気がします。結局彼女は何もできなかったし、一番あれこれ動いていたのは実はアシタカだったし。
それでも、様々なキャラクターを織り交ぜることでテーマの下で動く視点が増えているのです。ナウシカを否定するのではなく(もちろんあれもよい作品です)、ナウシカとは違う良い点があるのだということは見逃せません。
とはいえ、やはり終わりが中途半端になってしまっていること。表現したい内容が飽和していたのでしょうけど、あの尺では無理でしょう・・・。それから、ジブリ作品のファンタジー的なよさは確かに薄れてしまっていること。これらはマイナス要素になってしまいますね。ジブリの冠をかぶっていなければもっと評価されていい作品だとは思います。

[推薦数:1] 2007/11/13 良い(+1 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/]
by (表示スキップ) 評価履歴[良い:99(91%) 普通:10(9%) 悪い:0(0%)] / プロバイダ: 12661 ホスト:12546 ブラウザ: 3035(携帯)
内容はほとんど忘れちゃったけどかなり面白かったよ!!シシ神さまが変身するとこなんて迫力満載!
そういえばシシ神は最後どうなっちゃったのかな…死んじゃったのかな…。

評価は『良い』

余談ですが宮崎アニメで面白いのはここまで。『千と千尋〜』以降は急につまらなくなった。
個人的にはこの『もののけ姫』が宮崎アニメのその後の方向性を決定づけるターニングポイントになったかなぁ…と、にわか半分で思っています
[共感]
2008/10/21 なるほど納得しました。 by B.K.Q.

[推薦数:1] 2007/06/22 とても良い(+2 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/]
by (表示スキップ) 評価履歴[良い:61(46%) 普通:46(35%) 悪い:25(19%)] / プロバイダ: 14103 ホスト:14416 ブラウザ: 5234
「自然との共生」という重いテーマを前面に打ち出した作品。当然劇中で明快な結論など出ない。とりあえず、考えさせられる作品であるというのは間違いないでしょう。

宮崎アニメの売りとも言える空中アクションこそないけれど、よく動きます。ただ、腕が吹っ飛んだり血が多めだったりとこれまでと比べると血なまぐさい描写が目立つ。

古くから森に住まう妖怪たちと、恵まれた生活を求めて山を切り開こうとするエボシの民。双方の主張に正当なものがある。こういったエコ方向の話では、概して人間側を偽悪的に描くのが常であるが、本作では特にエボシについては戦国乱世の中で民を守り国を守るためには富国強兵しかないという切実な立場が良く表現されていたと思う。
主人公のアシタカは自然との付き合い方をある程度心得た存在で、それ故に人間と妖怪の直接対決を避けるべく調停役として奔走する。だが彼が自然とうまく付き合えて来たのは隠れ里という文明から距離を置いた場所で育った故であり、抗争を回避する決定打にはなりえない…なんとも歯がゆい展開。
物語の核となる「シシ神」はまさに自然の象徴ですね。当事者の意思など無関係で、死ぬものは死ぬし、生きるものは生きる。その仕組みをどうにかしようとすると手痛いしっぺ返しを喰らう。

最終的に伝えたかったことは、「人間はいずれ自然の全てを傘下におさめるかもしれないが、それでも自然に対する畏怖を忘れてはならない」ということだろうか?物語の随所に現れる「タタリ神」の迸るような描写は恐ろしいと同時に滅びるものの最後の咆哮のようで、どこか哀しい。

[推薦数:1] 2006/11/20 良いと思うコメント [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/]
by (表示スキップ) 評価履歴[良い:97(62%) 普通:12(8%) 悪い:48(31%)] / プロバイダ: 6813 ホスト:6537 ブラウザ: 4184
これを見た当時はまだ中学生くらいだったもので、やや過激な描写にびっくりしたような記憶があります。
ジブリ作品のテーマとして自然の保護を訴えるのは当然なのですが、開始数分で飛び出してきたタタリ神には度肝を抜かれました。
「き、気持ちわり〜〜〜」と(笑)。
続いて村での足軽撃退シーン。腕をもぎ取り、首が飛ぶ。騎馬武者のつぶやきを借りるならば、まさに鬼ともいえる強さ。というより凄まじさ。

いままでのジブリ作品とは一線を画すバイオレンス描写でしたね。そこらへんが評価の分かれ目になるのかもしれません。確かにその通りだと思います。ジブリは老若男女問わず愛されている作品を生み出してきました。そこで幼い子供に過激な映像を見せることに、不安を覚える方がいらっしゃるのは当然でしょう。仮に僕に子供がいたとしたら、やはりまともに見せてよいものか多少悩むのではないかと思います。

だからといって作品を否定する気はありません。むしろ肯定派です。
そもそも自然の脅威というものは、甘っちょろいものではないと思います。森を切り開き、河を埋める行為に、太古からの動物王たちが怒り狂うのもわかる。でも人間だって生きねばならない。より良い生活を求めて、自然に戦いを挑む。これもわかります。
現代は人間の勢力が増大して自然をないがしろにすることはなはだしいですが、僕とてそんなことを言う資格があるのかどうか。文明社会を満喫しきってますから。
でも訴えることは必要だと思う。宮崎監督が強烈に訴えることで、大いに共感を得た人は多いと思う。その逆もしかり、言いたいことはわかるのだが、説教臭さも目につきますから。

僕がこの映画でもっとも印象に残ったのは、やはりエボシ御前の存在だ。森林を焼き払い、鳥獣を駆逐して涼しげな表情を浮かべるエボシはまさに鬼女。されど捨てられた女たちに働き場を与え、癩に苦しむ人々にも分け隔てなく接する様には、菩薩のような暖かさを感じます。
ひょっとするとエボシの姿が現代の我々を表しているのではないでしょうか?善と悪を二分する存在として、もっとも魅力的な生き方をしているのも彼女だと感じました。

[推薦数:1] 2006/09/04 良い(+1 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/]
by (表示スキップ) 評価履歴[良い:395(78%) 普通:109(21%) 悪い:5(1%)] / プロバイダ: 17574 ホスト:17513 ブラウザ: 3646
ジブリ作品にしてはずいぶんと悲劇的な内容だったと思います。ただ、それほど単純な「悲劇」というわけでもなかった。

サンとエボシ御前という二人の原理主義者(エボシ御前に関しては多少複雑というか、「環境破壊は良くない」という通俗的な言説を前にして、「人間側の言い分、良い側面」というのを説明するのには手間がかかる)を「曇りなき眼」で見てしまうがゆえに、どうしようもない正義の相対化に陥ってしまう主人公。その二つの正義に相対する正義を主人公は持ち得ないのですが、そんなものはどこにもありません。「生きろ」というキャッチフレーズは、そこから出て来た窮余の一策なのだと思います。
正義を信奉する者に「殺すな」と言っても無駄です。ならばどちらの正義にも理解を示せる者であれば、双方に生きろと言うしかない。そしてそれが世界を救わないところが、この作品の特徴です(映画のナウシカはそれを救ってしまいました)。

森はただの森になり、動物は神の座から落ち、たたら場は崩壊し、主人公はフラれ、呪いだって解けきっていない・・・誰一人として利益を得た者はなく、これで全てが終わるわけではない事も確定している。徒労感だけが残るラストです(それを絵と雰囲気でごまかしていた感じでしたが)。
視聴者としては非常にポジションに困る内容です。誰の視点から見ても、物事はスッキリとしないのですから(強いて言えば、ジコ坊の言動は理解も共感も出来る。サラリーマンなら)。逆を言えばその「違和感」こそが、この作品の主張したかったことなのかもしれない。

「自然との共生」というマスコミ受けしそうな言説に、真正面から喧嘩を売るような内容だと思います。もしかしたら、ジブリという制作会社にマスコミが染み付けた万人受けするキャッチコピーを返上したかったのかもしれない。「自然との共生」などという綺麗事は存在し得ないと。人は人の管理する自然の中でしか生きられないと。

「とても」を付けてもいいのかもしれませんが、このスッキリしない感じは映画としてどうなのだろう? せっかく映画館まで足を運ぶのだから、カタルシスは欲しいなと思う。

[推薦数:1] 2006/05/28 最高(+3 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/]
by (表示スキップ) 評価履歴[良い:159(49%) 普通:109(34%) 悪い:57(18%)] / プロバイダ: 15656 ホスト:15798 ブラウザ: 4184
最後の「獅子神様は花さかじいさんだったんだぁ」という台詞はなんともいえませんね。
花を咲かせるよりも草をはやしてた気がします。サンとアシタカも草の中で抱き合って
寝ていましたし。(じいさんというのも微妙ですけど)

ストーリーはとても面白かったと思います。人間と山犬達との戦いから最後まで
十分に楽しめましたから。作画もこだわっていましたし。
動画の部位では、動きがおかしい部分がないかをひとつひとつチェックしていき、
少しでもおかしいと思ったところは絶対に直したらしいです。
ジブリ作品の絵に対する熱意には敬意を表します。

難点を述べるとすれば、ジブリのテーマである少女の成長ですかね。
実際、作品を見てみれば全然気にならないので、いいのですが、
魔女の宅急便、トトロなどジブリ作品では必ずといっていいほど、
主人公が女(女の子)で、さまざまな経験をしてだんだん成長していくという
姿が描かれているのですが、この作品は蛍の墓同様の例外ですね。
主人公が男ですし。ただ、サンを中心として話を進めるよりも、
さまざまな人とかかわりをもったアシタカを主人公にしたのは正解だったと思います。

あとはアシタカが妹からもらったアクセサリでしょうか。
妹が「たとえどんなに離れても私の心は常に兄様とともにいます」という思いを込めて、
アクセサリを渡したはずなのに、アシタカはあっさりとそれをサンに渡してしまう。
妹さんがかわいそうです。(年上の人を兄様というのなら、アシタカの実の兄弟ではなく、
アシタカのことを好きだった一人の女の子だったのかもしれません。そうだとすると、
なおさらかわいそうですね。)

ただ、それ以外を考えるならば良作であると思います。
テーマである「生きること」に関してもうまくあらわせていましたし。
他のジブリ作品と違って、首が飛んだり、人が死んだりするシーンが
多いのは、このテーマをうまく表現するためだと思います。
一番テーマが顕著に表れていたのはアシタカのうけた呪いだと思います。
だんだん命を蝕んでいく呪いを受けてしまう。しかし、生きる事をあきらめずに、
必死に呪いを解く方法を探しながら生きていく。
「生きていればなんとかなる」というのが一番テーマをあらわした台詞ですが。

批判が多い文章になりましたが、僕はこの作品かなり好きです。
迫力、テーマともにすばらしい作品だと思います。

[推薦数:1] 2006/05/15 良い(+1 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/]
by (表示スキップ) 評価履歴[良い:101(68%) 普通:29(19%) 悪い:19(13%)] / プロバイダ: 4354 ホスト:4380 ブラウザ: 3875
映像的には見事であった。屋久島まで実際に見に行ったという森の木々の描写、森の中のコダマのシーン、シシ神が踏んだ地面からわらわらと植物が生えるところ、最後の方の透明感のあるダイダラボッチなど、あげればきりがない。

舞台を室町時代にした意図がどこかで語られていたが、そういう挑戦をする意欲は買う。

物語はたしかにわかりにくい。しかし、単純明快ではなく、わざと答えを明示せずに観る者が考えていろいろ異なる受け止め方をするように作ってあると解釈することはできる。でもやっぱり、あまりに観客を突き放しすぎていて、なんだか見終わってすっきりしないんだよなあ。

私がこの映画で一番注目したのは、「宮崎駿がついに複雑な内面を持つキャラクターを出した」ということだった。それまでの宮崎アニメの登場人物には、暗い内面を抱えた者も、複雑な心情に悩む者も、屈折した性格の持ち主も、善と悪が同居した人物も、ほとんどいなかった。たいてい、まっすぐで、単純で、明るい。敵役は、はっきりと「悪い人」。複雑さを持っているキャラといえば、『ナウシカ』のクシャナくらいしか思い浮かばない。宮崎監督はもしかして屈折したキャラを使いこなせないんじゃないかと思っていた。
それが、「宮崎監督最後の作品」と銘打ったこの『もののけ姫』には、エボシ御前や乙事主のように善悪を兼ねるキャラや、モロのような複雑なキャラ、ジコ坊のような怪しいキャラが出てきて、最後の作品でとうとう宮崎監督は人間の深い内面をキャラクターに盛り込んでくれるようになったか、と思ったのだ。特にエボシ御前は、森を開き鉄を作る破壊者の面と、癩病の人たちに優しく接する菩薩のような面の両方が描かれており、魅力的なキャラだった。
(引退せずに『千と千尋』を作ると聞いた時には、この方向性をもう一歩進めて、新たな宮崎駿像を見せてくれるのかと期待したのだが――。)

こういう脇キャラクター造形の点では画期的だったが、どうも彼らの絡みが希薄というか、話を詰め込みすぎたことで一人一人の働く場面が限定されて、全体の流れが悪いという感じがした。映画の尺に収めるにはキャラもエピソードも多すぎたのではないか。結局は「曇りなきまなこ」のアシタカが主役で、強引に彼とサンの2人で話を結末へと持っていく――。

力作であるのは間違いない。大作なのも確かだろう。だが名作と言うのはためらわれる。
劇場で1度見て、その後テレビでもう一度見たのだが、3度目を見る気にはあまりならない。
悪い映画ではないんだが、とても良い映画にもなっていない。
映像の見事さを加味しても、やはり、評価は「良い」どまりだと感じる。

[推薦数:1] 2005/09/20 最高(+3 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/]
by (表示スキップ) 評価履歴[良い:43(88%) 普通:2(4%) 悪い:4(8%)] / プロバイダ: 12991 ホスト:13181 ブラウザ: 4184
他のジブリ作品に比べると、確かにグロい部分が多いですね。
しかし、私の中では逆にそれに惹き付けられたようで目が離せませんでした。
祟り神との出会いのシーンから緊張が続きましたね。あの音楽効果は素晴らしいものかと。
アシタカが旅立つ時に、サヤ(でしたっけ?)が何かお守りを渡しましたが、あれをサンにあげたのは評価できないところですね。
なんだか、女性から貰ったものを女性に渡すのって、彼にあげた方も彼から受け取る方も可哀想じゃないですか?
好きな所は、登場人物がそれぞれに自分の信念を持ち、とても人間らしかったことです。
しかもその信念もよく伝わってきました。
人間側の事情、自然側の事情、その丁度狭間に置かれたアシタカが、最終的に相互理解へのきっかけを作る。
とても面白いストーリーです。一方的に人間側が悪いとも言わず、逆にエボシは周囲の人間から好かれている。
そしてもちろん、自然側も良いとは言えない。
それぞれにはそれぞれの事情があり、そして誤解がある。その誤解の絡み合った糸を必死に解こうとするのだ。
そこには、言葉では言い尽くせない素晴らしさがあると思います。

声優陣に対しては文句なしです。アシタカの「我が名はアシタカ。東の…」の台詞は随分とすがすがしく読まれており、内容的には何もないものの凄く感嘆としていて美しく、大好きな台詞です。
モロの声には更なる迫力があり「お前にサンが救えるか」など心に響きましたね。
この作品は台詞についてもかなり宜しいかと。
当時、小学生だった私は友達と一緒にサンやアシタカ、モロなどの真似をして遊んでいたくらいです。

諸事情(自分の意志ではなく、受動的に)で映画館で3回は見た作品。
しかし、何度見ても飽きません。テレビで放送されても、ビデオで見ても、本当に面白いです。
本当に深く考えさせられる作品です。そして、難しいことを考えなくても充分に楽しめる作品です。

[推薦数:1] 2005/01/28 最悪(-3 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/]
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劇場で見た。あの日は別のハリウッド映画を見るつもりだったと思うんだけど、たしかこっちの方が空いていたから見たんだと思う。そして「なんか、いまいちつまらなかったよね」、「うーん、どうかなぁ」と話を合わせながら、テンション下がり気味になって寄り道もせずに帰宅の途についたのを思い出す。帰りの電車の中では会話があまり無くなってしまったよ。見ている時はそこそこなんだけど、後味が悪すぎ。

この頃は既に宮崎駿にはおかしい所があると十分に気づいていたんだけど、一応テレビとかで連日ニュースになっていたから、少しは楽しませてくれるかなと思ったのに。この作品で自分の中では宮崎駿も地に落ちたような気がする。どんどん宮崎駿の悪趣味さが増大して、アヴァンギャルドなくせして押し付けがましいものになったと思う。

自然破壊がどうとか色々言われていたけど、結局この人は未来少年コナンを引きずっているだけのような気がする。ナウシカの火の七日間、ラピュタの天の雷。そしてもののけ姫のデイダラボッチ。つまりは「終末思想」だとか「人類の再生・救済」とか。

そういうのは50年代初期の手塚治虫氏の作品にはじまり、80年代に大友克洋氏の手によってのAKIRAで終止符が打たれたはず。90年代となってもそれを引きずっていることは時代遅れとしか言いようがない。宮崎駿が勝手に抱いてる危機感、つまりそれは彼のカルトにすぎないと思う。結局は彼の宗教である「宮崎駿流の終末思想」を観客に布教したいだけでしょ?

90年代も後半に入ってさ、今更になって「終末思想」だとか「人類の再生」だとか言われると、私には地下鉄サリン事件とかしか思い浮かばないんだけどな。あの日クラスメイトがサリン吸って病院送りになってるしさ。

[推薦数:1] 2004/08/17 良いと思うコメント [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/]
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そうですね。
もののけ姫は、何かと何かと二項対立において答えを出すような作品ではないと、私も思います。
「自然を大切にしましょう」なお話でもなければ、「人間は馬鹿だ」なお話でも、全然ない。
見る人が何を感じ取るかが大切なので、それに対してどうこう言うのではありませんが…。

決して、ヒューマニスト的な作品であるようにも思えませんな。
ただ、生きている限り人は生きねばならないのだと。
その現実的な厳しさと、これを見守る作者の穏やかな視線とが、
もののけ姫を作り上げているように感じます。

[推薦数:1] 2004/08/12 とても悪い(-2 pnt) [編集・削除/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/]
by (表示スキップ) 評価履歴[良い:59(32%) 普通:1(1%) 悪い:124(67%)] / プロバイダ: 22931 ホスト:22995 ブラウザ: 4483
風の谷のナウシカをリメイクしたような作品。作画や背景などのクオリティはかなり
ハイレベルで上出来だがあまり好きにはなれない。「自然と人間の共存」と
かなり高度なテーマを扱いこの世界観は善と悪という区別を曖昧なものにされています。
タタラ製鉄集団は自然を破壊して人間を豊かにしようとしていますがその彼女らは
いったいどういう人間だったでしょうか。アシタカとのやりとりがありましたが、
そのシーンを見るに付けても彼女たちは非常にいい人達でした。
明るくて活発でアシタカなども快く歓迎するし、製鉄集団を組織的に見ても
エボシ御前の上意下達というのでもなく自律性が認められているみたいですし。
彼女らについては何も問題はありません。ですが、そんないい人達であるはずの
彼女たちが暴力的に自然を支配し管理するという悪いことをしているのです。
これは一種の逆説を利用して善悪の区別を曖昧にしているのです。
ここら辺がこの作品を一見複雑な構成にしているのだが実はこの構成は
大して難しくはないんですね。このようなシナリオは平凡で単純なものを
わざとらしく複雑なものに見せるやり方は嫌いです。そして結局は何ら解決して
いない状況で終わらせてしまいました。これも一見「これは観客に問い掛ける
ものでありあえて結末らしい結末にはしませんでした。」という風な言い訳を
すれば簡単に批判派から逃れられることが出来ます。だがこんなオチにするくらいなら
「自然と人間の共存」なんて高度なテーマ扱わないで欲しかったですね。
作品に何らかの答えや意義的なものなどを求める人からすればこれは駄作です。
同時期に公開されていたエヴァはバッドエンドながらもちゃんと結末をつけたので
俺はエヴァともののけ姫どちらを映画館で見ようか迷いましたがエヴァにしておいて正解でした。

[推薦数:1] 2001/02/16 良いと思うコメント [自己削除不可/削除・改善提案/これだけ表示or共感コメント投稿/]
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エボシは死ぬべきだったのか?
俺は映画のとおり、右腕を失うことだけでよかったと思います。
自然を破壊し、人間の住みやすいようにしていく。だけど優しい一面もある。エボシは今の現代人を表しているのだと思います。
だから、エボシが死んではいけなかったのだと思います。
もし、エボシがモロに喰われてあっけなく死んでしまったら、エボシはただの悪人にしかならないのです。
何も考えが変わらずに死んでしまってはいけないのです。
でも、とても悪いことをしてしまったのだから、無傷というわけにもいきません。だから片腕を失うということにしたのだと思います。
そしてエボシは考えを変え、自然と共に生きていくことにしたのです。
我々現代人は考えを変えなくてはならないのです。どのようにすれば人間が住みやすくなるかという考えから、どのようにすれば自然と共に生きていけるのかという考えに。
ただの自然を破壊した悪人ではなく、自分たちがしたことは悪いことだと気づき、今までのことを変えられる人間になるために。

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