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どろろ
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# アニメ「どろろ」は、手塚作品とは言えず、
# 杉井ギサブロー作品とするべきものなのかもしれない。
# が、私にとっての手塚関連作品は、これ以外は子供の頃に観たものばかりで
# その内容をほとんど覚えていないので、
# ちょっと無理やり「手塚」の括りで語ってみることにする。
アニメ「どろろ」は、主に、
戦国の世の一介の侍であった実の父親の野心により、
全身のパーツを魔物への捧げ物にされイモムシのような姿で生まれてきた青年、
百鬼丸の復讐と回復の物語である。
また、彼の旅の道連れとして野盗の遺児、タイトルにもその名が使われる
こそ泥の少年、どろろ が登場する。
その役どころは百鬼丸と並び立つ主役を意図したものであったようなのだが、
序盤にその生い立ちの悲劇が描かれるものの、
それ以外、百鬼丸との絆を強調するでもなく、
足手まといになるばかりであまりいいところが無い。
主役と言うには少々役者不足の印象であり、
ここでは百鬼丸に注目して語るのが良いものと思う。
百鬼丸は自分の肉体を取り戻すため、
それぞれを持ち去った四十八の妖怪を求め、戦う。
アニメ「どろろ」において最も印象的だったのは、この妖怪たちの怖さと、
彼らや侍、盗賊らと百鬼丸の対決するドラマの迫力であった。
「どろろ」の妖怪たちは「ゲゲゲの鬼太郎」=「水木しげる」的妖怪と
手塚スター・システムの性格俳優、その両方の性質を持ち合わせる。
彼らは残虐性のみを組み込まれたただの肉食獣、モンスターではなく、
日本の自然の闇に潜むものたちであり、
怨念や呪いや神がかった不可思議な動機に基づき行動する。
夜の帳が下りると蠢き始める彼らの姿は、CS で深夜に視聴したことも相まって、
いい歳の大人の目にも十分怖かった。
映像が白黒であることもおどろおどろしさを倍加させている。
予算の都合でそうなったらしいが、これがもしカラーで作られていたら、
ずっと陳腐な映像になっていたのではないだろうか。
結果論ではあるが、「道具は使いよう」の好例である。
怨念や業をレーゾンデートルとする妖怪たちや腹に一物ある侍、盗賊、
それに彼らへのうらみつらみに凝り固まった百鬼丸が対峙し
描き出す物語には説得力があり、迫力に満ちていて、ある種の豊かさを有している。
肉体的な対決がもたらす流血が語られるのは、
あくまでも彼らの対立の結果としてである。
静かに語り始められた物語は双方の事情心情を語りつつ
視聴者を引き込みながら上昇カーブを描き、
終盤、遂にそれが頂点に達した時、カタルシスとしてのアクションが語られるのである。
確かに、アクションあっての「どろろ」ではあるが、
そこに至るまでの道筋の付け方がとても丁寧で巧みだ。
この道筋の方にこそ、私は魅力を感じる。
それは当時としての類型であった可能性もあるが、現代の工業製品を見慣れた
私たちの目には、工芸品的美しさを感じさせるものとして映るのである。
また、百鬼丸が人間性を回復してゆく姿を通じて、「どろろ」は、あるいは
1960年代の人間社会と都市文明の暗部を描き出そうとするかのようにも見えた。
作り手の真の制作意図が、私たちの精神的ルーツと現代、どちらを描くことにあったにせよ、
近年のアニメ・ビジネスの産物にはめったに見出し得ない、
鬼気迫るドラマがここにはある。
当時はその映像表現の残酷さで問題にされたようではあるが、
報道にネットに、本物の死体が映し出されることも少なくない昨今、
いかにも時代劇風で芝居っ気十分な「どろろ」のそれは、「残酷な映像」と
呼ぶようなものとも思えない。
あるいはそれは我々の好ましからざる感覚の麻痺なのかもしれないが、
しかし、このような物語を大人相手に語ってみせる上では、
十分以上それを組み込む必然性を感じられるものであった。
先に触れたように、モノクロ作品なので、血の赤が画面に登場することも無い。
そこは視聴者の想像力次第である。
そのため、残酷ではあっても、センセーショナルな映像だけが売りの
ただのスプラッターホラーフィルムではない。
必然性ある流血のアクションは一定の文学性を維持する。
これがあるからこそ登場人物の情念と情念のぶつかり合いが表現でき、
また、これ無くしては「どろろ」の存在意義自体、薄いものとなったことだろう。
製作当時の大衆と原作者、「天才」手塚治虫の心理心情を推し量る
材料として見ても面白い。
核による第三次世界大戦の恐怖に怯えつつ、なぜか科学のもたらす未来を
盲目的に信じていた '50年代、'60年代を生きた人たちの感覚が今とは違うのか、
あるいは医学博士、科学者手塚の抱く「人間」像が私たちとは少し違うのか、
手塚作品には命の尊さを謳うものが多い一方、人間を部品の集合体の
ように扱うものもまた多い。
「ふしぎなメルモ」や漫画「火の鳥 復活編」などはその最たる例である。
「どろろ」もまた、百鬼丸、どろろ らがその過酷な運命に抗う姿を描く一方、
百鬼丸が生まれた時の軟体動物のような姿や作り物の腕や眼玉を
取り外してみせ、その「部品」を一つ一つ取り返して行く姿を映し、
私たちに衝撃を与える。
それは、我々人間の本質とは何なのか、問うているかのようである。
従って、
手塚の、水木しげるをして「一番病」と揶揄せしめた逸話などを耳にするにつけ、
企画の意図にきな臭いものを感じないこともないが、
人間とは何かを常に自問し、問い続ける手塚の代表作品、
その筆頭に挙げられるものになった可能性は大いにあっただろう。
だが、当時はアニメと言えば子供の観るものと相場が決まっていたため、
狙いの渋すぎる「どろろ」にはスポンサーからクレームでもついた様子である。
後半になると突然「どろろと百鬼丸」と改題され、どろろを中心に据え直した、
明らかにターゲットを変更したシリーズに大幅に路線を変更する。
これは、上述の美点を全てどぶに投げ捨てた、
一言で言ってしまえば「しょうもないシロモノ」で、
あまりのしょうもなさに、その「しょうもない」という印象以外どんな内容だったか
すっかり忘れてしまうほどだった。
ただ、端々に突然吹っかけられた無理難題に何とか応えようとした
スタッフの苦労の跡がうかがわれるようではあり、
彼らがどんな思いで作業をしたのか、そのことには興味をそそられないでもない。
また、毎度のことながら作家としての手塚は、着想は素晴らしいのだが、
一方でアイディア倒れなところがある。
「どろろ」も、四十八もの妖怪を全てまともに倒して回っていたら、
一体何話必要だったことだろう。
考えてみれば、後半の混乱が無くとも、低調な終わり方が想像されてしまう。
その意味で、緊張感のある内に引導を渡してくれた「どろろと百鬼丸」の存在は
むしろ幸運だったとも言えるのかもしれない。
しかし、そのような言葉遊びはともかく、今となっては「どろろと百鬼丸」が
全体のクオリティの足を引っ張っていることは否定のしようの無い事実である。
これは、総評としては、減点材料にしかなり得ない。
前半、「どろろ」の湿度のある不気味さの演出、ドラマの面白さは高く評価したい。
が、一応一つのシリーズとみなして、後半の急落ぶりで、残念ながら大幅減点。
全体で「良い」どまりの評価とする。
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